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取材:2003/08

出かけて行ったのは夏休みも最終日、ついにまともに晴れる日の無かったこの休暇ですが、この日も相変わらず怪しい雲行き。いつポツリと来てもおかしくない空模様のおかげで、青梅から自転車で突っ走って来ても一向に暑くないのはありがたい事か?

西口の駅前風景はこんな感じで、この向きだとあまり高い建物が目立たずに空がだだっ広い。駅前広場も昨今の郊外駅と違って派手なデッキなど無く、全て平面で人もバスやらタクシーやらもひしめき合ってます。そこがまたこの駅の歴史の長さを物語っており、いい味を出しているわけですが。

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所沢駅西口

何せこの駅が出来たのは明治28年の川越鉄道(現:西武新宿線)全通の時。そこらの駅とは格が違うのです。その後に武蔵野鉄道(現:西武池袋線)もこの駅に乗り入れて来て壮絶な乗客ぶんどり合戦を展開するわけですが(詳細は「川越鉄道の面影」参照)、今は両社とも仲良く西武鉄道となって運行を続けています。でも、どちらも「新宿」、「池袋」という都心が目的地なのに、背を向けて全く逆方向にホームを発車して行くのは、当時からあまり状況が変わりません。これもまた面白い光景ではありますね。

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引込線

さてそんな駅前を離れて少し南の方へ行くと、駅構内から一本の線路がカーブを曲がって来て道路を横断している。ここは前回もレポートしましたが、西武の車両工場への引込線だったんです。「だった」と過去形で書いたのは、その後この工場は閉鎖されてしまったから。従ってここも、目出度く(!?)いやいや...残念ながら廃線の仲間入りをしたわけですね。

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西武所沢車両工場跡

工場の方はというと、現在の所こんな状況。架線もまだ張られたままだし、解体作業は開始されていないようです。しかし駅前の一等地にこれだけの敷地ですから、遅かれ早かれマンションか大規模商店あたりに生まれ変わるのでしょう。

次に向かったのは駅の北方、池袋線の線路に沿ってそのカーブの頂点あたりに進みます。何を見に行ったかと言うと、ここに実はむかーし駅があったという事です。駅名は「所沢飛行場」。日本初の飛行場「陸軍所沢飛行場」への最寄駅として開設されました。ん!?という事は... はいその通り、やはり対抗相手の武蔵野鉄道も同様な駅を設けておりまして、その名も「所沢飛行場」。多摩湖を巡る駅名の争奪戦と一緒のパターンですね。

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「所沢飛行場」駅跡付近

ではその「所沢飛行場前」駅の方も見てみましょう。こちらは所沢駅から新宿線を川越方面に少し行った所で渡る東川の鉄橋脇、この築堤上に小さなホームがあり下の道路へ階段がつながっていたという事です。その後両駅はそれぞれ「東所沢」「所沢御幸町」と改名されましたが、昭和20年代に相次いで廃止や移転になっています。

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「所沢飛行場前」駅跡付近

ところでこの二つの駅、飛行場への最寄駅として以外に、市内の乗客確保合戦をより優位に導こうとする両社の思惑が働いていたという見方もあるようです。所沢駅からわずか1kmにも満たない場所に駅を設けたという事自体、その辺の意図が見え隠れする気もしないでもありません。飛行場の方は戦後接収されて米軍所沢基地となりましたが、昭和46年にその一部が返還され、現在は所沢航空記念公園などとなっています。

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飛行機新道

で、その飛行場と共に歴史を歩んで来たこの所沢という街、随所に飛行機がらみのネーミングが目立ちます。第一に先ほどの所沢飛行場前駅下を通る道は「飛行機新道」。また、所沢駅前の商店街は「プロペ通り」と言いまして、プロペラからとったのは明白。もう一つ、「ファルマン通り」というのがあって、これは所沢飛行場で日本初の野外飛行を行った複葉機「アンリ・ファルマン機」に由来しています。