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川越から小川町行きの急行に乗って、私はドア脇の手摺に寄りかかりボンヤリと外を見ていた。別にヘッドホンで聞いているわけでもないのに、何故か今朝からずっと同じ音楽が頭の中をまわっている。それはきっと誰にもある事なのかも知れないが、一度流れ出すと留まる事を知らず、まるでエンドレスモードのステレオプレーヤーのようにいつまでも続くのだ。今日の楽曲は何故か「A列車で行こう」だが、どこからこいつを拾って来たのかは分からない。最近観た映画のせいか、駅前の商店街で聞いたのか、あるいは出掛けにテレビか何かで流れていたものか...。でも何となく今の場面の BGMとしては合っているような気がして、私はあえてそれを消し去ろうとはしなかった。

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□Photo-1
車内にて。左手に離れてゆく道路が旧線跡だ。

電車は東松山を発車し、スピードを上げつつゆるく左へカーブして市街地を走り抜ける。と同時に、さっきから線路に寄り添っていた車窓左手の側道が徐々に離れ、家並の彼方へと消え去って行った(Photo-1)。

東上線も今年で90周年だと言うが、その歴史の中で時代に翻弄された区間が存在する。東武鉄道の沿革を紐解いてみると、以下の記述を見つける事が出来る筈だ。

「昭和20年1月17日 松山飛行場建設のため武州松山(現東松山)〜武蔵嵐山間を移築し、0.1km延長」

この松山飛行場とは、太平洋戦争末期に陸軍が首都防衛のため急ごしらえでこの地に設置を進めたものであるが、結局工事は間に合わず、完成を見ずに終戦を迎えた。地元では唐子飛行場とも呼ばれるようだが、その敷地確保のため東上線はこの区間で大きく北側を迂回するルートに変更を強いられた。その結果廃止となった旧線が、先ほど離れていった道というわけだ。


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緑のなか、私の乗った電車は一直線の線路をひとしきり走ると、やがて速度を緩めて森林公園駅のホームに滑り込む。線路付替え後の新ルート上にある駅だが、今日はここから自転車でスタートだ。新線の開通直後はこの区間に駅は一つも無かったが、その後昭和46年にこの「森林公園」、そしてつい最近「つきのわ」駅が開設されている。同時に森林公園から武蔵嵐山までの複線化も、目出度く開通したばかりだ。






北口の駅前広場の片隅で、例によってゴソゴソと自転車の組み立てを開始(Photo-2)。比較的新しい開設なので駅前は整備されていて広いが、ロータリーは人通りも少なく閑散としている。広いおかげでタクシープールから距離をおけるので、いつものように運ちゃんに組み立てを好奇の目で見られずに済む。分解した時の入れ方がまずかったのか、何故かチェーンがギアに噛み込んでしまっていて、のっけから手を真っ黒にしてのスタートとなった。10月に入ったというのにまだまだ夏のように日差しがきつく、今日も手足がパンダ模様になるのは覚悟せざるを得ないだろう。

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□Photo-5
森が線路跡へと覆いかぶさり、トンネルになっている。

しばらく線路の北側を平行して走り、途中の踏切を渡って、先ほど電車の中から眺めた新旧ルートの分岐点へと到着(Photo-3)。ここは「いかにも」な道路が「いかにも」なカーブを描いて線路から分かれてゆくので、非常に分かりやすい。新線から斜めに遠ざかりつつ、住宅街の中を少し進むと交差点に至る。これを渡ると途端に建物は無くなり、左右に畑の広がるのんびりとした風景。畑の中にはトラクターがポツンと置いてあり、その向こうを東上線が通過して行く(Photo-4)。線路はもうだいぶ遠くなった上に、電車の足元は草薮で遮蔽されているため、こちらまで音が聞こえて来ない。

そこから先は、なかなかに雰囲気のよろしい林間の道へと入ってゆく(Photo-5)。周囲の森は鬱蒼として昼なお暗く、途中木立が切れるとそのギャップで日差しが眩しい(Photo-6)。良く見ると道はごく低い築堤状を成しているが、その周囲にはたくさんの栗が落ちていた(Photo-7)。しかしこの快適なプロムナードもそう長くは続かず、少し走れば森は開けてその先で分譲地に突き当たっている(Photo-8)。ここは聞くところによれば東武系の不動産会社のものらしく、さすがに線路跡の土地だっただけの事はある。分譲地は二区画あるようで、そのうちの片方には既に真新しい住宅が建っていた。


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□Photo-7
雑木林の中には栗の実が目立つ。実りの季節だ。

森林公園へと向かう広い道路を横断すると目の前にはコンビニが立ち塞がるが(Photo-9)、その裏手には再び旧線跡を利用した道路が続いている(Photo-10)。だがここを直線的に少々進むと(Photo-11)、その先の交差点で道はクイっと若干右に向きを変え、いよいよそこから先は飛行場用に確保された土地へと入って行く。結局飛行場が機能する事は無かったが、戦後この土地は整理され住宅地や工業団地に転用となり、今に至っている。そのまま行くと線路跡からは外れるが、しばらく道なりに進んでみよう。このあたり、道路の両側は団地も建ったりしているが(Photo-12)、まだまだあちこちに空地も目立つ。







走って行くと、ある事業所の一角にこの土地の歴史を記す記念碑が建っており、その碑文には以下のような事が書いてあった。(Photo-13

「・・・戦後国民の食糧増産が国策となり、唐子飛行場跡地も開拓入植の土地となりこの旧宮前地区には昭和二十五、二十六年にわたり、旧村宮前、唐子の人達家族ごと十五戸が入植となった。・・・」

しかし、この土地は飛行場建設のため表土を削られてしまっていたためかなりの荒地状態で、入植した人々は相当の苦労をして作物を育て上げたようだ。その後、情勢の変化によりこの土地は工業地化され、さらにその中を高速道路が貫通する事になり、大きな環境の変化を来した。

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□Photo-15
東武の電車基地。外からでも色々な電車を眺めて楽しめる。

さてそこを過ぎて左右の畑地などを眺めつつ(Photo-14)進んで行くと、遠くに電車が留置されているのが見えて来た(Photo-15)。森林公園駅に隣接する東武鉄道の広大な電車基地だ。ここは電車の車庫、及び検修業務などを一手に引き受けており、東上線にとっては重要な場所である。朝のラッシュ時間帯の勤めを終え、ほっと一息入れている電車を基地の周りからしばらく眺めた後、そこから折り返し再び旧線ルートの方へと向かう。

線路跡へと近づくべく南下して行くと、関越自動車道が低い切り通しの中に 6車線もの太い体を横たえているのにぶつかった。自転車を押しつつ、細く頼り無げな歩道橋を渡る(Photo-16)。眼下を乗用車や大型トラックがビュンビュンと通過して行くのに少々緊張しながら渡りきると(Photo-17)、その向こう側はガランとした工場街が広がっている。

旧線はこの工業団地内を斜めに抜けていた事になるが、地面は完璧に整理されてしまってそこにルートをトレース出来る道は無い。仕方がないので、正確に長方形の升目に区切られたブロックを、階段状に曲がりつつ進んで行く。どの工場も表に人影は全く見えないが、どこからかドッカンドッカンとプレスを抜く音が地面から響いて来る。何となく懐かしい昔の工場(こうば)の匂いも漂い出し、工学部魂が頭をもたげて来そうだ。

ルート上をたどって行くと、計算尺会社の工場や(Photo-18)、さらに通りを抜けて行くと(Photo-19)緑濃いサッカーグランドなどがあった(Photo-20)。しばしグランド脇のベンチに腰かけ、ここを線路が通過していたのだとイメージしてみるが、あまりにかけ離れた今の景色からは、それを想像する事は容易ではなかった。

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□Photo-20
工業団地内のサッカー場で一休み。





団地を出た所から再び斜めの道路が始まる。言うまでもなく旧線跡そのものだ。最初のうちは広い道で(Photo-21)、大型のトレーラートラックが脇の作業場へ容易に出入り出来る位だったが(Photo-22)、進むにつれて道幅は狭くなり、ついには乗用車でさえすれ違えないような、両側をフェンスに挟まれた細い路地へと迷い込む(Photo-23)。正面は行き止まりのようだがどうなっているのだろうと進んで行くと、そこは左へ直角に屈曲しており、その先で中央分離帯のある 4車線の広い道路に躍り出た(Photo-24)。

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□Photo-30
左手のバイパスから離れ、ゆるく右へカーブして行く。

ここは嵐山バイパスの一部で数年前に開通したばかりのようだが、線路跡は完全に飲み込まれてしまったのだろうか。いや違う、地図上に旧線の直線を引いてみると、かろうじてこの道路の南側を通っていたのがわかる。長いこと信号を待って道路の反対側に渡ってみると、果たしてそこには怪しい空地が道路と平行に細長く延びていたのである(Photo-25)。

一通り写真を撮った後再び道路を横断して、北へ向かう。しばらく走ると、遠くに斬新なデザインの真新しい橋上駅舎が見えて来る。平成14年に開業したばかりの「つきのわ」駅だ(Photo-26)。駅前はまだ何もなく閑散な眺めであるが、唯一、郊外型の大きなショッピングセンターが営業を始めていた(Photo-27)。ついでなのでここで一通りの食材を買い出しして、お昼に備えることにしよう。しかし駐車場は広いが、とまっている車は少ない。駅前通りの交通量が極端に少ないのも、この駅がまだ産声を上げたばかりという事を示している(Photo-28)。

そこから先、旧線跡は完全にバイパスの車線下に埋め込まれてしまっているが、やがてこの太い道路が南へ向かって若干カーブする頃、その北側から細道の形でヒョッコリと顔を出す(Photo-29, Photo-30)。細道は穏やかな右カーブを描いて徐々にバイパスを離れ、静かな森の中を行くが(Photo-31)、沿道には東武の境界標などがあったりして(Photo-32)、現役当時を思い起こさせる。この区間は工業団地東側の部分と共に、旧線当時の面影を大変色濃く残していると言えるだろう。

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□Photo-34
合流地点付近は住宅地分譲中。廃線跡にはノラ猫が良く似合う。

さあ、ゴールも近くなって来た。森を抜けると行く先右手から架線柱が寄り添って来て(Photo-33)、目の前にはライムグリーンの草で覆われた分譲地が現れる(Photo-34)。新旧線の合流地点だ。ここまで来ればもう武蔵嵐山駅はすぐ目の前。ちょうど走り込んで来た電車と競争しつつ、駅前へと踏むペダルの足にも力が入る。耳元に再び、いつの間にか忘れていた「Take The "A" Train」の軽快なフレーズが流れ出した。


- end -
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