2006年9月
〜 序章 〜パク!「う〜ん、うまいなぁ…」 醤油のついた指を舐めながら、思わず食レポっぽい唸り声を上げてしまった三陸海岸は宮古の駅前。 昨日から始めた18切符東北行脚の二日目で、東京側から見て一番奥へ到達したとも言える場所、ここからは後半へ続く…という旅の折り返し地点だ。 ちょうどお昼を回った駅前ロータリーで木陰のベンチに陣取り、近くのスーパーで仕入れて来た極厚さんま握りをクチいっぱい頬張った瞬間なのだ。 さすが海の幸が豊富な宮古は魚の旨さも違うなー、っと感動しつつ残りも一気に平らげてしまった。 今日はお天気も上々で、多少秋めいて来たがまだまだ青い夏空の下、そよそよと爽やかな海風の流れるこの地は快適な事この上ない。 思わず食後のお昼ねタイムへと突入しそうだが、次の列車に乗り遅れるわけには行かないので、ここは我慢のしどころである。 |
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今回の旅は、奥羽本線、東北本線、三陸海岸の三本の縦線に挟まれたエリアを横方向に結ぶ、未乗のローカル線を中心に乗りに来た。 前半は南から北へ、後半は北から南へと縦横の線を辿りながら上下する、言わばあみだくじに似た乗車経路となる。 〜 一日目:仙山線,北上線 〜旅立ちの初日は、東北本線の普通列車を大宮−宇都宮−黒磯−郡山−福島−仙台という具合にひたすら乗り継ぎ、東北入りした。 しかしここも乗り換えの頻繁さはご多分にもれずで、だいたい1〜2時間おきに終点となって次の列車へ。 それも必ず跨線橋を渡らされる宿命を帯びているので、なかなか足腰が鍛えられるな、これは。 ありがたいことだ。 ところで、私が18切符で泊まりの旅に出ると必ず何かある、というのが去年の山陰行きの頃から定説になっている。 かの山系氏程の雨を呼ぶ神通力を持っているわけではないが、今回も初っ端からダイヤが乱れた。 私の乗った宇都宮線の電車が途中駅の発車直後に急停止、ホームから半身を乗り出した状態でそのまま動かなくなってしまったのだ。 案内放送では急病人が出たとの事だが、中間車両のドアを手動で開けて、10分程何やら処置をしてから搬送されたようだ。 宇都宮駅で次の列車への乗り換え時間9分の所、何とか5〜6分程度の遅れで着いてくれたので走って間に合い、以降の予定まる崩れは回避出来た次第である。 仙台からは初乗りの仙山線で一路山形へと向かった。 あみだくじの横線第一発目になるが、これから乗り通して行く中では本線系を除き唯一、電化されて電車の走っている線である。 乗り込んだ快速山形行きは白顔緑帯の719系で、これは211系の交流電車版と言えるだろうか。 市郊外の駅に小まめに停車しつつ、左右に市街地を見下ろしながら丘陵地をグングン登って行く。 仙山線は快速にも2パターンの運用があるようだが、私の乗ったこの電車は途中の主要駅「愛子(あやし)」までは各駅に停車する。 愛子を過ぎると後は温泉で有名な作並に停まるのみで、山間の小駅は次々と飛ばして快速運転。 段々と緑濃い山中を疾走するようになり、汽笛一声吹鳴させたと思ったら長いトンネルへと突入した。 時計で時間を測ると、1分、2分、3分… 通過に4分程かかってようやく出口付近で減速。 出たらすぐに、面白山高原駅のユニークな待合室が窓外の景色の中へと滑り込んで来た。 この面白山トンネル(正式名称は仙山隧道)、全長5,361mとの事なので平均80km/h程度で走破した計算になる。 開通当時は、清水、丹那に次ぐ国内第3位の長さを誇ったトンネルだ。 そこから一駅走ると山寺駅。 窓から外の山上を見上げていた乗客の大半がここで下車してしまい、スカスカになった電車は身軽な車体で山形盆地の底へと下って行く。 羽前千歳で奥羽本線と合流し、狭軌広軌の並走する珍しい路盤を最後のダッシュで山形駅へと到着。 ここで一時間弱程の休憩が入るので、一旦ラチ外へ出て駅ビル一階のロッテリアで珈琲タイム。 ガラスの向こうの駅前広場を眺めながら「ふーん、山形交通って山交って呼ぶんだ、山梨交通と同じだなぁ」とか、当たり前の事をボンヤリと考えながら時間をつぶす。 山形からは標準軌上を走る「通勤電車」701系5500番代で新庄へ。 さすが新幹線も走る路盤だけあって、しっかりとして揺れも少ないが、いつもは「つばさ」で通過してしまうここいらも、ローカル列車でトコトコ行くと気分もまた新ただ。 カーブも大きく車体が内側に傾き、軌間が広い為か心なしカントが大きめにとってあるように思えた。 新庄駅手前ではトンネルが多くなるが、これらも断面が大きくいかにも新幹線な物に改修されており、優等格の線路なのだなと改めて実感した。 新庄で新幹線の線路もおしまいになり、頭端式ホームの向こう側にはミラー反転させたように秋田方面からの狭軌レールが入って来て突き当たっている。 陸羽西線の気動車が発車待ちをするお隣に、これから乗る折り返し秋田行きの電車が到着。 車両は再び701系だが、こちらは通常の狭軌上を走る秋田仕様の0番代だ。 夏休み明け初日という事もあり、ちょうど下校の時間帯と重なり車内は帰宅の中高生達で賑やかになった。 そこから横手まで約1時間半、ロングシートに座り続けたがこれが長かったー。 その間学生達は三々五々降りて行き、日が傾くと共に車内も閑散として来る。 思わず居眠りが入るが、気が付くと、車両後方に空高くせり上がった大きな鳥海山のシルエットが浮かんでいてハっとさせられた。 夕暮れ近づく横手駅へと列車が滑り込んだのは17時47分。 10分の乗り換え時間で、駅舎側ホームに待機している北上線の列車へと乗り移る。 北上線車内にて これから辿る北上線は名の通り東北本線の北上へと向かうのだが、その昔は横黒線という名称だった。 「横」はもちろん横手の事だが、「黒」は北上の旧名称黒沢尻駅をあらわす。 かの百關謳カも阿房列車で何度かこの横黒線に乗車しているが、何れも横手から途中の大荒沢駅まで行き、折り返して戻って来ている。 大荒沢は山間の小駅で、一行は駅の事務室にお邪魔して対向列車が来るまでしばし、暖をとった。 なかなか鄙びた描写があるのでどんな所か見てやろうと思ったが、残念ながら今はダム湖の底に沈んで線路が付け替わり、駅自体が廃止されているのだった。 さて本日の最終ランナーはキハ100系。 JR東日本の非電化路線では各地で見られるポピュラーなディーゼルカーだ。 私の地元にある八高線でも高麗川以北では走っているのでお馴染みだが、その分見慣れてしまっているので多少旅情はそがれてしまう気分はある。 でも一世代前の気動車と比べて出足も速いし、乗り心地もなかなか良いものがあるので許せてしまうのだ。 時間が来て発車するとほぼ180度のカーブで身を反転させ、山岳地帯へと向かって登り出したが、こういう時ディーゼルはそのエンジンの唸りで頑張っているなという実感が床下から伝わって来るので、乗っていて楽しい。 走っている線路周辺はもう薄暮れに包まれているが、遠くに見える山の頂のあたりはまだ夕陽を浴びて金色に光っている。 それも列車の進行と共に段々見えなくなって来て、ゆだ高原のあたりで完全に日没となった。 次の「ほっとゆだ」からは部活か試合の帰りと思われるたくさんの生徒が乗り込んで来て、しばし車内には方言混じりの賑やかな会話が飛び交う。 和賀仙人、江釣子などの変わった名前の駅を過ぎ、列車は本日の宿泊地、北上駅へと到着して体を休めた。 |