立川周辺の軍用軌道跡 |
鉄道旅行の楽しみは、その車窓風景につきる。しかし、不幸にしてそれが自由にならない時代があったのも事実である。軍機保護法のもと、全国の飛行場周辺や軍関係施設の近くを走る鉄道は、その区間を通過する間、窓のヨロイ戸を下げさせられたそうである。青梅線においては立川〜拝島間がこれにあたり、北側の窓が白ペンキで塗り潰されたとか、戸袋窓をスリ硝子に替えられていたなどの証言もある。
現在、昭和記念公園として整備が進められている一帯は、もともと陸軍の立川飛行場(戦後は米軍立川基地)であり、周辺には多くの軍関連施設や民間の軍需工場が存在した。そしてそれらへの貨物搬入出のため、多くの専用線が引かれた。そのほとんどが、あの鉄道聯隊の手によるものだそうだ。