立川周辺の軍用軌道跡  Banner

 鉄道旅行の楽しみは、その車窓風景につきる。しかし、不幸にしてそれが自由にならない時代があったのも事実である。軍機保護法のもと、全国の飛行場周辺や軍関係施設の近くを走る鉄道は、その区間を通過する間、窓のヨロイ戸を下げさせられたそうである。青梅線においては立川〜拝島間がこれにあたり、北側の窓が白ペンキで塗り潰されたとか、戸袋窓をスリ硝子に替えられていたなどの証言もある。

 現在、昭和記念公園として整備が進められている一帯は、もともと陸軍の立川飛行場(戦後は米軍立川基地)であり、周辺には多くの軍関連施設や民間の軍需工場が存在した。そしてそれらへの貨物搬入出のため、多くの専用線が引かれた。そのほとんどが、あの鉄道聯隊の手によるものだそうだ。

MapMap
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  1. 昭和飛行機専用線(昭島)
    昭和飛行機(株)は、昭和飛行機工業(株)として現存する。そもそも現在の昭島駅は、この昭和飛行機への通勤客輸送を目的として「昭和前」駅として開設された。のちに和町と拝村が合併して昭島市が誕生した後、現在の駅名に改称された。
  2. 陸軍航空工廠線(中神)
    陸軍が航空機開発技術養成の目的で建設した陸軍航空工廠への専用線で、中神駅から分岐する。同時にこの施設への最寄り駅として、「東中神」駅が開設されている。
  3. 立川陸軍航空廠線(西立川)
    元々この地には「立川養豚場」があり、その貨物扱いのため「上古新田」信号所及び専用側線が敷設された。これが西立川駅の起源である。その後養豚場は移転し、跡地は立川陸軍航空廠となった。
  4. 立川飛行機専用線/獣医資材廠線(立川)
    獣医資材廠は軍馬に関連する施設だったようだ。立川飛行機専用線は、この獣医資材廠線の途中から分岐し、立川駅北側を大回りにまわり込み、立川飛行場に隣接していた立川飛行機(株)砂川工場へと至っていた。立川飛行機は現在、立飛企業(株)となっている。

参考:
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