多摩湖線 −
 国分寺線 −
 玉川上水 −
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一橋学園〜国分寺間を行く
クモハ351以下3連 (1987年5月)
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写真提供:夏目博士さん




■一橋学園〜国分寺
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 桜堤駅跡付近

 やがて目の前に並木が見えて来て、玉川上水と交叉します。この日はこの上水沿いに、ザックを背負った多くの人が歩いており、後で新聞で知ったところによれば、スリーデーマーチの参加者だった様です。

 上水のすぐ南側には、かつて桜堤駅がありました。開通当時はこの近辺、「小金井堤の桜」として関東ではつとに有名な場所。でも時代が変り、大衆のレジャーも様変りして、お花見での乗客誘致はあまり見込めなくなってしまった、という事なのですかね。





■一橋学園〜国分寺
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 東国分寺駅跡付近

 進んでゆくと、その先で線路は部分的に複線になっていました。本町信号所と言うそうですが、ここで列車交換を行なう事もあるのでしょうか。それとも、側線か留置線として使っているのかな。

 連雀通りの踏切り北側が、東国分寺駅跡。ちょうど歩道橋があったので登って俯瞰してみました。しかし、多摩湖線はほぼ全線に渡って複線分の用地が確保されているため、駅跡といってもなかなか判別は難しい様で...。





■国分寺駅付近
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 だんだんと国分寺のビル街が近づいて来ました。線路は両側を道路に挟まれ、というより道路の真ん中に路面電車の専用軌道を通した様な感覚に襲われます。

 そのうち東側の側道は片車線しかありませんが、良く見るとバス専用道路の表示があり、元々西武の私有地なんだという事がわかります。





■国分寺駅
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 国分寺駅へやって来ました。後ろから来て私の自転車を追い抜いていった電車が、先方の踏切り上で止まっています。いや良く見ると、ギリギリのホームへゆっくりゆっくりと、その車体を納めようとしている所でした。

 多摩湖線に、17m級の旧型車が最後まで残った理由の一つがこの国分寺駅ホームでしたが、当時は 60mくらいしかなく、20mクラスの 4連は入らなかったそうです。

 その後改良により、現在の様になんとか大型車が入る様になりましたが、そう言えば以前の多摩湖線国分寺駅ホームは、もう少し中央線寄りにあったような気もします。


 国分寺駅北口で多摩湖鉄道の巡察を終え、その後引き続き川越鉄道(西武国分寺線)の方へと向かいました。

 国分寺も、JRの北側はまだ以前からの商店街が残っており、その街並みや人々の流れに、昔懐かしい駅前通りの匂いがした事も書き加えておきましょう。


参考:


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