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2010/04
3. 横須賀海軍資材集結所専用線

廃線跡に桜並木は良く似合う。 だが数ある名所の中で、ここほど桜で有名な場所は他にないのではなかろうか。 前回、相模野海軍航空隊線の記事を公開したのは2001年3月の事なので、もうあれからかれこれ丸9年もの年月が経ってしまった事になる。 その時は相模大塚やさがみ野の2箇所を探訪して回ったものの、瀬谷はその後に徒歩で巡るには距離が長過ぎてパスしてしまったのだった。 そしてどうせ行くなら満開の桜の下を歩いてみたいと考えては、毎年、天候や開花時期と自分の都合の折り合いが付かず、その機会を逸し続けて来たという次第である。

小田急江ノ島線の電車を降り、改札内でそのまま繋がっている大和駅の相鉄線地下ホームへと階段を下る。 9年前の取材で初めてこのホームに降り立った際、中学生と思われる鞄を持たない女の子同士が、笑顔で抱き合ってピョンピョン跳ねている光景を見た。 ちょうど受験の結果が発表されるような時期だったと思う。 彼女らもその後成長して、きっと今は社会人で働き盛りの世代、あるいは既に結婚して子供がいるかも知れない。

そんな事を考えてるうち、乗り込んだ相鉄電車はもう地下線を抜けて大和市の郊外を一頻り走り、静かに瀬谷駅のホームへと滑り込む。 桜の季節なのでさぞやたくさんの人達が集まるのかと思っていたが、意外に私と一緒にホームへ降り立ったのは数人の人達だけで、少々肩透かしを食らったような心持ちだ。 昨日が桜祭り開催日だったので、お花見のピークはそちらに取られたようだ。

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橋上にある小奇麗な駅舎のコンコースから、引込線の走っていった方向を眺めてみる。 ホーム裏手に一本、使われていない待避線があるが、これが当時の名残りだろうか。 いや、引込線は瀬谷駅よりも少し横浜寄りの場所から分岐していたようなので、直接の関係はなさそうだ。 駅前の整備された広場は歩行者専用となっており買い物客が行き交っている。 ここにかつて引込線のヤードがあったとの事だ。 線路は瀬谷中学校の敷地を通過して北へ90度カーブを切っていたのだが、そのあたりにはもはや当時の痕跡は何も残っていない。

シューズの紐を締めなおし、現在はオーバーパスとなっている18号線と相鉄線との交差地点から早速歩き始める。 しばらくは街中の普通の道路という感じだが、最初の交差点を過ぎたあたりからは道路右側の歩道の敷地が広く、ここに線路が走っていたのだろうなという事は容易に想像出来る。 少し歩くと桜並木が始まるが、ここらはまだ道路の片側だけで少々物足りない。 しかし段々と桜見物で歩く人達が増えて来て沿道に露店などもチラホラ、徐々に気分も上がって来る。

そのうち住宅地の街並みが切れて周囲に畑地が多くなって来ると、信号の向こうには道の両側に続く満開の桜並木が待っていた。 車道は見物の車で渋滞しているが、ここは通行規制にして澄んだ空気の中で道路中央を歩きたい気もする。 薄ピンクの花のトンネルの中を少し歩けば、右手に広大な草地が広がり出す。 このエリアは米軍の管理地だそうで、多くの人達がお弁当などを広げて束の間の花見を楽しんでおり、なかなか平和的な光景である。

ちなみにこの場所は「上瀬谷通信隊はらっぱ」と呼ばれている。 通称なのか公称なのか多くの案内資料に「はらっぱ」と記載されており、それで通じるようだ。 普段から地域住民には開放されているというが、米軍にしてはなかなかユルい、粋な計らいというべきか、いや、そもそも開放されてしかるべき土地なのか。 簡易トイレの脇に手洗い用でポツンとおかれている給水車も迷彩塗装で軍備品のようだ。 しばしこの広場で桜を見上げつつ昼寝でもして行きたいところではあるが、今日は花曇りで気温もちょっと低め。 本来の廃線探索に集中して精出す事にしよう。

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ずっと海軍道路に沿って北上して来た線路だが、ここから左右に分かれる支線が存在した。 家族連れが憩っている広場の片隅にも、実はその痕跡が今に残っていたりするのだ。 草地の北端にあるヘリ用のマーカーを巻くようにグルリとカーブを描いている段差、空中写真と当時の地図を重ねて見れば、これが線路跡である事は明白だ。 それは隣の畑地との境界線となり、その先では車道に吸収されて米軍施設の方へ伸びている。 それに誘われてテクテクと道路を少し歩いて行ったものの、すぐに閉鎖されたバリケードに阻まれ、線路跡はフェンスの奥へと消えていた。

広場に戻って逆側の支線も観察してみよう。 分岐点付近は草薮になっており、桜の樹の植わっている並びが何となく線路跡に沿ってカーブを描いているような気もする。 海軍道路から西側は少し地形が切れ落ちていて、こちら側の支線はその崖っぷちの上を通っていたようである。 ただその先で東西方向の道路と交差した後、施設があったと思しき敷地は現在一面の広大な耕作地となっており、当時の面影を探すのは困難だった。 再び分岐点に戻り、本線の北端まで歩を進める。 米軍広場を過ぎると人混みも途絶えて来て、この区間は静かな花見を楽しみつつ歩く事が出来る。

そう言えば高校受験の時、遊歩道に咲いた満開の桜並木の下を歩いて結果発表を見に行った事があった。 その学校はクラスメートの3人で受験したのだが、何故か発表当日に一人は一緒に来なかった。 それは発表会場に着いてから知った事であるが、彼は落ちてしまったのだ。 おそらく事前に一報が入っていたのだろう、前日に先生の方から声がかかり、それでこの日は行動を別にしたらしい。 私ともう一人の級友は受かっていたが何だか手放しで喜ぶ気持ちにもなれず、学校まで報告に戻る帰り道は二人とも無言だった。 ハラハラと散り出した桜の花を眺めていると、昔を思い出して何だかちょっとほろ苦いような気分に浸ってしまう。

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そんな記憶の糸を辿りつつ線路跡の終わる海軍道路の北端まで踏破したが、さて、ここから再び同じ距離を歩いて駅まで戻る行程が残っているのは言うまでもない。 小一時間ほど歩き通し、疲労困憊して瀬谷駅前のスーパーに立ち寄り、買い込んだ肉厚のカツサンドを駅前広場のベンチで頬張った。 支線分も含め往復で8km程を踏破した事になるが、あそこからは瀬谷よりむしろ田園都市線の南町田駅の方が近かったとか、いっそのことバスに飛び乗ってしまうという手もあったのだ。 そう思いついたのは、家に帰って来て地図を再確認した後の事だった。


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