乗車12分程で黒崎に着き、駅前のペデストリアンデッキから階下へ降りて、筑豊電鉄の駅へと向かう。 築鉄の駅名は「黒崎駅前駅」で、京成にあった「国鉄千葉駅前駅」を彷彿とさせる。 駅は複合施設ビルの1階に入っており、ターミナルらしい櫛形ホームが好ましい。 ビル内のすぐ隣にはバスセンターがあり、一部系統は同一ホームでの乗り換えも可能だ。 残念ながら筑豊電鉄にはフリー切符的なものは無いが、Suicaが使えるのは有難い。 このあと西鉄にも乗るので、券売機で少しチャージをしておいた。
コンビニも隣接しているので昼食をそこで調達したあと蒸し暑いホームで待っていると、やって来たのは西鉄天神大牟田線のアイスグリーン塗装を纏った主力車両3000形だ。 降車が終わってこちらのドアが開き、入口でカードをタッチしてステップを上る。 土曜昼なので車内に通勤客の姿はなく、買物利用の人が中心のようだ。 11時ジャストに発車。ん!?このモーター音は… 吊り掛け駆動だ!! 見た目の割に駆動系が古い様だが、これは西鉄から譲渡された2000形の機器を利用し、ボディを新製して作られた車両との事である。
走り出すとすぐに西黒崎駅に停車、その間わずか200mで鉄道線の駅間としては日本最短だそうだ。 そう、筑豊電鉄は軌道でなく鉄道として運行されている。 次の熊西駅までの区間は元は西鉄北九州線の線路で、築鉄はそこへ乗り入れる形で運行を行っていた。 2000年の北九州線廃止後もこの区間だけは西鉄の線路(軌道)のまま残ったが、2015年には築鉄に譲渡され鉄道化したという経緯だ。 しばらくJRの線路に沿って走り、熊西駅を出るとようやく左へとカープして鹿児島本線と別れる。 市街地の中を貫く路線は立派な複線で、途中の穴生駅は高架になっていたがホームが低いので何となく面白い光景である。 電車は市街地を離れ、周囲は徐々に郊外風景になって来る。 驚いたのは、路面タイプの電車なのに結構なスピードで飛ばして行く事だ。 路線データ上は最高時速60kmとなっている。
筑豊中間(ちくほうなかま)駅は、全線16kmのうち黒崎からのキロ程7.9kmで、その名の通り(!?)中間に位置する。 電車も半分はここで折り返すダイヤになっている中核駅だ。 車両は2連接で連結部の眺めが面白いので、私は2両目の後部に腰掛けて前方を観察している。 車内は冷房も効いて快適なのでこのまま終点まで行ってしまいたい所だが、それではあまりに能がないので、途中の楠橋駅で下車をした。 駅とは言え、築鉄の路面タイプ電車に対応したそれは、限りなく停留所という風情である。 向かいのホームから、「ありがとう平成」のヘッドマークを付けたライトブルーの新鋭車5000形が静かに発車して行った。
ここ楠橋駅には電留線と車庫があるので、それを見に行こうと歩き出す。 しかしお昼も近くなり真上からお日様に照らされる暑さは非常に応える。 よっぽどリュックから雨傘を出し、日傘がわりにさそうかと思ったが、少し歩くとすぐに留置車両が見えたので辛うじて踏みとどまった。 車庫の脇にズラリと並んでいるのは2連接の3000形、一番奥手にはライトグリーンの5000形が1本休んでいる。 その間から控えめに顔だけ見せているのは1編成だけ残る古参の2000形、塗装は正面が西鉄マルーンとベージュ、側面は黄色地に赤帯と異なるが、こちら側から見てはいけない。 正面と右側面が同じ配色の2種類の復刻塗装になっているのである。
ひととおり電車を観察し、ホームに戻る。路面タイプの低いホームに小さな屋根では暑さの防ぎようもない。 持参した扇子でパタパタと汗の噴き出る顔をあおぎながら、黒崎で買って来た塩むすびで腹ごしらえ。 こういう時は水分と塩分補給が大事である。 10分程の待ち時間でやって来たのはピンクの5000形、これで3色見る事が出来た。 乗り込むとさすがに冷房が充分効いており、ホッと一息ついて生き返る。 楠橋を出た電車は山陽新幹線、続いて九州自動車道の高架を潜る。 何駅か過ぎて右へ大きく向きを変えると遠賀川を長いガーダーでガタンガタンと渡り、終点の筑豊直方駅に着いた。
駅は対向式ホームの2面2線だが、電車は渡り線を通って右手のホームに停車。 降車ドアは進行左側だからどうするのかと思っていると、運転士が後部側の運転席へ移動した後、そちらのドアを開けて一件落着だった。 降りたホームには制服姿の女子生徒が多数で、無人駅ながら華やかな賑わいがあった。 高架ホームから階段を降りて地上へ。 道路の向こう側にはタクシー会社の脇から駐車場が続いているが、ここは筑豊本線をオーバークロスして飯塚市方面へ路線を延長する計画があり、その為の敷地だったのだそうだ。 それでわざわざ高架駅にしたというわけだが、結局計画は実現せず、少々無駄な施設と化しているのが哀しくもある。