宇部・小野田線

ここからは再び山陽本線を離れ、これまた未乗車の宇部線に乗る。 昼の長い夏の日も段々と夕刻が迫って来たが、本日は宇部新川泊まりなのでもう一頑張りしよう。 ホームへ降りて行くとそこに待っていたのは黄色い2両編成。 「あれ、さっきまで乗ったのと一緒?」という既視感があったが、よく見るとこちらは105系で、山陽本線でここまで乗って来たのは改造により2両化された115系であった。 宇部行きの電車は、発車するとしばらく山陽本線に沿うように走り、やがて徐々に左へと分かれて行く。

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宇部線というと工業地帯を走る電車とのイメージを抱いていたが、このあたりの周囲はまだ田園風景だ。 線路は地理的には海岸近くではあるが、一歩奥まった場所を走っており車窓から海は見えない。 車内はそろそろ夕方の退勤時間にかかって来て、徐々に会社勤め風の乗客が増えて来た。 右に大きくカーブして宇部岬駅を過ぎると、あたりは建物が密集した市街地となる。 本日の宿を取っている宇部新川に到着、ここで多くの人が降り、入れ替わりに多くの帰宅客が乗って来た。

この駅で一旦下車して宿に荷物を置いて来ても良いのだが、時間が無いのでこのまま宇部まで乗り通す。 宇部着は17:30で、10分後に折り返す同じ電車に乗り、途中の居能駅で小野田線の電車に乗り換える… つもりだったが、西日の射すホームで15分程待つのもつらい。 調べてみると一駅先の宇部新川まで行っても間に合うし、電車はそこ始発なので、そちらの経路を選択した。 宇部・小野田線の線路配置と運行パターンが頭に入っていないので、ちょっとパズルを解いている様な気分でもある。

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乗り込んだ小野田行きはクモハ123形、単行運転出来るように、両運転台を持つ荷物電車を改造した異色の形式である。 電車は次の居能駅から小野田線に入り、厚東川の河口近くを心細い上路橋でゆっくりと渡って3駅先の雀田へ。 夕刻のこの時間にこの場所へ来たのはもちろん、日に3本しか走らない貴重な長門本山行きに乗るためだ。 Y字に開いた雀田駅ホームの片割れで待っていたのは 123-5、同じ123系ながらも、荷用扉位置に両開きドアを入れ込むという異端車だ(後に中央寄りドアは車端側へ移設)。 本山支線は近年まで旧国電が残って走っていた路線でもあり、関東で言えば鶴見線の大川支線といったところだろうか。

一通り写真を撮った後にドアボタンを押して車内に入る。 車端部は窓が少なく、客用ドアがグッと内側に寄った配置になっているのが面白い。 車両中央部にはトイレがあって電車としては違和感があるが、両運転台でこのドア配置なので仕方が無い。 いずれにせよ、トイレの近い身にとっては有難い事だが…。 私と一緒に乗り換えた客も含め、車内は10名位だろうか。 見回してみた感じ数人が地元客という風情だが、残りはおそらくご同類だろうと想像がつく。

接続3分で発車した電車は、ゆっくりと住宅地の間を進んで行く。 唯一の途中駅「浜河内」で数人が下車。 生活利用者の他、撮影目的の人も一人降りた様だ。 発車すると草の生い茂る間をゆらゆらと進み、最後に小広い空地の様な所へ出て狭いホームへと進入した。 ワンマン運転で無人の終端駅なので、運転士に切符を見せてホームへ降りる。 数名の家に帰る人が駅から散って行き、残ったのは鉄分の多い男子ばかり。 いや、中に女性も一人いた。

折り返し待ちの20分ほどは、時間としては丁度良い。 皆、駅周辺に散らばって三々五々撮影を楽しんでいる。 お互いフレーム内に見切れないようさりげなく配慮しているのも、手馴れた感じがしてそのスジの人達だなと思う。 何枚か撮影したのち私は一人駅を離れ、道路向こう側の海を眺めに行く。 18時を回っていて既に日没間近だが、夏の事とてまだ空も海も明るかった。 元々このあたりは本山炭鉱として栄えた場所で、近くには市指定文化財になっている斜坑坑口跡もあるらしいが、そこまで時間の余裕が無く見に行けなかったのは少々心残りだ。

photo 長門本山駅に停車中のクモハ123-5。奥手が線路終端部でその向こうは海岸だ

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駅に戻り、線路横の道からもう少し電車を撮影する。 フェンスも何もなく、発車を待つ大きな電車の床下機器が目の前に並んでいるのは少々不思議な気分である。 一人居た女性も、そこに咲く向日葵と電車をからめて構図を決めているようだった。 時問が来て、再び同じメンバーを乗せた電車が帰路に就く。 行先は宇部新川となっているが、接続する小野田からの電車の方が20分ほど先発するので、雀田駅でそちらに乗り換えた。

宇部新川駅に到着し、長い一日が終了。 当初旅の計画を立てる際、山陽本線の字部駅周辺になかなか宿が見つからないのを不思議に思っていたが、宇部の中心市街地はこちら宇部新川の方だという事を知らなかったのである。 宇部の街外れに山陽本線の宇部駅が出来、普通は徐々にそちらへと中心街が移って行くものだが、ここはそうならなかったという事か。 ちなみにその日の宿は、宇部軽便鉄道が開設した初代宇部新川駅跡に建ったものだというのは、後日気づいた事である。