11時少し前に終点の岩国に到着。 制度上は存在しないみたいだが、糸崎からここまでが広島の近郊区間という感じだろうか。 この先今日は山陽本線を離れ、未乗の岩徳線に乗る事にしている。 海回りの山陽本線をショートカットする目的で建設されたものの、勾配がきつくトンネルや急カーブも多かった為、結局主役の座を譲り渡す事となってしまった悲運の路線だ。 山陽本線として使用されたのは僅か10年、その後複線化の際に海回りの元の路線に本線の座を譲り、こちらは岩徳線に戻ったという経緯である。
現在の駅は2年程前に橋上化されたばかりとの事で、まだ綺麗なトイレに寄り岩徳線の出る1番のりばへ降りて行くと、ホーム奥の方に懐かしい首都圏色をしたキハ45が1両アイドリングをしていた。 早く冷房の中に身を置きたい所だが、ドアボタンのランプが点灯していないので発車準備中のようだ。 仕方なく、暑いホームでしばらく待つ。 実は岩徳線は有名な錦帯橋のそばを通るので、途中下車してたまには観光地らしい所に寄ってみようかと思う。 普通の人は岩国からバスで向かうようだが、私は敢えて鉄道に拘りたい。
同じホームの徳山側は先端の方が切り欠きになっていて、しばらくするとそこへカラフルな気動車が到着。 こちらより先発する錦川鉄道(旧岩日線)の軽快気動車で、途中の川西駅までは岩徳線の線路を走るのでJRの切符でも乗車可能だが、もちろん私はキハ45の方に乗りたいと思う。 錦町行きの気動車を見送った後、10分ほどしてこちらの徳山行きも発車。山陽本線を左手に分け、市街地を緩くカーブしつつ抜けて行く。 錦帯橋へは次の西岩国駅も近いが、経路的には錦川を渡った川西駅の方が距離が短いので、そちらで下車した。
川西はホーム一本の棒線駅で、築堤上に設けられている。 鄙びた無人駅で誰もいないかと思っていたが、意外にも学生服姿の生徒達がたくさん乗り降りして活気がある。 近くに宗教団体の教会があり、今日はそこで夏休みの行事か何かが行なわれているようだ。 駅から錦帯橋へは徒歩で20分程かかる。 さほど遠くないとは言え、風も無い炎天下にアスファルトの照り返しを受けながらテクテクと歩いて行くのは、なかなかに難儀だ。 錦川を渡る道路橋の上から遠くに錦帯橋が見えたが、まだあそこまで行くのかと思うとさらに汗が吹き出す。
ようやく橋の袂に到着し、入橋料金を払ってとりあえず橋の上へ。 来る前は、あれだけの太鼓橋だからさぞや歩き難いだろうと考えていたが、実際歩いてみるとそんなでもない。 ただあまりにも日射が強いので、途中でもういいやという気持ちになり、向こう岸まで渡らずに橋の中央あたりで折り返してしまった。 どこか日差しを避けられる場所はないかと見回すと、交差点の角にバスセンターがあったので、そこの待合所のベンチを借りてお昼にする。 暑くて食欲もないので、今日もコンビニのお握りだ。
待合所に冷房は無いが、ビルの1階吹き抜けとなっており、程よく風が通るのが救いである。 食後しばらくボンヤリしていると、目の前の柱に「いちすけ号」の案内板が貼ってあるのに気づく。 実はこれ、かつて岩国駅と錦帯橋付近を結んでいた岩国電気軌道の電車を模したバスなのだ。 「いちすけ」とは岩国電軌を興した藤岡市助の事で、東京電燈の設立者でもあり、浅草凌雲閣に日本初のエレベーターを作った事でも知られている。 あわよくば帰りに乗ってみたいと思っていたが、普通の路線バスの中に組み込まれていて運行情報が無いので、いつ来るのか分からない。 バスは諦めるとして、だがせっかくなので途中の西岩国駅あたりまで軌道跡を歩いてみようかと思う。 そういう事に関しては、暑さも厭わない自分が居たりするのである。
岩国は錦帯橋の向こうの山上に建つ岩国城の城下町であり、このあたりの地区は旧市街にあたる。 かつて岩国軌道がここまで通じていた様に、岩国の中心街であったのだ。 広い歩道の通りを日陰を選びながら進んで行くと、右手に郵便局が見えて来る。 その左手の街区に軌道の終点「新町」電停があったとの事だが、特に遺構は残っていないらしい。 さらに進んで行くと右手の角に食料品店があり、そこから細い路地が奥の方へと伸びている。 岩国電軌は車両は路面タイプだが線路は全線専用軌道で敷設され、事前に仕入れていた情報によればここがどうやら線路跡のようだ。
道は廃線跡の特徴として細く、所々で緩いカーブを描いている。 両側に迫った民家も歴史を感じさせる古いものが多く、途中には市営バスの「森木口」待合所となっている木造の建物もあった。 軌道時代にはこの付近に「錦見」停留所があり、待合所も設置されていたという。 暑い中、写真を撮りながらテクテク歩いていると、狭い道路に似つかわしくない大型路線バスが私を追い抜いていった。 これが「いちすけ号」であれば悔しい思いをする所だったが、普通の車体のバスで良かった。
そのうち大きな道路に突き当たり、軌道跡は向こう側にまだ続くが、ここで左手すぐが西岩国駅なので、探索を切り上げそちらへと向かう。 駅前にコンビニがあったので体を冷やすためしばらく逗留、氷嚢代わりにパウチ入りのアイスを購入し、それを首に当てながら歩道橋を渡って駅へ。 西岩国の駅舎は重厚感のある大変立派なもので、近代的に整備された岩国駅とは好対照だ。 それもそのはずで、岩徳線が山陽本線を名乗っていた一時期は、こちらが「岩国駅」と命名されていたのである。
柱に重要文化財の銘板も取り付けられているエントランスから待合室に入り、深閑とした中で一人アイスを喰らい人心地がついた。 次の列車まで30分ほど間があるが、それすら先ほど川西まで乗った列車の次の便で、岩徳線の列車密度の低さを物語っている。 1時間半ほど彷徨っていた間に、下り列車は一本も通っていないのである。 時間が近くなり、跨線橋を渡って乗り場のホームへ。 先ほどと同じタラコ色のキハ単行がやって来て、私を含め待っていた数人の客を拾い、この駅を後にした。
車内は結構混雑しており、座席は既にいっぱいだ。 気動車はエンジンの唸りを上げ、長いトンネルを抜けて夏の濃い緑の中を疾走して行く。 途中の玖珂(くが)駅では多くの乗降があり、この沿線中ではわりあい大きな街があるらしかった。 山中を1時間強走り続けて櫛ヶ浜で山陽本線と合流し、14:26に徳山駅に着いた。 事前の経路探索ではここで30分ほど乗り継ぎ時間があると出ていたが、すぐ2分後に出る接続列車があった。 知らずにトイレに行っている間に乗り遅れたが、このツールはちょっとクセがあるので、調べる際には注意を要する。
結局、当初予定通りの列車で新山口へと移動。 だがそこから乗る宇部線に本数が無い為、どちらにしても同じ事という結末であった。 ここでの待ち時間は45分あるので、一旦改札を出てみる。 さすがに新幹線の乗換駅だけあり大きく立派で、構内の土産店などを冷やかしながら時間を潰す。 この駅は自由通路がオープンデッキ構造になっており、冷房は無いが壁面緑化などがあって洒落た佇まいで旅人の心を癒してくれる。 ただ駅名の「新山口」は私にはいまだに違和感があり、かつての「小郡」の方がしっくり来るのである。