弥彦線, 蒲原鉄道

まだ30分位あるが待ちきれずホームに入ってゆくと、既に弥彦線の電車は0番乗り場に入線して発車を待っていた。 車両は通勤型E127系の2両編成、冷房の効いた車内で食後の休憩をとる。 満腹でウツラウツラしてるうちに発車時刻となり、ドアチャイムが鳴って電車は動き出す。 車内は座席が3割方埋まる程度で空いているが、発車と同時に私は先頭部へ立って被りつきを決め込む。 その理由は架線を観察する為、弥彦線では大変珍しい架線方式が使われているのである。

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しかし、発車してしばらくは何と高架線上を走り、この区間は架線も新しいものに取り替えられたようで普通のシンプルカテナリである。 運転席の後ろに陣取ってじっと架線を観察している私の逆サイドには、一眼を構えたオジさんが一名、しきりに写真を撮っている。 いわゆる撮り鉄さんだろうが、架線に興味は無いようだ。 やがて地上へと降りしばらく走って信濃川を渡ると、正面を横切る新幹線の立派な高架が見えて来る。 その真下にある燕三条駅のホームへと停車、さすがに新幹線との乗り換え駅なのでそこそこの乗降があった。

燕市と三条市の中をとって燕三条、いかにも新幹線な命名の駅を発車するといよいよ注目の架線が出て来た。 コスト削減の為に採用された直接吊架式は吊架線の無い簡易的な方式で、言ってみれば路面電車などで良く使われているタイプだ。 その構造から架線柱の間でどうしても架線が垂れ下がるので高速度の運転には向いておらず、その為に弥彦線は全線85km/hに速度制限がかかっている。 電車はその架線の下をまっすぐに、彼方に見える弥彦山を目指して走り続ける。 実は午前中に乗った越後線もこの架線方式の区間があったのだが、失念して席にボンヤリ座っていたので観察出来なかったのだ。

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しばらくすると右手から線路が見えて来た、これは先ほど乗ったその越後線だ。 複雑なポイントをいくつか渡り、広い構内の吉田駅へと到着する。 ここで8分程停車して列車交換と越後線の接続待ち。 撮り鉄おじさんは車内の床にリュックを置いたままホームに出て、こちらの方にレンズを向けしきりにシャッターを切っている。 その間に後ろの方から5人組の子供達が乗って来て、私の横をズラリと占拠して被りつきの体制。 戻って来たおじさんは彼らの足の間からリュックを引き出し、そそくさとロングシートに着席した。

発車すると子供達のうちの一人が「架線に注目!」と発言し、私は心中「おぉッ」と驚いた。 「ここはね、直接吊架式と言って、全国的にも珍しい架線なんだ」中学生位だろうが、なかなかの知識である。 もっとも、今の時代、ちょっとネットで検索をかければ色々な情報が得られる。 私だって某百科事典でこの事を知ったのであるからして、まこと便利な世の中になったものだ。 そうこうしてるうちいくつか駅を過ぎ、電車は赤い雅な駅舎を携えたホームに滑り込んだ。 皆が降りる支度をしているので気がつくと、そこはもう終点の弥彦駅なのであった。

一般観光客は駅前から弥彦神社、さらにはロープウェイで弥彦山頂へと向かう。 駅から神社までは徒歩で10分程度だが、炎天下を歩く気に全くならないので私はここで折り返し。 撮り鉄おじさんと子供達も同じ行動のようで、大きな待合室に3組7人がそれぞれ収まった。 帰路も同じ経路で弥彦線に乗り、東三条からは再び信越本線の電車で新潟方面へと向かう。 もちろん車中から昨日の加茂駅付近の遺構撮影を試みたが、思いのほか電車が速く走ったので見事にブレブレになってしまったのである。

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さて明日はひたすら帰る事に専念したいので、今日のうちにもう一箇所の表敬訪問を済ませておこう。 新津駅に降りたのは午後の3時頃、そこで少し待って磐越西線のキハ110に乗り換えた。 目的地はもちろん蒲原鉄道の乗り入れていた「五泉」、この列車の終点でもある。 新津を発車すると左へカーブして信越本線から離れ、ここから先は磐越西線の未乗区間。 だがそれを楽しむ間もなく、僅か4駅であっという間に五泉駅へと到着だ。 跨線橋を渡って改札を抜けると、駅前の小広場には何台かのタクシーが客待ちをしている。 いかにもな感じの国鉄地方駅の風情である。

蒲原鉄道のホームがあったのは線路の反対側なので、駅の上を跨ぐ自由通路の階段を登る。 駅裏口があればそのまま行けるのだが、ここは二度手間の難行苦行となるのは致し方無い。 階段を登りその窓から下を覗くと、駅裏の敷地に何やら重機が入って作業が行なわれているのに気づく。 おゎ!遅かった。蒲原鉄道ホーム跡の敷地は、目的は分からないが転用工事が始まっているようだ。 階段を降りるとその現場前に出るが、フェンスで囲まれていて中には入れない。

そこから先の廃線跡はどうなっているのかと追っていくと、緩いカーブそのままに道路へと改造する工事が進んでいる。 まだ開通していないので車は入って来ないが、線路沿いの元々あった側道と合わせて歩道のある道にするようだ。 してみると駅前はそれに繋がる広場にでもなるのだろうか。 線路跡に沿って300m程進むと、ようやく工事のされていない直線区間が出て来てホッとした。 やはりこういう草むらで残っている方が風情が感じられるのだが、無駄に土地を遊ばせておくわけにもいかないだろうから、現実はなかなかに厳しい。

photo 五泉駅から村松方面へと真っ直ぐに向かう蒲原鉄道の線路跡

もう少し廃線跡を深追いしたい所だが、ここらで切り上げ、駅に戻って新津へ帰る事にする。 五泉駅ホームでアイドリングしていたのは先程乗って来た気動車、再び同じ席に着き、出発するまで冷房で一息ついた。 午後4時を回ったが、まだまだ外は暑いのである。 新津からは新発田まで迂回して白新線に乗ろうと考えていたが、調べていた発車時刻になっても、どのホームにも案内表示もアナウンスもない。 仕方なく、丁度発車しようとしていた新潟行きのディーゼルカーに飛び乗り、この日はそれで乗り納めとした。 何故、新発田行きが来なかったのかは、いまだに不明で謎である。