宿を出てまずやって来たのは阪神電鉄の梅田駅。 地下2階のホームへ降りると目の前に赤胴青胴車や山陽特急の顔が並んでいるが、この光景を見るといかにも大阪にやって来たなという実感が沸くのである。 優等列車を尻目に普通高速神戸行きに乗り込み、大物(だいもつ)駅にて阪神なんば線に乗り換え。 2009年に開業したこの線に、当然ながら私はまだ乗っていない。 ここから大阪難波駅までの新規区間に初乗りをしようというわけだが、後で考えたら阪神なんば線の起点は大物でなくお隣の尼崎。 つい分岐しているこの駅で乗り換えてしまったが、尼崎~大物間は阪神本線と阪神なんば線が並走する形になっているのだった、アチャー。
大物から乗ったのは近鉄車で、阪神に比べて車体が一回り大きいから何となく車内もゆったりとした感じがする。 路線は部分的に西大阪線時代のローカルな面影を残しているようだ。 途中の「福」は地上駅で両側を踏切に挟まれていたりする。 長い鉄橋で淀川を渡り、西九条を発車すると新線区間に入って丸いシェルター状の防音壁の中を進む。 外は見えないが、周囲はきっと住宅密集地なのだろう。 地下線に入って桜川を過ぎれば、もう下車駅の大阪難波に到着、隣のホームには近鉄特急が発車を待っている。
広い地下コンコースから地上へ出るとそこは阪神高速のインター真下、建物のガラスに反射する朝の日射しが眩しい。 ビルの谷間を先ほど通った桜川駅まで1区間歩いて戻り、そこから南海の汐見橋線に乗る。 なぜ桜川で降りなかったかというと、阪神なんば線を完乗したかったからに他ならない。 しかしながら、結果的には尼崎~大物間を乗り逃すという不手際をやらかしたわけであるが…。
JR難波駅の地下入口を横目で見つつ、歩道をテクテクと徒歩移動。 これが意外と距離がありまだ朝とは言え夏の暑さにバテた。 ようやく最寄りの交差点に到着して横断信号が青になるのを待っていると、道路の向こうで南海電車が発車して行くのが見えた。 ありゃりゃ、ここは本数が非常に少ないから次までだいぶ待たされそうだ。 しかし逆に言えば、駅周辺や構内をじっくり観察する時間が出来たという事になるな。
汐見橋駅は、高速道路や流通倉庫に挟まれた谷間にひっそりと侘しく佇んでいる。 すぐ脇には阪神なんば線桜川駅の小洒落た地下入口が口を開いているのと好対照だ。 そのワビサビ加減は半端なもんじゃないが、かつてここは高野線(さらにはその前身の高野鉄道)のターミナルだったと聞けばそれも頷けるものがあるだろう。 線路は途中で分断されて都会のローカル支線となっているが、現在でも戸籍上は高野線の起点駅なのである。
周囲を一巡りしたあと煤けたような外壁の駅舎内に入ってみると、これもまた驚きの光景が視野に飛び込んで来る。 目の前の壁一面にバーンと貼られた薄汚れた看板、いやこれは昔の沿線案内図なのだ。 一部が破れてしまっていて全体に退色も進んでおり、判読が難しい状況だが、脇にはご丁寧にも「現在の路線案内については係員におたずね下さい」の注意書きがある。 古びた駅員室も古風な造りで、駅全体が歴史遺産ともいえるような状態だ。 一応タッチカード対応となっている改札口を通り、ホームへ出ると案の定、待ち客は一人もいない。 すぐ隣には交通量の多い産業道路、そして上空には阪神高速が通っているが、この駅の空間だけは時代に取り残されたように静かな時を刻んでいる。
やがてやって来たワンマンカーは、角ズームとも呼ばれる2230系の2両編成。 折り返し発車時の乗客は私を含め5~6名といったところだった。 途中駅もなかなか鄙びた風情というか、都会のまっただ中とは思えない光景が展開した。 ここを地下線に繋げて新大阪方面へ乗り入れるという計画もあるようだが、中継点としては難波駅の方に分がありそうな話も聞く。 ヘロヘロとした線路をしばらく走って高架に登ると、そこはもう終点の岸里玉出(きしのさとたまで)。 南海本線・高野線の集まるジャンクションだが、汐見橋線の電車はその片隅の短いホームに遠慮がちに停車した。