阪堺電車

photo 阪堺電軌阪堺線、恵美須町駅。キン肉マン塗装の501形は私と同い年だ。

長い連絡通路を渡ってV字型に離れた高野線の乗り場へ。 上がって行くと対向ホームの背中の壁に直射日光が真正面からあたっていたので、階段脇の日陰でしばらく電車を待つことにした。 やって来た各停で4駅ほど移動し今宮戎で下車、蝉しぐれの「えべっさん」脇をトコトコ歩き、大通りを渡って恵美須町(えびすちょう)駅へ。 ここから大阪の路面電車、阪堺電軌阪堺線に乗るのだ。

恵美須町駅は路面電車とは言え立派なターミナルで、櫛形3面2線のホームで構成されている。 清掃員のおじさんが構内に水を撒いてくれており、ホーム一帯も涼しい風が吹いている。 運賃は全線均一200円で降車時に料金箱に入れる方式、そして乗換指定駅では乗換券を発券してくれる。 時間が来るとグワーンと重い音を立てて走りだし、しばらく路地裏の専用軌道を進んで行った。

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私は最後部の座席に陣取って、運転席の窓越しに過ぎ去る景色を見ている。 何となく線路が広いなと思ったら、ここの軌間は都電と違って1,435mmなのであった。 岸里玉出駅の高架下を潜るとようやく路面区間となり、さほど広くない道路を車と並走しながら走る。 玉出のあたりはパチンコ屋が多いんじゃないか、なんてくだらない事を考えているうちにこの電車の終点、我孫子道に到着。

私はこの先、浜寺駅前まで行くので運賃を払った後に乗換券をもらい、下車した同じホームで後続を待つ。 乗って来た電車は少し進んで本線上で停車、折り返して車庫へと入って行った。 それを見届けて後ろを振り向くと、天王寺駅前を発車して途中から阪堺線に合流する上町線の電車が、遥か彼方から向かって来るのが見えている。 これが浜寺まで行く次の電車、小さなホームで待っているのは私と大阪のオバチャンが二人だけである。

後続の浜寺駅前行きに乗り、大和川の長い鉄橋を渡って専用軌道をしばらく走ると広い道路の中央に出た。 ここからは、紀州街道の真ん中をセンターリザベーションで進む区間、見通しが良く車も軌道敷内に入って来ないので快適だ。 ふと気づくとポケットに入れた筈の乗換券が見当たらない。 スマホと同じ場所に入れていたので、出し入れしてるうちにどうやら我孫子道駅で落としてしまったみたいだ。 仕方ない、初乗りと同じになったのでまた200円を払うしかないな。

それはそうと、先ほどからヤンチャ風な若い兄ちゃんの3人グループが車内後方で騒いでいる。 土地柄なのか、乗っている他の客達も大して意に介さないようだ。 しかし、関西弁だと騒がれてこういう状況でも何となく険悪ムードが漂わないのは何故だろう。 結局彼らは終点の浜寺駅前で私と一緒に降りたが、「プール、プール!」と嬉しそうに公園の方へ走り去った。 そうか、もう夏休みの時期に入ったのだな。

photo 駅舎が登録有形文化財となっている浜寺公園駅。これは見事だ!

水間鉄道

浜寺公園はその名の通り海岸に立地するが、現在では沖合が埋め立てられて海側は運河となっている。 残念ながら園内を散歩する時間はないので、何となく潮風を肌に感じながら公園を背にして南海の駅へと向かう。 既に通りの突き当りには登録有形文化財となっている駅舎の偉容が見えて来ているのだが、近づくにつれてその造作の見事さが際立って「これは凄い」と思わず呟いてしまった。 ハーフティンバー様式の華麗な駅舎は明治40年に建築された私鉄最古のもので、東京駅を手がけた辰野金吾の事務所による設計。 近畿の駅100選にも入っている貴重な存在なのだ。

近代化された改札を入り、地下道を通って下り線のホームへ移動。 しばらく待って普通列車で隣の羽衣へ移動、空港急行に乗り換えて貝塚駅にて下車、次はここから水間鉄道に乗る。 水間鉄道は水間観音への参詣客輸送を目的として設立されたが、近年は利用者の減少等で負債が経営を圧迫し2005年に会社更生法の適用を申請。 現在は広く外食チェーン店を経営するグルメ杵屋の子会社となり、会社再建がなって再出発という経緯を経ている。 ともあれ、この小さな私鉄電車が何とか生きながらえて運行継続されていることに、私としては敬意を表したい。 乗り場は南海の改札を出て橋上駅舎の階段を降りた先、頭端式の小さなホームに面して改札口があった。

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乗降には今朝からずっと、関東から持って来た Suicaを使っている。 ここにも簡易式のタッチ改札があったので、なんの問題もなくすんなり入場出来た。 ホームに入って来たのはステンレス製の電車、見覚えのあるこの顔は東急の7000系だろうか。 会社は以前より南海系列ではないが、南海の譲渡車を使っていた時代もあるようだ。

水鉄の電車は発車するとほぼ90度の急カーブで南海本線から離れ、東南方向へ向かって一直線に淡々と走る。 途中で阪和線と交差するが、そこに駅はない。 阪和線の前身は阪和電鉄という南海のライバル会社、水間鉄道が貝塚駅へ乗り入れる工事を南海と共同で行なう際に、阪和線との連絡駅を作らないという約束がされていた為らしい。 周囲は住宅地で特にこれといった特徴はなく、割合と平凡な都市近郊の通勤路線という感じの車窓が続く。

高速道路の大阪外環状線をくぐると、終点の水間観音駅に到着。 さすがにここは水間観音の玄関口で、なかなか瀟洒な駅舎が出迎えてくれた。 駅を取り囲む家並みなども、古式ゆかしい空気に覆われている。 水間観音へは駅から10分程度歩けば良いのだが、ここまで来て、乗って来た電車でそのままとんぼ返りする私は相も変わらず愚の骨頂かも知れない。

だが発車までの束の間、駅の裏手に保存されている旧型車にはしっかりと会いに行った。 実は水間鉄道に関心を持ったのは、以前この会社の現役時代のモノクロ写真を見て、私の故郷を走る新京成の旧型車そっくりに見えたからである。 しかし実際に目の前の電車をカラーで見ると、当時の色が再現されているのだろうが、腰回りがかなり派手な赤で印象とは若干異なる事が判明した。

photo 水間観音駅ホーム先端からは車庫や側線が見える。