電車は淡々と走って、終着の吉良吉田駅に着いた。 ここで線路は右に大きくカーブして西尾線へと繋がっているが、私の乗っている蒲郡線の電車はそのまま真っ直ぐに進んで、別のホームへと停車した。 吉良吉田駅は、蒲郡線、西尾線の他に以前は三河線が碧南から吉良吉田まで来ていたという。 三河線のこの区間は2004年に廃止されたが、そのホームが残され活用されているのだ。 乗って来た電車を降り、西尾線へと乗り換える。 両ホームを繋ぐ通路には乗り換え改札が設置されており、ここから先はICカードも使えるようだ。 ははーん、別ホーム発着になっているのはそういう理由だったのか。 私は磁気券のフリーきっぷを改札機に通して西尾線乗り場へと向かう。
蒲郡線との線路接続の関係で西尾線のホームは急カーブを描いており、ドアによっては隙間が大きいので乗降に注意が必要だ。 待っていたのは3500系4両編成、急行の弥冨行きである。 名鉄の路線系統を良く把握していないが、本線に入り名古屋を経て津島線、尾西線を経由して弥冨まで行くのだろう。 西尾と尾西の両線が本線を介して運行的に繋がっているのは、何となく語呂合わせの様で面白い。 発車して驚いたのは、その走りのしっかりしている事、かなりのスピードで飛ばしているし、線路の規格も高いようだ。 西尾線は全線に渡ってほぼ単線であるが、ローカル線の域は超えているかも知れない。 電車は急行運転で田園地帯の中を疾走して行く。 西尾駅あたりからは、車窓風景は徐々に郊外の住宅地の様相になって来た。 およそ30分強で名鉄本線と合流して新安城着、そこから5分程走ればもう知立に到着である。
降り立った知立駅、以前から地図で見ていて感嘆したのは、この一帯の線路配置が極めて異常な事である。 それは西武の小平デルタ地帯にも似ているが、果たしてここもその生い立ちには複数の鉄道会社が絡んでいるのだった。 それに輪をかけているのが知立駅の高架化事業が開始されている事で、既に一部仮ホームに切り替わった乗り場もあって、全体に雑然とした印象が強い。 乗り継ぎに少し時間の余裕があるので、跨線橋を登り下り往復して駅舎側にあるトイレへ行き、その後に売店を覗こうと思っていた。 この駅の売店には知立名物「あんまき」が置いてあるらしく、甘党の私は密かに狙っていたのだ。 だがトイレを済ませたらそれをコロッと忘れてしまい、次乗る電車のホームに渡ってから思い出すという、少々間抜けな事をした。 買いに戻っている時間の無いのが残念だ。
三河線はこの駅を境にスイッチバックしており、関東だと東武野田線の様に運行形態も二つの区間に分断されている。 ここからまずは通称海線と呼ばれる南側の区間に乗り、碧南を目指す。 入線して来た折り返しの電車は2両編成で、ホームで待っていた客は目の前を素通りされて乗車口へと一斉に駆け出した。 夏休みなので普段乗り慣れない人が多いのだろうか、もちろん私もその一人で、走り出す人達の後に続く。 乗るのは蒲郡線と同じく6000系、名鉄と言ったらやはりこの顔だ。 先頭車先頭部が混雑しているのはワンマン運転だからだろうか。
知立駅を出るとすぐに右へ右へと90度ほどカーブし、しばらく進むと新幹線の高架下を潜り、さらに走ってJRと接続する刈谷駅に到着。 ここで大半の乗客が入れ替わり、電車は少し身軽になった。 名鉄の車内アナウンスは「ドアを閉めます」と、京急方式だ。 一方で開くときは「ドアが開きます」と流れるのは片手落ち?あれ?京急はどうだっけ…。 ここまでは単線だったが、刈谷から次の刈谷市駅までの1区間だけ複線となり、高架橋へと駆け上がる。 30分ちょい乗って終点の碧南駅着、ひとまず駅前へ出たりして写真を何枚か撮り、折り返しの電車で知立へと戻る。 6000系は車歴が長いためか、旧型っぽいエアコンが車内でガリガリと大きな音をたてていた。
戻って来た知立で7分ほどの乗り継ぎ時間、次は山線で猿投へ向かう。 発車待ちの車内で撮り終えた写真のチェックをしていたら、真っ白で何も写っていない画像が5~6枚。 おかしいな…自然にシャッターが押されちゃったのか?と思いつつ、取っといてもしょうがないとそれらを消去した。 消し終えて撮影モードに戻すと、モニターに普段見ないヒマワリの花の様なマークが出ているのに気づく。 何だこれ?と思って良く見ると、何と!モード切替のダイヤルが回ってシーン撮影になっている。 しかもシーンが夜間の花火撮影を選択してあったので、真っ白な写真になってしまったのだった。 あっちゃー、さっき消したのは、碧南往復で撮影した分だったのか。(というわけで、前章に写真が無い)
時間が来て猿投行きは知立を発車、すぐ右手に離れて行く海線を見ながらこちらは左へと本線の下を回り込む。 と思ったら、もう速度を落として三河知立駅に停車。 こちらが、三河線の前身となる三河鉄道が開設した初代の知立駅だ。 この先に本線と三河線を短絡していた知立連絡線の跡もある筈だが、車窓からは良く分からなかった。 電車は市街地から徐々に郊外へと走る。 途中の豊田市はさすがに高架の近代的な駅だったが、次の梅坪で豊田線を分ると高架から眺望する車窓には田園風景が開ける。 その次の越戸を出て地上へ降りるとあと2駅でもう終点の猿投、知立から30余分だから海線とほぼ同じ所要時間である。
やがて、まもなく終点到着との案内放送が流れ出す。 「さなげ」の発音は「さ」にアクセントがあると思っていたが、そうではなく「輪投げ」と同じイントネーションだった。 そう言えば、刈谷や知立も同様の発音で、私が考えていたのと違っていて意外だった。 電車が停車したホームは島式1面で、ターミナルとしてはありふれた構造だが、ホーム以外の構内が広いのがこの駅の特徴だ。 末期は電車からレールバスに切り替えられ、その後に廃止されてしまった西中金方面の乗り継ぎ駅だった為もあるだろう。 折り返しの発車まで20分程あるので、少し歩いて廃止区間の方へと行ってみた。 そこはまだ踏切が残っており、驚いた事に電車がゆっくりと通過して行く。 駅に隣接して検車区があるので、構内を出た部分の区間が引上線として機能しているようだ。
ちょっと空腹感をおぼえ、踏切近くのコンビニでお握りを購入し、キンキンに冷えた発車待ちの電車内で食す。 例によって昼食時間など考慮していない旅程を組んでいるので、気が付いたら既に14時をまわっていた。 猿投から梅坪駅まで戻り、ここで豊田市駅方面から来る豊田線の電車に乗り換える。 ホームの線路際には、何やら小さなフェンスの様な物が設けられている。 掲示によるとこれは人の立ち入りを検知する装置との事だが、ホームドアのセンサー部分だけ残した様な形態で、こういうのは初めて見た。
やって来た電車は、相互乗り入れしている地下鉄鶴舞線の3050形。 名鉄圏内に入ってから初めて乗る赤くない電車は、ちょっと目に新鮮に映る。 豊田線は郊外のニュータウンや貯水池等の間を縫って走る近代的な路線、実は以前に黒笹までは乗った経験がある。 ひとしきり走った電車はゆっくりと右にカーブを切り、右手高架下に地下鉄の車両基地が見えてく来ると、すぐに地下に入って赤池駅に到着。 名鉄豊田線はここで終わりで、ここからが名古屋市営地下鉄となる。 そのまま乗って行って降車時の精算でも良いのだが、時間もあるので一旦下車してフリーきっぷで改札を出た。 名古屋駅まで切符を買おうと券売機へ行ったが、Suicaが使えるのを思い出し、チャージを確認して自動改札を通った。 この日は鶴舞線、東山線を乗り継いで名駅でお土産を物色した後、栄駅近くの宿に落ち着いた。