夏の旅は涼しいうちに出立するに限る。 そう考えて早暁の電車を乗り継ぎ、高麗川からはリバイバル塗装のキハに収まってようやく旅心地がして来た。 八高線の気動車は左手に低い丘陵を眺めつつ高崎を目指す。 日曜朝の車窓、荷台を上げたまま庭先に駐車しているダンプの脇で、ランニングで捩り鉢巻き姿のおっさんが水撒きをしている。 陽が高みに登ると共に外は徐々に暑くなって来ているようだが、エアコンの効いた車内でそれは感じられない。
高崎で湘南色の115系に乗り換える。 この色この顔も、昨今近場ではなかなか見られなくなって来たので貴重だ。 渋川、沼田と過ぎ、水上からは新潟色の同じく115系に乗り継ぎ、上越国境の分水嶺へと分け入る。 新清水トンネルに入ると湯檜曽、土合とトンネル内の駅が続く。 乗り合わせた若い女子大生風のグループがしきりに「かっこいい」を連呼。 突然目の前に現れた地下ホームは、彼女達の目には秘密基地っぽく映るようである。
トンネルを抜けると越後の国、冬場でないので小説「雪国」のような風景の変化は無い。天気は晴朗快晴也。 越後湯沢より輪行のグループが何組か乗車、後輪を外さないままの輪行袋を使っているのを初めて見たが、これはデカい。 しかも、それをドア脇のポールに縦に縛り付け、フラフラさせているのは如何なものか。 ここは面倒がらず、前後輪共に外す輪行にしていただきたいものだ。 乗り換えてからずっと立ち続けだったが、越後川口でようやく席に座る事が出来、うつらうつらしている間に長岡駅に着いた。
本日の最終目的地は新潟駅だが、ここで途中下車して少し駅前付近を観察しようと思う。 長岡駅は軽便鉄道の越後交通栃尾線が乗り入れていたからである。 だが、1975(昭和50)年に廃止されてから既に40年の歳月が流れているから、もはや痕跡は残っていないだろう。 改札から東口へ出て橋上の通路から下を覗く。 信越本線の線路脇から駅前ビル、さらにロータリーのあたりまでが栃尾線の長岡駅敷地だったとの事。 ショッピングプラザの入っている越後交通ビルを回り込み駐車場入口のある線路脇に出ると、民家との間に細い路地があり、そこが廃線跡のようである。 そのまま少し北側へと歩を進める。
朝からずっと車内にいたため、容赦ない午後の直射日光がなかなかにきつい。 汗だくになりながら長岡駅構内の北端あたりまで進むと、線路際に何やらコンクリートのブロックが埋まっている。 その上にちょん切られた様な鉄骨が飛び出しているが、これはどうみても架線柱の根本に見える。 とりあえず写真に収めておいて後で調べてみたら、やはり栃尾線の遺構なのだった。 さらに進むと工場裏の駐車場のような場所で行き止まり、やむなくここで引き返す。 元より今回は廃線跡を追いかけて行くつもりはないので、駅近辺を少しだけ表敬訪問するに留めよう。
長岡駅を後に、再び信越本線車中の人となる。日曜午後の車内は混雑していて立ち客も多く、浴衣女子もチラホラ散見される。 私は座れなかったので吊革に掴まりボンヤリと外を眺めていたが、一瞬窓外をよぎった光景に思わず息を呑んだ。 場所は加茂駅を過ぎて少しした所、あれは確かに鉄道施設特有の築堤、その上には小さなホームらしき構造物まで乗っていた。
慌ててスマホで情報を求めると、おぉ、そうか、蒲原鉄道が信越本線を乗り越していた跡なのだ。 今でも当時のまま残っているんだなぁと感心したが、加茂駅からはだいぶ離れているので徒歩での探索は少々厳しそうだ。 こういう時、自転車があれば小回りが効くのであるが、残念ながら今回は携行していない。 明日のルートで再びここを通過するだろうから、その際に車内からカメラに収める事にしようと思う。
古津、新津と、電車は駅毎に客を拾い、車内は満員で通勤電車の様相を呈してきた。 浴衣姿の比率もかなり高くカップルもいたりするので、これは新潟市内で何かイベントでもあるのかも知れない。 越後石山を発車すると右手から白新線と新幹線の高架が合流し、左へ大きくカーブすると新潟駅に到着となる。 ホームは構内の東寄りにある頭端式で、降車客は改札を目指して一斉に前方へと大移動。 私は一旦南口側に出て、お土産屋を覗いたりした後に今日の宿へと向かった。
そうそう、イベントの件は駅貼りのポスターでその事実が判明した。 ちょうどこの週末に「新潟まつり」というのが開催されており、今日はその最終日として夕方から信濃川沿いで花火大会が催されるというのだ。 私も宿で旅装束を解いて一息ついたら、萬代橋あたりまで出かけて行って見学して来ようと思う。 その前にちょっとどこかで冷たい麦酒でも… いや、それだけで収まらない事は目に見えているのではあるが。