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~ 現地レポート ~
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自転車で東青梅駅東端の踏切にやって来た。地図的にはこのあたりが分岐点。師岡聯絡所の位置からは300m程東青梅駅寄りだが、それだけ構内が広かったという事か?
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東青梅駅のホームは延伸され、端部が踏切ギリギリまで来ている。当時はここに駅もなく、地図によると青梅街道から南は一面の桑畑だった。
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東青梅駅北口。南口に比べて手狭な感じがする。線路は駅前スーパー(三角の屋根)の角をかすめ、奥手の高層マンションの位置を貫いていた。
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旧青梅街道と交差する部分。マンションの敷地を抜けて来た線路は、タイヤショップの敷地あたりで次のブロックへ。
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単なる偶然なのかも知れないが、このビルだけ線路の向きに沿ったような形で他の家屋に対し斜めに建っている。
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線路は労働基準監督署の裏手を通過し、石材店のあたりで成木街道に合流していたと思われる。
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というのは、その先のブロックでは右手から大塚山の裾が街道付近まで張り出して来ており、切り通し状になっているからだ。
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お馴染み霞川の上を通過。この付近は現在暗渠のようになっているが、当時は短い橋梁なんかがあったかも知れない。成木街道を梅76の都バスが通過して行った。
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青梅第四小学校脇を行く。ここの第四、正しくは「だいよん」でなく「だいし」と読むそうだ。調べてみたら創立は昭和26年なので、専用鉄道の走っていた頃はまだ開校していない事になる。
さてせっかくここまで来たんだから、このまま終点まで行ってみるか…。
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