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~ 終端部はどこか? ~

その短い存在期間ゆえ地図に載った事が無いとされているこの専用鉄道だが、それ故、過去の記事でも詳細マップに関しては「想像図」として描かざるを得なかった。 それは基本的に今回も同じである事に変わりはないのだが、青梅線からの分岐部に関しては先の旧公図によりある程度確証を持つ事は出来た。 では採石場内の終端部はどうかというと、こちらは相変わらずはっきりしない。 地図が無いというのに加え採掘により地形があまりにもダイナミックに変えられてしまった為、それが特定をより困難なものにしていると言えるだろう。 そんな思いを抱えつつ、線路終端部を目指して残りの探索を続けた。

[ Google Map ] ※今回の情報及び「国土変遷アーカイブ」の写真番号[MKT615-C19-10](1961年撮影)を参考に線路跡を推定したもの。
  1. Photo 成木街道から分岐する天寧寺坂通り入口。信号の関係か屈曲しているが、街並みを見ると元はもっと素直に分岐していたようだ。
  2. Photo 市街地の外れから、峠へ向けての緩い勾配が始まる。写真の箇所は道路が変に屈曲しているが、線路はおそらく真っ直ぐに抜けていたのだろう。
  3. Photo 右手に天寧寺の山門を拝みつつ、さらに坂道を登って行く。天寧寺は霞川探検の時に訪れて以来、お参りしてないかな?
  4. Photo 切り通しが段々と深くなり山深い感じがして来るが、すぐに左手には住宅地が並び出す。機関車が無理なく登れる天寧寺坂は自転車にもやさしい。
  5. Photo 程なくサミットが見えて来た。車道を走る車が坂道の向こうへと没して行く。崖はコンクリート壁の上から緑の芝でカバーされていて、景色が明るい。
  6. Photo 坂を下って行くとやがて風景が開け、左手に採石場の入口が見えて来る。もう山砂利採掘も行なわれていないのか、入口には前回訪問時に無かった車止めが設置されていた。
  7. Photo 線路は道路を離れ、採石場の中を下って行った。そのものかどうかは分からないが、道路から覗いて見ると一部築堤のようになっている地形も観察出来る。
  8. Photo 車道の坂道をどんどんと下ると、採石場裏口のような所の前を通過する。線路跡はこの茂み奥手の上方あたりだろうか。
  9. Photo 小曽木街道に突き当たって左折し、黒沢(檜原)神社付近から採石場方向を見上げる。前々から気になっていた水平な地形が、目の前を怪しげに横切っている。
  10. Photo 小曽木街道をさらに進み、線路終端部があったと思しきあたりまでやって来た。緩く下って来る左手の土盛りが築堤に見えない事もない。
  11. Photo 小曽木街道と成木街道の交差する黒沢二丁目交差点。昔から変わらず角にあるこの(元?)商店の佇まいが好きだ。
  12. Photo 東青梅駅へと向かって成木街道を登り返すと採石場内を見渡せる場所があった。山がすっかり削られて無くなり、快晴の空の下、向こう側にある集落の屋根が見えている。

後日談

というわけで過去のレポートとあまり変わりばえのしない写真を撮って帰ってきてからこの記事をまとめた後、公開前のチェック作業の一環として昔いただいたメールを色々と調べていた。 冒頭に書いた旧公図謄本を提供して下さった方のお便り等を探していたのだが(もちろんそれは見付かったが)、検索結果の中に別な方のこんなメールが出て来てハッとさせられた。

ところで、ホームページを拝見していてちょっと気になったのですが、青梅・黒沢の「専用線」は正しくは「専用鉄道」だったように記憶しています。

区間は師岡連絡所(現、東青梅付近)~峰向石灰山間で、浅野セメントが免許を取得しています。 「専用鉄道」ですので、本来であれば国立公文書館などに監督関係の文書が残っているはずなのですが、関東大震災で焼失してしまったのか、何度も調べてもどこにも見あたりません。 これが、この路線を幻の鉄路にしている一因かもしれません。

なお、この専用鉄道は、ちゃんと貨車・蒸気機関車が在籍しており、青梅鉄道に直通運転していたようです。


本日、黒沢・宮ノ平をひさしぶりに訪ねてみました。天気もまずまずで、廃線探索には絶好のコンディションでした。

「小曾木近代史」の記述を、当時を知る人の口から直接聞いて廃線跡の確証を得たかったのですが、相変わらず地元のお年寄りにお会いすることが叶わず、後ろ髪を引かれる思いで帰途につきました。

ところが、たまたま立ち寄った黒沢神社のバス停でバスを待っていたおばあさんが、実に良く昔のことを覚えていて、確かに汽車が神社裏~酒店裏付近の道路状の部分を走っていたと証言してくださいました!!

採石場の重機・ダンプ用の道路という可能性も捨てきれなかったのですが、これで確証が持てました。

取り急ぎお知らせいたします。

岸 由一郎(きし・ゆういちろう)

そう、あの岸由一郎さんからのものである。お便りくださったのは 1999年の夏から秋にかけて。 岸さんとは、いくつかの廃線記事についてアドバイスや感想をいただいたりして過去にやり取りがあったが、この黒沢の専用鉄道についての情報も書いて下さっていたのだ。 冒頭の「専用線」の件を指摘いただいて慌ててページに修正をかけた事は覚えているが、申し訳ない事に以降の内容はすっかり失念していた。 これによれば、師岡聯絡所がこの専用鉄道の起点だった事もわかるし、どうやらあの黒沢神社付近から見える水平な地形も線路跡と見て間違い無さそうである。 既にご本人の了解を貰うのは適わない事になってしまったが、氏の調査に対する地道な姿勢と情熱が垣間見えるフィールドワークの一端もご紹介したく、今回ここに掲示させていただいた次第である。

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