学園都市のアイボリー

京王電気軌道 国立線 (2)

府中~谷保駅付近

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Photo2: 国立線分岐点付近
府中駅を発車した準特急高尾山口行きが下って行く。 このカーブ付近が、国立線の分岐点になったと思われる。

府中は平成5年に高架駅が完成していますが、その西側で八王子へと向かう線路は緩く左へカーブしつつ地上へと降りて来ています。 ルートから見ると国立線は、この付近で直進して分岐する事になっていたのかも知れません。 現在、線路の北側を走っている甲州街道は新道であり、この先本宿町の三叉路で南から合流する旧甲州街道に沿って国立へと向かう計画だったものと思われます。

当時の地図を見ると街道の北側は割り合い住居が密集していますが、その後背地は一面の農地だったようで、おそらくこのあたりに線路を通そうと目論んでいたのではないでしょうか。 相変わらず交通量の多い甲州街道はとても自転車向きの道とは言えませんので、私も一本裏手の道を辿って行きます。 今も住宅地の背後には多少畑地が残っており、市民農園として貸し出されたりしている区画もありました。

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Photo3: JR南武線 分倍河原~谷保間
この付近で南武線は甲州街道の下を切り通しで抜け、北側へと出て来る。 国立線はこの右手あたりを通過していた事になるのだろうか。

やがて左手から南武線が寄り添って来ます。 南武鉄道のこの区間が開業したのは1929年ですから、国立線が認可になった1927年時点では既に線路敷設は決まっていた筈。 これを避ける線形で考えられていたものと想像しますが、あるいはこの先の谷保駅で連絡するような計画であったかも知れません。

その谷保駅北口は現在、中央線の国立駅から真っ直ぐに南下して来る大学通りの終点となっています。 開設当初の谷保駅は線路の南側に駅舎があったそうですが、甲州街道に面して開けた谷保村の北面に設置された駅なのでそれも当然だったのでしょう。 駅を背にして一路国立駅へと向かいます。 西進して来た国立線もここらで向きを北へと変え、大学通りを目指していた事でしょう。

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Photo4: JR南武線 谷保駅北口
谷保駅北口は小さなロータリーで至って質素な作り。 京王との合同駅になっていたとしたら、どんな雰囲気であっただろう。

谷保駅付近~大学前

さくら通りとの交差点北側からいよいよ24間道路が始まります。 一部は30間の幅もあるというこの通り、1間は約1.8mですから最大で54mもあるという事になります。 中央に4車線の車道、その両サイドには余裕のある路側帯を利用した自転車レーン、さらに公園のようなグリーンベルトを挟んで一番外側にはゆったりとした歩道が設けられています。 この区間は併用軌道として計画されていたそうですが、用地を少しづつ削ればここに複線幅の線路敷を確保する事もさほど困難ではなかったように思われます。

もしも国立線がこの道路上に敷かれていたら、その後はどうなって行ったでしょうか。 自動車の流れが徐々に増えるにつれ、京王八王子駅のように地下線化(景観への配慮から高架化は有り得ないと思いますので)されていた可能性もあります。 あるいは、かつての地上線時代の新宿付近のようにセンターリザベーションになったかも知れませんね。 道路中央を堂々と走る大型電車、いゃ、事によったらこの支線だけ分離されて LRT化なんて案も。 この大通りは一時期、国立と軽井沢を結ぶ飛行機が滑走路代わりに利用していたなどという逸話?参考リンクも語り継がれていますので、何しろ充分な広さを持っていたわけです。