学園都市のアイボリー

京王電気軌道 国立線 (3)

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Photo5: 大学通り
近辺では桜並木で有名な大学通りだが、訪れた時は新緑が瑞々しく、緑の風が心地良かった。 木陰のベンチがどこか欧州の街並みを想起させる。

そんな事を考えつつ通りをうろついているうちにお腹がすいて来ました。 せっかくですからここはオープンカフェで珈琲でもいただきましょう。 という事で近くのコンビニへ… ってあれ?(笑)  入ったのはどこにでもあるコンビニなれど、何となく店内の様子が普通と違います。 店の大きさの割に弁当コーナーが異常に広く、レジも多いのです。 軽くお昼の買出しをしてレジへと向かううち、その理由がわかりました。 ちょうどお昼時になり、近くの学校から学生・生徒がワラワラとやって来て、たちまち大行列が出来てしまったのです。

店を出て目ぼしい場所を探します。 広い車道と歩道に挟まれた緑地帯には所々ベンチが置いてあって格好の休憩所、今日のランチはその一角を利用させてもらい自前オープンカフェと洒落込みました。 長椅子で先ほど調達して来たカツサンドとカフェラテをいただきながら行き交う車や人々を眺めるのもまた一興、その向うに電車が見えたりなんかしたらさらに嬉しかったかも。 この日は年配の団体さんが来ていて、通りのあちこちでスケッチを楽しむ光景も見られました。

大学前~国立駅

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Photo6: 一橋大学前
写真は東キャンパス側の門だが、大通りを挟んで東西にキャンパスがあり、信号が変わると学生が一斉に移動を開始する様は圧巻だ。

再び腰を上げて大通りを北上して行くと、一橋大学の正門前に出ます。 ここからJRの国立駅まで400m程ありますから、この通りに京王の地下駅があったらこの門の近くに駅南入口が来て、学生さん達には便利だったかも。 余談ですが、国立一橋大学は国立大学法人ですのでこの「国立」は「くにたち」でなく「こくりつ」。 しかし付近にある都立国立高校、市立国立第一中学校などはもちろん地名の「くにたち」、国立近辺ではこういうややこしい事態が起こります。 さらに、遠く離れた玉川上水にある国立音楽大学も「くにたち」で私立の大学、元々キャンパスが国立市内にあったからなのですね。 遡って箱根土地が付けた国立という名前も、「こくりつ」に通じる名称の安定性というか安心感、あるいはステータス的な狙いがあったのかも…、何て勘ぐってしまいたくなります。

ところで、このころ多摩湖鉄道を経営していた箱根土地は、京王電軌の立てた国立線の計画に対してどういう立場をとっていたのでしょうか。 箱根土地の分譲広告に計画線が載っていたという事から見ると、あながち敵対はしていなかったのではないかと推察されます。 実際、多摩湖鉄道は京王からの給電を受けていたので両社は友好関係にあり、むしろ箱根土地側から計画を依頼したという説もあるようです。 では何故国立線は実現しなかったか… それは、当時府中~東八王子間が開業したばかりで、御陵線建設という難題も抱えていた京王側の内情によるものだったのかも知れません。 また、国立駅の開設当初はまだ電車運転がここまで到達しておらず、日に十数本の蒸気列車が停車するだけだったので京王の国立線にも期待がかかっていましたが、程なくして電車運転も実現し、計画もあまり存在意義をなさなくなってしまった為とも考えられているようです。

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Photo7: JR中央線 国立駅前
駅前のこのロータリー中央に、かつて水禽舎が設置されていた。 正面の国立駅は高架工事中だが、あの三角屋根が見えないのはやはり寂しい。

広い大通りも駅前のロータリーで突き当たり、目の前には箱根土地が作って寄贈したこの街の表玄関、国立駅が出迎えてくれます。 取材時点で中央線は連続立体化工事の真っ最中で、この駅も下り線のみ高架上のホームに移った状態。 三角屋根で親しまれた旧駅舎は工事の際に撤去の必要が生じ、保存か解体かでだいぶ揉めましたが、今は再構築可能な状態で分解保存されているそうです。 駅前ロータリーにはかつて都心の新宿園(こちらも箱根土地の経営)から移設されて来た水禽舎があり、多くの鳥が飼育されていたとの事。 そのロータリー入口の横断歩道は交通量の割りに信号が無く、人と車が譲り合って通行している様はこの街の大らかさを象徴しているようでした。

結局未成線で終わってしまった国立線、もしも京王がこの駅前まで乗り入れていたとしたら、いったいどのような乗換駅に変貌していたのでしょうね。

- おわり -
参考:
  • 「八王子のりもの百年史」 清水正之著
  • 「鉄道未成線を歩く(私鉄編)」 JTB発行
  • 「多摩のあゆみ No.97 まぼろしの鉄道」 財団法人たましん地域文化財団 発行