学園都市のアイボリー
京王電気軌道 国立線 2009/05
はじめに
今回はあの国立(くにたち)駅前に、JRに次ぐ第2の交通機関となる私鉄電車が乗り入れていたかも知れないというお話。 そう、昭和の初めに計画されたものの未成線として終わった京王電気軌道の国立線についてです。
国立は堤康次郎が設立した箱根土地(現コクド)により整備された学園都市ですが、鉄道としては、既に開通していた中央線の国分寺~立川間に新駅を設ける事を前提に計画されました。 命名は国分寺と立川の頭文字をそれぞれ頂いて「国・立」、単純明快ですがなかなか良く考えられた地名だと思います。
もともと谷保村の「ヤマ」(=平地林)だったこの地域は、農家の人たちにとっては薪や堆肥、あるいは屋根を葺く茅を得る為の大切な場所。 計画に対しては反対も少なからずあったようですが、村の発展のためにとする村長の説得により徐々に買収は進み、大正14年からはいよいよ開発に着手、第一期の分譲も始まります。 この年、京王電軌は別会社の玉南電気鉄道により府中~東八王子間を開通させていますが、翌年にはこの学園都市への乗り入れを画策し、府中から国立へ至る5.2kmの支線を免許出願します。
その後、昭和2年に国立の核となる東京商科大学(現一橋大学)も都心の神田一ツ橋から移転して来て、本格的な街創りが進んで行きます。 24間通り(商大前通り)の建設も始まり、この年に免許認可となった京王の国立線も一部の分譲広告には計画線として記載されていたそうです。 今も広々とした余裕の幅を持つこの大通りに京王電車が乗り入れていたら、今頃はきっとアイボリーのスマートな車両が、緑の風を切って闊歩する事になっていたかも知れませんね。
- 関連年表
- 1920(大正09)年:
- 堤康次郎が箱根土地を設立
- 1923(大正12)年:
- 関東大震災
- 1924(大正13)年:
- 堤康次郎、谷保村村長に学園都市構想100万坪の土地確保要請
- 1925(大正14)年:
- 玉南電鉄、府中~東八王子間開業
箱根土地、国立大学町の開発開始 - 1926(昭和元)年:
- 国立駅開設(箱根土地が駅を作り、鉄道省へ譲渡)
京王電軌、府中~国立駅前支線(5.2km)免許出願、玉南電鉄を合併 - 1927(昭和02)年:
- 京王電軌、府中~国立駅前支線免許認可、府中~東八王子間改軌開業
東京商科大学(現一橋大学)国立に移転 - 1929(昭和04)年:
- 中央線国分寺~立川間の電車運転開始
南武鉄道、分倍河原~立川間開業 - 1930(昭和05)年:
- 京王電軌、府中~国立駅前支線免許失効
地形図を複製したものです。(承認番号 平21業複、第71号)
大正12年 |
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平成元年 |
沿線を行く
さて、国立線が実現していればその基点となっていた筈の府中駅から、ルートに沿って少し沿線を流してみましょうか。 家からは、花粉明けのリハビリも兼ねて様子を見つつ多摩サイを下り、郷土の森あたりから下河原線跡の緑道に入れば、殆ど車道を走る事なく京王線の府中駅前へと到着です。
Photo1: 京王線府中駅前