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kumamoto nise ahou train  [ ensyo no higoji ]

ホームにはジリジリと真夏のお天道様が照り付けている。 もうすぐ、お迎えのリレー特急がやって来る。 この時点で実は少々躊躇する気持ちも浮かんで来てはいたのだが、既に一旦荷物を畳んで外へ出てしまったのを、元の居室へ引き返すという事はしなかった。 やがて、さも大急ぎで走って来ましたという顔をした787系銀色のボディが、ゆるいカーブを切ってホームに滑り込む。 目の前のドアがしずしずと開き、中からボイが出て来て一言。
「一等車のお客様、こちらへお席を用意してございますのでどうぞ」
…なんて甘い考えは一瞬にして打ち砕かれた。 当然そんな手配がされているわけもなく、車内は満杯の乗客でとても座れる余地などない、というかそもそも通路を進んで中へ入って行けない状態だ。 仕方なくデッキに荷物を置き、ここも結構な人が乗り込んではいたが、隙間を見付けて何とか壁に寄りかかった。

すぐに発車して暫くはそれなりに走ったが、次駅が近づくと減速してノロノロ運転に転じる。 「各駅満線のためしばらく停車します」というようなアナウンスがあり、駅構内の入口で待たされる事もしばしば。 このような繰り返しを何度か経て、リレー号はようやく長崎本線との分岐駅、鳥栖に着いた。 冷房の行き届かないデッキは非常に暑苦しく、もうここで降りてしまって再び「はやぶさ」を待とうか、何ていう考えが天秤の片皿に乗っている。 「いや、もう少し我慢すれば最小限の遅れで熊本に着く。着けば予定の何割かは消化出来る筈」なんて誘惑にかられて、ホームへと一歩踏み出す勇気が出ない。 そもそも阿房列車で行く先に予定があるなどという事は聖代の不祥事であるが、その大半が鉄がらみであるのでここはひらにお許しを願おう。

しばらく停車して発車。その先も久留米、大牟田と同じような状況を繰り返しつつ、ようやく熊本駅へと到達したのはお昼もとうにまわった十三時過ぎ。 ここから乗り継ぐ筈だった十二時発の普通列車などどっかへ吹っ飛んでしまった。 日に照らされてボワっと暑い空気が淀んでいる跨線橋を渡り、下り方面のホームへと降りる。 前の列車が運休になったようで、既に多くの客が待っている。 電光掲示板を見ると次の発車は十四時半、まだ一時間以上もここで悶々と過ごさねばならないという事を理解した。

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どこかで昼食がてら涼んでこようかとも思ったが、ダイヤも乱れている事だし、いつ何どきどうなることやら分からない。 こういう時の案内表示など当てにならないというのは、過去の経験から重々承知だ。 それでは荷物だけでも置いて、身軽になろうかとも考えた。 本日の宿はここ熊本駅前なので、どうせ後でまた戻って来るのだ。
「山系君、荷物でも預けて来ようか」
「はあ」
「それともお腹がすいたかね」
「そうでもありません」
「…」
「…」
というわけで愛用の扇子で肌に纏わり付く熱風を追いやりながら、結局何も行動は起こさずにそのまま待ち続け、その間には向こうの番線に「はやぶさ」がノロノロと入って来て元の黙阿弥。 何だ、結局あのまま乗っていた方が楽だった、つまんないの、と少々口惜しい心持ちがした。 それから後も何本かリレー号が到着しては発車して行き、大分経ってからようやくこちらのホームにも折り返しの乗継列車が到着し、冷房の中に身を置く事が出来た。

乗り込んだ三等列車は「熊クマ」所属の赤ら顔、ワンマンカーの二両編成だ。 熊本駅を発車すると各駅に停車しつつ三十分ほど順調に飛ばし、新八代で新幹線の高架下を潜り抜ければ本日の最終目的地、八代駅構内へ静々と進入する。 ここが終点のため駅本屋に面した一番線に到着、いかにも国鉄時代を彷彿とさせる由緒正しき木造駅である。 悠々とホームに降り、トイレを済ませて戻って来ると既に下車客はみんな出て行ってしまった後。 人影の無いホームを歩いて改札口へと向うと、そこにはお迎えの御当地さんが顔を覗かせている… わけはないが、そう、ご存知の通りここは百閒氏が九州訪問の際には必ずといって良いほど立ち寄った、常宿のある街なのだ。

辛口の百閒先生が気に入っていた(と思われる)数少ない宿の一つ「松浜軒」、文章中にその実名が出て来る稀有な存在でもある。 せっかくなので、八代にあるその宿の風情を覗いて来ようという算段でここまでやって来た。 松浜軒へは駅前の九州産交バス乗り場でしばし待つが、時間にやって来た中型のバスは駅舎前にある停留所のポールを素通りし、白茶けた駅前広場の真ん中にポツンと停車した。 まだ時間調整なのか?と見ていると、若い女性二人組がそちらへ走って行き何事か運転士に話しかけている。 と思ったら乗り込んで行ったので、私も慌ててステップに駆け寄った。 乗車するとすぐにブザーが鳴り、扉が閉まる。あぶない所だった。 しかし他にも大勢の人達が駅の軒下でまだ待っていたが、これと違う系統に乗るのだろうか。

バスは市内のあちこちを寄り道して行く。 街中をぐるぐる走り回ってなかなかに忙しいが、途中で女性二人は降りてしまい、その後の客は私ひとりとなった。 少々不安を覚え、信号停車中に運転士君の所へ行き目的地の確認をしたら、確かにそこへ行くと言うので、では安心と席に着いてゆっくりしていた。 やがてテープの案内が流れたので下車ブザーを鳴らし、しばらく待っていると窓の下を目的の停留所がひゅんと過ぎていった。 「あっ」と声を上げたのは私と彼のどちらが先だったか憶えていないが、急停止して「すいません、お待たせしました」と恐縮気味のアナウンスがあったので、「うむ」という気持ちで席を立ちステップを降りる。 よっこらしょと歩道との間の植え込みを跨ぐ事にあいなったが、おそらく普段は殆ど無人で走っている時間帯なのであろう。

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下車した「松井神社前」停留所の正面には同神社の大きな鳥居、道路を隔てた反対側には堀の中に八代城、別名松江城跡の美しい石垣が見えている。 八代にあって松江城とはこれいかにだが、建設された場所が松江村(現在は松江城町)と聞けば疑問は自ずと氷解する。 松江城の城主は松井氏なので、松江、松井、松浜と「松」の連鎖になっているのは少々混乱する。 そこから西へ少し歩くと、交差点の向こうに松浜軒の門が見えて来る。 駐車場の案内板に「SYOHINKEN」とあり、今まで「まつはまけん」だとばかり思い込んでいた私は認識を新たにした。 しかしながらこれは「商品券」と同じ読みであって、会話の中では甚だ誤認しやすいだろう… などと、私がいらぬ心配をするのはよした。

信号を渡って門の中へ入ると小さな事務所のような所に窓口があり、年配の男性が受け付けをしている。 券を買い、十六時直前だったのでお庭だけ急いで拝見したい旨告げて中に入ったが、閉館時間が十七時である事は後で家に帰って来てから気がついた。 もっとゆっくり出来たのにと思うがとにかくこの日は暑くて、周囲を木立ちに取り囲まれている庭園は風の通りがよろしくなく、時間があってもあまり長居は出来なかったであろう。 しかし、さすがに百閒氏が惚れるだけあって池や植え込みは見事で、庭に面した客間も格調高いものがあった。 旅館として営業していた時期は極短い間だけだったようだが、私も泊まりたかった… いや、とても庶民が気軽に手の出せるような料金でない事はわかっているのだが。

再びバスに乗って八代駅へと戻る。乗客は最初から乗っていたおばさんと私の二人だけ。 運転士とは顔見知りなのか、最前席に座ったおばさんは道すがらずっと世間話の花を咲かせていた。 八代から上り列車に乗り、今度は熊本を通り越して上熊本駅を目指す。 夏の日は長くまだまだ明るくて、午後六時近くなっても充分行動出来るのはありがたい。 炎熱の日差しもようやく若干弱まって、列車を降りても快適に感じるのが嬉しい肥後之国の日暮れ時なのだった。

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