月日の巡るのは早いもので、前回このシリーズを押上線でやってからもう5年あまりが経ってしまった。 その間に我らが京成は会社創立100周年となり、日暮里駅が重層化され、スカイアクセスが開通して新スカイライナーが走り出し、金町線の分離運転が始まり云々云々… ともかくも大きな変革期であった事は言うまでもない。 ちなみに今年は大正元年の営業運転開始から100年目にあたる京成電鉄である。
そんな中で実に久し振りの今回だが、沿線中では比較的変化の少ない京成津田沼から本線を成田方面へ向けて乗り歩いてみようと思う。 ただこの区間は筆者にとっては元来あまり馴染みがない。 たまに乗るのは成田山詣での時ぐらい、基本的に通過するだけで途中下車する機会がなかったのである。 そんなわけで昔懐かしい何かがあるわけではないが、その分新鮮な気持ちで沿線を見聞出来るのではないかと思う。 さてさてどこまで行けるか、まずはかつて知ったる京成津田沼駅界隈から彷徨ってみるとしよう。
- 京成津田沼界隈 -
本日は実家を基点に出かけて来たので、京成津田沼までは新京成で15分ほどである。 京成津田沼に着いて以前と違うのは、ここが新京成の終点では無い事。半分の電車は日中千葉線へ直通するので寝過ごさないように要注意だ。 ホームへ降り、まずは成田方の跨線橋に登って複雑怪奇な線路配置を眺めて悦に入る。 本線と千葉線が分岐し、かつて津田沼第一工場もあったこの駅の構内配線は高砂に次ぐ煩雑っぷりで、線路マニアとしてはなかなかに魅力的だ。 出入りする電車をボーっと眺めているだけでも時間を忘れてしまう。 慣れ親しんだ構内は Part3で書いたので、一通り観察したら橋上駅の改札を抜けて駅周辺も少し歩いてみよう。
とは言え、乗り換えでは頻繁に利用しているものの駅の外界はあまり知らない。 昔はこのあたりが津田沼村の中心部で、国鉄の津田沼駅は村外れに出来たという位の予備知識はあるが。 そう言えば津田沼というこの名称、実は谷津、久々田、鷺沼から一文字ずつ取った合成地名だ。 だから津田沼という名の沼はここには存在しないのだ(かつて鷺沼はあったかも知れないが)。 とりあえず新京成側の北口を出て線路伝いの道を東へ進むと、低い陸橋で千葉線の線路が交差する道路を跨いでいる。 その橋台は大正生まれの立派な煉瓦積みで、本線より先に開通した千葉線の歴史を感じさせる。
狭くて歩道が無いので通過する車にヒヤヒヤしつつその下を潜り、千葉線とこの先で交差する京成本線とに挟まれた半島状の街区へと入る。 坂道を登って行くと右手下の本線脇には2線分の車庫、これは留置車両も置かれていて現役だが、確か第一工場時代から存在していた。 そこから左に折れて路地を進むと、千葉線と総武線を跨ぐ細く古びた人道橋が現れた。 この橋の上からの景色はなかなか絶景である。 幕張本郷へと向けて疾走する総武線の黄帯の電車、長い直線区間を終えてカーブへ突っ込んで来る京成千葉線の上り電車。 見ていると、川の合流点に立って両方の流れを眺めている感覚になって来る。
人道橋
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総武線と千葉線
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鉄道連隊軌道跡
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跨線橋を渡り終えて総武線の北側へ出ると、そこから分岐するように緑道がカーブを描いている。 これがかの有名な鉄道連隊の軌道跡のようだ。 そこを少し進んで行くと、総武線の下を潜ってきた京成本線が右手から寄り添ってくる。 ここから先しばらくの間、鉄連の軌道跡は京成に沿って進むのだ。 陸橋を渡って京成と総武線との交差地点まで行ってみた。 台地上には真っ直ぐに走る総武緩行線と快速線、及び幕張車両センターへの入出庫線、そして京成千葉線で合計7本の線路が並んでいる。 その下を切り通して緩いカーブですり抜けて来た京成本線は、ここから次駅へ向けて徐々に地上へと顔を出す。 乗れば一瞬で通過してしまうが、結構な要衝である。 その先の道路際で見かけた工事予告によると、ゆくゆくこの交差地点の真上を4車線の都市計画道路が高架で跨ぐという事で、これはさらに凄いことになりそうな気配だ。
JR総武線、京成千葉線(上)と京成本線(下)との交差地点
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工事看板
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グルっとまわって古びた建屋の習志野市役所前を通過すると、京成津田沼駅の南側へと戻って来た。 京成にしては意外と駅前が広くてロータリーが形成されているのは、津田沼第一工場の跡を換地する等して整備したのかも知れない。 しかしここから観察していると駅前踏切の渋滞は相変わらずで、構造的に難しいのは分かっているが、何がしかの抜本策が必要なのは明白だ。 その踏切際には津田沼名物の看板を掲げた甘い物屋さんがあって少々食指が動いたが、まだお昼前なのでここはグッと我慢した。
習志野市役所
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京成津田沼駅前
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津田沼名物?
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この際、駅の上野寄りにある引上線も見ておこうと大通りの坂を登り出す。 私を追い抜いていったバスがその先の停留所で停まると、何だか大勢の人達がゾロゾロと降りている。 行ってみるとそこは津田沼小学校前のバス停で、今日は父兄参観で何かの行事をやっているらしい。 校庭にまわってみると名物の円形校舎が見えたので写真を撮っておいたが、後で調べてみるとこの建物は今年の冬には取り壊しになるようだ。 しかもこの校舎、1957年に建てられた物だそうで、奇遇にも私と同い年である事が判明した。
さて引上線の方だが、ちょうどその終端部の上に道路橋が架かっていて欄干から見下ろせるかと思っていたが、橋の歩道が逆側しか無いのでちょっと無理そうだ。 この引上線は主に千葉線の折り返し用だが、本線の下り津田沼止まり列車の折り返しにも使われる。 その際は線路の配置上3回も方向を変えなければならないので、列車の回送がかなり大変そうではある。 橋を渡り、右側に線路を見つつ坂道を下って行くと、左手からは丘を降りて来た新京成の線路が合流する。 こちら側は駅へと出入りする京成電車やその合間を縫って踏切を往来する車に加え、新京成の電車もやって来るのでとても賑やかな一帯だ。