御殿場上町(ごてんばかみちょう) > 柴怒田(しばんた)
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元のルートに戻る。
薬局の角で足柄街道を離れるとすぐ左手に庚申寺があるが、その前が御殿場上町停留所の場所だという。
付近には「カクシメ」の屋号で呼ばれた家があり、ここは昔は鍛冶屋だったので、鉄道の馬具修理なども請負っていたのではないかという話も資料には載っていた。
馬鉄創成期の本社があった西田中(救急医療センターの前あたり)を過ぎ、御殿場高校の校庭を抜け、その名も馬伏川の畔を絡みながら西へと進む。
段々家並みが切れて来ると彼方には国道246が長々と横たわっているのが見え出すが、近づいて行くとその土手っぱらには人道用の小さなトンネルが掘り抜かれていた
。
ちょうど位置が合っているが、この小径は軌道跡そのものだろうか。
R246下のトンネルを抜けると圧巻の景色、遮るものの無い眼前に秀麗な富士の高嶺が聳え立つ。 もうすぐ冬を迎える青い空の下に屹立したその姿は文句なしに神々しく美しい。 天気は快晴に近いが山頂付近は風が強いらしく、北東へ向かって細く白い雲がたなびいている。 私は一人、畑の真ん中を突っ切る農道で、しばらく自転車を立てかけてこの茫洋とした大眺望を堪能していた。 いやほんとうは、あまりに景色が良いものだからここでもうお握りを頬張ちゃおうかどうしようかと迷っていたのだが…。
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気がついて時計を覗くともう10時を回っている、燃料補給はもう少し我慢して先を急ごう。 畑の中の砂利道を登って行くと北部幹線道と交差し、その道路の向こうには「馬車道」の看板が立っていた。 よしよし、ルートを外れていないんだなと安心して進もうとしたが、「この先工事の為通行止め」の立て看がその脇に。 週末だしどうせ通れるだろうと高を括って少し足を踏み入れてみたが、遠くでやたら数多くの大型重機が動き回っているのが見えて来てこれはダメそうだと思い直す。 それで途中で諦め、渋々入口まで引き返した。
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さてどうしようかと地図を広げて検討の結果、少し北側にある農協裏手の道を登って行けばその先で軌道跡に合流出来るという結論に達した。 だがそちらの入口に回ってみたらここも同じ通行止めの看板が出ており、何だかこの滝ノ上地区を抜ける部分は馬車道を中心としてかなり大規模な造成が進行しているようだ。
仕方なく今度は南側のバス通りまでエスケープしてそこを登りつめ、仁杉区公民館の脇で道に迷ったりしながらようやく造成地の裏側に出て軌道跡へ戻る事が出来た。 ホッと一息つき、休日朝の静かな道を再び一人で登りだす。 休みで遅く起きた人たちもようやく戸外で活動を始める頃合、天気が良いので庭先へ布団を干す光景等もチラホラと見かけつつ進む。
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公民館の裏手にはさざ波に揺れる逆さ富士を映す小さな溜池があり、その脇を通過するとしばし林に沿った日溜りのプロムナードとなる。
どこからか馬の嘶きでも聞こえて来そうな風情でなかなかに好ましい散歩道、カーブの具合も絶妙で人知れず嬉しくなって来る。
市道原里北郷線のバス通りに出る手前は通称マッチャバと呼ばれる一画だ。
ここは現在も道が小広くなっているが、当時は待合場の名の通り列車が交換する場所であった。
そのすぐ脇に民家があるが、ここのお宅ではその頃客にラムネや駄菓子などを売っていたそうだ。
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一旦市道に出て北上し、再び細い裏道へと入るとそこがかつて村人たちに「テンシャバ」と呼ばれた柴怒田の停留所跡。 沿線では大きめの集落だったようだがどの位の乗降があったのだろうか。 ちなみに新橋からここまでの運賃は十銭だったという。 この付近には馬頭観音もあり、その碑には日清事変での供出の事が書かれてあった。 あるいは馬鉄廃止後に農家に払い下げられ、それが後年徴用されて戦地へと送り出されて行った馬もいたのかも知れない。
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