バス通りを離れ、裏手の住宅地を行く旧青梅街道を進みますが、やはりそこらの無味乾燥な道路とは違いなかなか味があります(写真10)。 馬鉄の御者になったつもりでトコトコと行くと、これまた魅力的な曲線で道が追分けになっており、分岐点には何やら石碑まで建っています(写真11.12)。 石碑には右が江戸道、左はちょっと判読出来ませんでしたが入間方面を記しているのだと思われますので、ここで旧青梅街道から豊岡街道が左へ分岐して行くわけですね。 今では想像もつきませんが、その頃の地図だとこのあたりは一面の畑地帯。 ここで違う方角へ分かれた旅人がいたとしてもきっと、どこまでもお互いの姿が遠くに見えた事でしょう。
その先で道は一旦青梅入間線に合流しますが(写真13)、野上のスーパーのあたりで再び左斜めに分岐します(写真14)。 青梅から東へと向かうとこのように枝分かれする道が多いですが、それは青梅が扇状地上に形成されている事と無関係ではありません。 土砂の堆積と共に、地形が西から東へと放射状に広がっている為ですね。 従って、都心方面から青梅に向かうと、主要道はどんどんと合流を繰り返して最後には青梅街道一本になるんで、まず迷いません。 そのかわり逆に青梅から都心へ帰ろうとすると迷子になる方が多いですから、気をつけて下さい。
分岐した豊岡街道に入って少し進むと、霞農協裏手の信号の所が大門停車場跡(写真15)。 最近までお年寄りの間では「停車場」という呼び名で通じていたという話もあり、今は「つつじや」という東洋米菓直営の大きな和菓子屋さんがあるのが目印です。 左手に坂を下って行くとツツジで有名な塩船観音がありますので、屋号はそこに由来しているものと思います。 小学校の脇を通り抜け、段々と畑が多くなって来ると今寺榎の交差点(写真16)。 ここは、記念すべき第一回の中武馬鉄コンテンツで書いた場所で、なかなか時代がかった背景の中を行きます。 今は青梅市の天然記念物となっているこの榎の大木に見守られつつ、馬車鉄道の列車は通過して行った事でしょう。
神社の前をすり抜けて行くと次は七日市場の停車場で、豊岡街道と岩蔵街道との交わる所(写真17)。 一時期、道がクランク状になっていたようで、その痕跡が若干交差点付近に残っています。 ここを右折すれば圏央道の青梅インターへ至り、左折して進めば、笹仁田峠を越えて岩蔵温泉へと下って行きます。 当時ここで下車して、徒歩で温泉へと向かった人もいるのでしょうか? 藤橋を過ぎたあたりから周囲は益々畑地が多くなり、空も大きく広がって爽快な気分で走れるように...。 途中で左手に若干切れ込んで行く旧道らしきものがありますが(写真18)、おそらく馬鉄のレールはこちらに敷かれていたものと思います。
狭山茶の丘を右手に見ながら、ゆっくりと坂を下れば霞川にかかる金子橋(写真19)。 この付近には霞川のおっかけで何度も出没していますが、今日は川でなく道の方をトレースして来たので、又印象が違うようです。 橋の付近が都県境となっており、埼玉県に入ります。