金子橋〜根岸

ここからは、別な日に行なった第2回探訪です。 霞川を渡る金子橋を過ぎて埼玉県に入ると道はますます街道筋らしくなり、なごやかな曲線を描きつつ東へ進みます。 沿道には粋な黒塀の豪壮な民家が建ち並び、馬鉄が走っていた当時の空気を醸し出しています(写真20)。 その先で見かけた南峯公会堂もかなり年季の入った建物のようですが、さすがに大正時代から建っているものでは無いのかな?(写真21)  ちなみに地図上では「南峰」ですが、地元では「峰」でなく「峯」の字を使っているようで、ほんとうはこちらの字が正しいのでしょうね。 少し進むと南峰の交差点(写真22)でこのあたりに南峰停車場があったようですが、中武馬車鉄道の発行した時刻表でも、時期により「南峰」と「南峯」の両方の記述が見られます。

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国土地理院発行1/5万地形図
「青梅」明治45年

ここの交差点を左折すると道は八高線と共に峠を越えて飯能へと下って行きますが、まだ八高線の出来る以前から、南峰と飯能の阿須集落を繋ぐ交通路としてこの道は存在していたようです。 信号機の変わるのを待って、交差点を直進します。 信号のすぐ先で、馬車軌道跡はその八高線のガード下を潜って進みますが、八高線の開通は 1931(昭和6)年と比較的新しく、中武馬車鉄道の廃止後 14年程経っていますので、もちろん交差していた時期はありません。 従ってここがガードになっているのは、単純に地形上の問題でこの前後が築堤になっている為であり、馬車鉄道と立体交差させるためでは無いですね。 まぁ、もしも共存する時代があったとしても、勝沼の踏み切りと一緒で、国鉄の線路がわざわざ貧相な馬車鉄道をよけるとは到底思えないですが...。

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写真23. 寺竹付近(arw
懐かしい看板に思わず足をつく

さてその次の駅は三ツ木で、場所はどこかというと西三ツ木のバス停付近、酒店のあるあたりとの事。 すぐ近くには製茶工場もありまして、その古びた木造建築の外観は、黒い腰板と白壁のコントラストがなかなかに美しく、一見の価値ありと思います(写真24)。 実はすぐ裏手を流れている霞川を辿って来た時もちょうどこの工場の所へ出まして、その外観にえらく感動したという経験があります。

少しペダルを漕ぐと行く手に火の見やぐらが見えて来ます。 このあたり、低い山なみを背景にして非常に多くの火の見が残っており、懐かしい風景を展開してくれますが、ここのはその足元に小さなお堂が寄り添うように建っています(写真25)。 その脇に「龍池山観音寺遺跡」という説明板があり、かつてここに存在した観音寺について詳しく記述されていました。 何でも、三ツ木村の人々の帰依篤く徳川時代末期まで代々にわたり守られて来たが、文久年間に起きた村の大火により消失、このお堂の中には供養の際に用いられた百万遍念仏数珠一式が収められている、との事でした。 現在跡地にはそのお堂と火の見やぐら、そして西三ツ木公会堂が建てられています。

その先で右手から霞川が蛇行しつつ豊岡街道に近寄って来て、少しのあいだ流れを眺めながら進む事が出来ます(写真26)。 車道の脇にはバス停があり、何人かの若者が携帯をいじりつつバスを待っていました。 今現在は馬車鉄道になりかわり、西武バスが人々の足となって走っているわけです(写真27)。 運行は1時間に1〜2本程度という閑散さですが、西武池袋線の入間市駅とJR青梅線河辺駅を結び、日に何本かは東青梅駅... そう、かつての師岡停車場まで行っているのです。

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写真27. 西武バス
入間市駅行きのバスが追い越していった

少し走ると根岸のバス停。 中武馬車鉄道の根岸停車場があったのはこの付近と思われますが、あたりには当然ながら遺構らしきものもなく、ポツリと立つバス停のポールが通り過ぎる車を眺めているばかりなのでした。



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※カッコ内の矢印は入間川駅方向を示す
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写真20. 金子橋付近(arw
車の通りが途絶えるとのどかな空気が漂う
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写真21. 南峯公会堂(arw
堂々たる木造の大きな建物
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写真22. 南峰交差点(arw
信号の向こうには八高線のガードが見える
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写真24. 西三ツ木付近(arw
街道を見下ろす製茶工場の大屋根
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写真25. 龍池山観音寺遺跡(arw
西三ツ木の公会堂のある所
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写真26. 上谷ヶ貫バス停付近(arw
右手はゆるやかに流れる霞川
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写真28. 根岸バス停付近(arw
看板は酒屋さん、店内には自転車