Image三峰口
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終点の三峰口駅で下車し輪行してきた自転車を組み立てている間に、秩父湖方面へ向かうバスが乗客を乗せて出発して行く。これを見送ってガランとした駅前に残ったのは私ともう一人、輪行袋を抱えて降りたサイクリスト。シャッターを押して頂いた彼は同年輩に見えるが、これから志賀坂,塩ノ沢峠を越えて下仁田まで走るという。う〜む、私ももう少し頑張らにゃいかんわな。。。

。。。という気持ちはすぐに忘れて、予定通りここの駅前から探索を始める。駅の一番奥手まで行って荒川を渡る橋から見下ろすと、構内の方から一本の線路がカーブを描いて延びて来ているのが見える。向こうの車止の所までは現役で、電車の引上線として使われているようだ。車止からこちら側は、若草に覆われた線路に陽が当たっていい感じでうらぶれている。

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橋の下をくぐった線路の行く手を反対側から追ってみると、視線の先には崖にへばり付くこんな建物が見える。「トワイライトゾ〜ン MANUAL9」によると、ここにかつて木造の大掛かりなホッパビンがあったという。なんでも、ここからさらに山奥の日窒鉱山で採取された鉄鉱石を索道で運んで来て、この場所で貨車に積み替えていたらしい。現在ではその付属施設だった建物のみこうして残っているが、線路が生きていた頃はこの下に多くの貨車が連なり、ガラガラと音をたてて流れ落ちる鉱石を受け止めていたに違いない。

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次は車両公園へとハンドルを向けるが、構内のはじっこの小さな踏切を渡った先、ヤードの向こう側が入り口となっている。渡ろうとすると遠くでタイフォンが鳴ったので足を踏みとどめると、ホームから出て来た電車が目の前の踏切を通過して行き少々面食らった。先ほどの引上線へと一旦引き上げて、側線に留置をするようだ。ここは警報機も無いので、小さなお子さんがいる場合は注意が必要かも。

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入ってゆくとヤード脇の細長い敷地に、多くの車両が並べてある。公園と言うだけあって青空の元に展示物が置かれているので、開放的な気分で鑑賞する事が出来る。その分傷みは進みやすいのかも知れないけれど、写真を撮るには好都合だ。展示されているのは貨車が多いが、国鉄系ではあまり見られないタイプも多く、好き物にはこたえられないだろう。連休中なのにこの時間の見学者は私一人。貸切状態をいい事に、無蓋車の積荷になった気分でセルフショット(^^;)。これは武甲線を走っていた石灰石輸送用のトキ500という形式だが、こうして見ると思いの他ビッグサイズなのが良くわかる。

こちらの電車はデハ100+クハニ20という形式だが、昔乗った記憶がかすかにあるな。秩父鉄道らしいオリジナルな3枚窓の顔が、なかなか勇ましい。昨今どこの中小私鉄も大手のお下がりが多く、都会的、画一的でいまいち面白みに欠けている。こんな電車が元気に走っていたら、きっと私は喜んで乗りに行くだろう。

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中に入ってみるとクハの乗務員室後ろは荷物室となっていて、これまたちょっと懐かしい造りだ。客室の方もご覧の通りで、木造の床やモケット張りの椅子があたたかい雰囲気を醸し出している。

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奥の方にはかつて貨物を引っ張って秩父路を駆け抜けた古豪の兵、電気機関車が2両置かれている。現役の頃は石灰で薄汚れて頑張っていたものと思うが、現在は綺麗なブルーに塗られて青空の下、後輩の電車達が折り返して行くのをじっと見つめている。秩父鉄道の前身、上武鉄道は1922(大正11)年に早くも電化を果たしたが、これは民営鉄道として初の事だった。写真は米ウェスチングハウス製のデキ1で、電化に際し輸入して使用されていた歴史ある凸型機関車。


>>車両公園の仲間たち<<


Map
国土地理院発行1/5万地形図
「三峰」(部分)昭和49年

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