丸山林道

郵便局や小さな商店のある集落の中心部を過ぎると、坂の上の方に櫛形山方面の右矢印を示す道路標識が見えて来た。 右手に丁字で分岐しているのが、ここから櫛形山へ向かう丸山林道だ。 着くと同時に、防災放送のスピーカーから「野ばら」の旋律が斜面に広がる村内へ流れ出し、時刻がちょうどお昼になった事を告げた。 その分岐のすぐ上に「みさき耕舎」があったので、ここでトイレ休憩とする。 来るまで知らなかったが、売店や食事処もある道の駅のような町営施設だ。 10時に駅をスタートしたからここまで2時間か。 途中で買い出しのロスタイムもあるし、まあまあのペースだな。 この先、丸山林道を少し登れば櫛形山林道の分岐点へ至るから、あと1時間位かな。 少し遅くなるが、そこらで目処がついてからお昼にしようか、そんな風に思っていた。

休憩をすると走り出しは足が軽い。 調子に乗ってクルクルとペダルを回転させながら乗って行く。 いい気分で少し行った先で休んでいると、屋根上にカメラを乗せた車が走って来た。 ボディには「測量中」のシールが貼ってあるが、ストリートビューの撮影でもやってるんだろうか。 民家がなくなって来ると道はアスファルトからコンクリ舗装に変わり、道幅も林道らしい細さになって来る。 いきおい坂道の傾斜もきつくなるが、もうギアはとうの昔にロー&ローになっていて、これ以上軽くしようがない。 休憩してはちょっと漕ぎ、少し走ってはまた休憩の繰り返し。 だんだんと休憩の間隔が短くなってきて、次に足を付くのはあそこにしようと、目で見える範囲の距離が限界になって来る。

丸山林道2

そんな調子でカーブをいくつか曲がると、唐突に道の分岐が出て来た。 なんだもう着いちゃったのか、案外あっさりだったな、と思いつつ地図を確認すると、ガーン、まだそこはさっきの町営施設のちょっと裏手に過ぎないのだった。 ここは村の外れにある氷室神社へ向かう分岐点で、櫛形山林道の分岐はまだまだ上、今来た距離の4倍位残っているのだ。 明るい山上集落の風景もここまでで、この先はしばらく鬱蒼とした森の中を進む細い道になる。 舗装はされているがガードレールの無い部分も多く、へたに路肩に足を付くとそのまま斜面を転がり落ちそうになる。 だんだん休憩の回数も増えて来て走っているより止まっている方が多く、無駄に時間が過ぎていく。 しかし自転車とはつくづくストイックな趣味だなと思う。 わざわざ好き好んで自分を痛めつけに、電車賃を使ってこんな山奥まで登って来るのだから。

ここでついに開き直って、自転車を押すことにした。 止まって休む時間が勿体無いから、歩きながら休もうという魂胆だ。 若い頃は上り坂で一切足を付かないとか、休憩を入れつつも必ず乗ってゆくというのに拘っていたが、最近は歳と共にもうそんな考えも枯れて来て結構こういうパターンが増えた。 サドルに片手をかけ、ハンドルのバランスをとりつつ押して行く。 降りてしまえば先ほどまでのつらい気持ちが嘘のよう、何だかハイキング気分で気持ちも上がって来る。 森の中の暗い道行きだが、見上げると黄色く色付いたカエデの葉が太陽の光線を透かしていて美しい。 しかしまだどこかに邪念が残っているらしく、通り過ぎる車に押している所を見られたくないという見栄がある。 なもんで、車の音が近づいて来ると歩みをとめ、自転車によりかかってちょっと休憩中のポーズをとってやり過ごす、なんて事をしてしまう。

まだ丸山林道

そんな行為を何度か繰り返しているうち、下から一人のサイクリストが追いついて来た。 こちらが路肩で休憩している目の前を通過、「こんちわー」と挨拶すると、お返事はなかったが軽く会釈をし、クルクルと軽やかにペダルを回転させつつ登っていった。 年代的には私よりも一回りくらい下のようで、若者ではない。 そんな彼がクロスバイクを駆って楽々と登って行くさまを見て、こちらも折れていた心に火が着いた。 いきなり自転車に跨り、後を追うようにしばらく追走を試みた。 しかし彼の後ろ姿はすぐに視界から消え去り、私は息が上がってしまい、おまけに脚までつって道端に倒れ込む。 これには参った。 調子に乗ってしまった。 立とうとすると脚がヤバくて覚束ない、貧血なのか目の前がクラクラする、吐き気と悪寒にも襲われて身の置所がないというのはこの事か。

ヘタったのは山の斜面とガードレールの崖に挟まれたあまり路肩のない場所で、このまま道路はしに倒れ込んでいる所に車が来たらおそらく通るのに躊躇するだろう。 頭の中ではそう考えるが、体がキツくて動きようがないのだ。 ガードレールに頭をもたれて、しばらく脚を投げ出してみた。 静かな森の中でおそらく10分程そうしていたが、結局そのあいだ車は1台も来なかった。 やがて呼吸も落ち着いて来て冷や汗も止まり、眩んでいた目の前もようやくハッキリとして来た。 よっこいしょと腰を上げる。 少しふらつくがゆっくり歩く分には何とか大丈夫そうだ。 しかし昼飯を先延ばししていたハンガーノックもあるのかも知れないが、何という体たらくだろう。 持って来た携行食の栄養ゼリーを口にすると、少し生き返った気分になった。 自転車で脚をつったのはいつ以来だろう?ここ数年ではそんな事態に陥った記憶が無いのだ。

そして櫛形山林道

そこからはもう無理をせずに、押し歩きを貫徹した。 ただ、最後に櫛形山林道のゲートが見えて来た時に、誰かがいるかも知れないとゴール直前だけ自転車に跨ったのは、まだ多少の意地が残っていたからだ。 普段から腕時計をしていないので、ここで撮影かたがたリュックからカメラを取り出して時間を確認。 歩きが長かったからさすがに13時は少し過ぎてしまったかな?と思って見ると、何ともう14時を回っていて驚いた。 丸山林道分岐から僅か5km程の距離に、2時間もかかっている。 これじゃ、普通の登山者の歩きより遅い位ではなかろうか。 とりあえずまずは腹ごしらえだが座るに適当な場所もなく、林道入口のゲートに寄りかかりながら買って来たお握りをパクつく。 お腹は減っている筈なのに食欲がなく、一つをボトルの水と共に胃袋に流し込んだだけでやめてしまった。

さて、この先の算段を考えねばならない。 櫛形山林道は山腹に貼り付く形で走っているが、地図を見るとこの先もまだピーク地点までは今までと同様の上り坂が続く。 しかもその距離は、ここまで走って来た丸山林道とほぼ同じ位ある。 たとえこれまでのペースが維持出来たとしても、この分じゃ、おそらくピークに着くのは16時を回ってしまうだろう。 そこから先は下り基調になるとは言え、そのピークに到達してもまだ全コースの半分に過ぎないのだ。 輪行で駅から自宅までの帰り道に10分位走るのでライトは持って来ているが、もうそろそろ電池も怪しい頃だ。 初冬で日が短くなっているし、途中で何かパンク等のアクシデントがあれば山中で日没、そして街灯のない林道を下る羽目になる。 答えは決っている、無念だが来た道を戻ろう。 未練がましく林道入口から少し先まで歩いて様子を見に行ったりもしたが、ここで折り返す決心をした。

下界へ

体の冷えに備えてフリースを着込み、ゲートを後にして下り出す。 4時間かけて登って来た坂道も、重力に逆らわなければ一瞬で下り切ってしまう。 下り坂を右に左にハンドルを操りながら次のリベンジをどうするか考え出したが、いやいや、今は余計な思案をしていたら事故ってしまうと頭から振り払う。 無我の境地で30分程のダウンヒルをこなすと、すぐに街中へと降りて来た。 撤退を余儀なくされてだいぶ落ち込んだが、途中で以前に訪れた公園に寄り道し、山梨交通の電車にご挨拶する位の心の余裕は戻った。

街中で道を間違えつつ進み、富士川大橋の袂に石碑を祭った小公園があったのでベンチに陣取り、電車の時間を調べながら残りのお握りを口に運ぶ。 この先このコースに再びチャレンジする機会はあるだろうか、あったとしてもあんなに苦しい登りはいやだな。 あ、楽に走れる軽い自転車を作ればいいんじゃないか? 性懲りもなくそんな思いを頭の中に巡らしながら、食後のデザートを頂いた。 (おわり)