■ 太平洋セメント~西大家

後半へ進む前に、関連するセメント会社系の変遷をちょっと整理してみよう。 買収や合併を繰り返し、その規模と連動して社名も地域から「日本」、「太平洋」とスケールがどんどん大きくなって来る。 この分ではそのうち「地球」セメント?いゃ「宇宙」セメント… なんて事はないか。 ちなみに、数多いグループ会社の中から鉄道に関連する一部をピックアップすると以下のようになる。 このサイトのネタでもお世話になっている、そしてなりそうな会社が揃っているのがわかる。

変遷グループ会社(の一部)
浅野セメント日本セメント太平洋セメント  
小野田セメント秩父小野田
秩父セメント

さて、工場裏手側から出て来る西大家貨物線の探索に入ろう。ここは主に東上線高坂の秩父鉱業線から運ばれて来る粘土を日本セメントで加工し、出来上がった製品を下板橋の包装工場へ輸送することを目的として敷設されたものだそうだ。 線路跡は高い築堤や蔦の絡まる架線柱もまだ健在で、以前と変わらぬ姿を見せていた。 こちらは前回訪問時に既に廃止されて日が経っていたが、距離的に駅から遠い事もあり転用の話はないのかも知れない。 と思ったらその先で築堤はプッツリと切れ、敷地上には新しい住宅が綺麗に並んでいたのだった。 このあたりからかつての線路は徐々に坂を下って地上と同レベルとなり、一面の畑地の中を進んでいたのだが、今は新しい道路に呑み込まれて跡地の境界は判然としない。

Photo 昔のままの陸橋
2009年現在 1995年当時 Photo 新道が出来ていた

やがてこの新道区間が終わると、線路跡は雑木林を掠めて立入禁止の空地奥へと消えて行く。 ここは抜けられないので進行右手側の細道を一旦遠回りして先へ出ようとするが、どこも行き止まりになってしまい、すごすごと先ほどの道路の地点まで振り出しに戻る。 今度は左手へと大きく迂回し、ようやく線路跡に再会する事が出来た。 小さな工場脇を抜けて行くこの光景は覚えている。 以前はこの場所に鉄板が敷いてあり何かの工事が行なわれていたが、今は草薮が深くてちょっと入ってゆく気になれない状態になってしまっている。

2009年現在 1995年当時 Photo 道路脇の線路跡
2009年現在 1995年当時 Photo 工場の横を抜けて行く

再び迂回して次の道路交差地点で線路跡を探すが、なかなかそれらしきものを見付ける事が出来ない。 無闇にあちこち走り回っているうちに方向感覚もおかしくなって来てしまい、気がついたら目の前の丘には「城西大学」の看板を頭に乗せた大きな建物が。 この時はとっさにどこへ出たのかわからなかったが、後で調べたら向かうべき西大家とは明後日の方向へ暴走し、高麗川を橋で渡るあたりまで行ってしまったようだ。 現在地がわからず頭の中は少々パニック、で、進んで来た道を逆にトレースして三たび新道の地点まで振り出しに戻る。

Photo バス転回場として使われていた

そこで地図を再確認してようやく心落ち着け走り出し、やがて小ぢんまりした西大家の駅前へ。 廃線跡は駅の東側を走っているのでそちらへまわってみると、以前のまま横たわる浅い塹壕状の敷地が現れた。 その付近のY字道路に挟まれた部分にはバス停のポールも立ち、東武系コミュバスの転回場として利用されているようだった。 越生線との合流地点は敷地上に変電施設が建っている。 その裏手から線路に沿って次の踏切までのワンブロック分が複線幅の用地があって架線柱の配置もこのあたりだけ広く、かつて留置線が存在した事を暗示していた。

Photo 越生線合流地点

この日はこの後の帰路でも途中で道に迷ってしまい、今ひとつ調子の出ない一日だった。 いつもは野性の勘?で何とか軌道修正出来るのに今日はいったいどうした事だろう…  良く考えてみたら、どうも曇りの日はお日様が見えない為に方位の感覚が狂ってしまい、帰巣本能の体内コンパスにズレが生じるのだという事に思い至った。

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