太平洋セメント埼玉工場専用線

~ 曇天の廃鉄路 ~

夏生まれなので基本的に暑さは苦手でない(むしろ好きなほうだ)が、さすがに炎天下を大汗かきながら自転車でトボトボと走るのは出来れば避けたいもの。 そんなわけで、この季節はむしろ曇天の日に出かけるのが常となっているのだが、いきおい、途中で雨にやられる確率も高くなって来るのは言わずもがな。 でも、自転車乗りも年季が入って来ると、出がけの空模様とか空気の匂いで今日は大丈夫って自然と判断が出来るようになって来るから不思議だ。

Photo 高麗川駅からの線路終端部

といった按配で、今日も今日とて梅雨時のどんよりとした雲の下、自転車のハンドルを向けるのは埼玉県はJR八高線の高麗川駅。 ここを前回訪れたのは1995年の秋だったので、あれからもう14年も経っている事になる。目的はもちろん廃線跡、今回はセメント工場がらみの引込線だ。 ご存知の通り、高麗川の太平洋セメント埼玉工場にはかつて八高線側と東武越生線側からそれぞれ専用線が延びており、原材料の石灰石や燃料の輸送、製品の出荷等に使われていた。

95年に私が訪問した当時、高麗川駅からの引込線はまだ生きていて時々貨物列車の出入りが残っていたが、その後例によってこの方面の輸送はトラックに代替えされ、引込線はその使命を終えて廃止となった。 だから廃線となってからここを訪れるのは今回初めてであるが、この線路敷が地元の日高市に買い取られ近く遊歩道としての整備が始まると聞き、慌ててやって来たという次第だ。

Photo 線路に雑草は良く似合う

私には苦い思い出があるのだ。 いつも電車の中から見えていた、さる場所の廃線跡。 それは本線から急なカーブを切って雑木の向こうへ消えて行く好ましい枯れた日常風景だった。 ある日その敷地に重機がうごめいているのを目撃し、それからあっという間に線路敷は掘り返されてまっさらな分譲地へと姿を変えてしまった。 数十年もずっとそこにあった物がある時を境にそこから無くなる…、そんな世の移ろいのはかなさと言ったら大袈裟ではあるが、消滅する前に訪れる事の出来なかったのが自分の中でとても哀しかった。

もちろん廃線跡としては、そのまま野ざらしにされている位だったら人々の役に立った方が本望だろう。 昨今はこういった遺構も産業遺産的な見方をしてくれるケースが増えているので、高麗川のこの場所もどんな形で生まれ変わるのか楽しみに見守りたい。 実際線路がまだ使われていた頃から(!?)、ここは便利な近道として通行する人も多かったのだから。

Photo 今に残る警報機

■ 高麗川~太平洋セメント埼玉工場

さて探索の方だが、高麗川方は廃止後ほどなく八高線からの連絡線路は断絶されたようで、構内から伸びて来る途中に設けられた車止めも既にかなり落ち着いた様相を呈していた。 細い路地と交差する踏切の部分も線路がカットされているが、まだ警報機がそのままポツンと突っ立っているのが奇跡にも思える。 線路上は雑草が目立ってはいるものの、少し足を踏み入れてみるとまだまだバラストが厚くて廃止後10年の歳月はあまり感じられない。

Photo カーブの向こうにセメント工場

その歩きにくい砂利の上を自転車を押して少し進んだ所で、レールの上にどっかと腰を降ろしてしばらくその場に佇んでみた。 線路が曲がって行く家々の屋根の向こうにセメント工場の塊が高くせり上がっているのを眺めつつ、名物だったお化け煙突も本数が減ったみたいだなぁ…と感慨にふける。 風に乗って警報機の音が遠くから聞こえて来る。 振り返ると畑の向こうの線路を、高麗川駅を発車した八高線の気動車がエンジン音も軽やかに駆け抜けて行くところだった。

Photo 住宅街の中を抜け

小築堤から段々と地上に降りて来た廃線跡はしばらく住宅地の軒先をかすめた後、学校の裏手を抜けて広い道路を横断し、セメント工場の敷地内へと消えて行く。 その門前あたり、以前は線路が何本も工場構内から延びて来ておりヤード状を成していたと記憶しているが、今は間の抜けた中途半端な空き地の上を風が吹き抜けて行くばかりだ。 工場のフェンスに沿って敷地の横をグルリと裏手へ迂回する。 周囲は太平洋セメントと取り引きがあると思われる中小規模の事業所が散見される。 見上げると、セメント工場の目もくらむような高い櫓が、空を覆う雲に突き刺さるように聳え立っていた。

Photo 工場入口のヤードがあった辺り
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