〜 多摩湖線 (1) 〜

みなさん初めまして。西武新宿線の航空公園近くに住んでいますYUMENOと申します。ちなみに1960年代前半の生まれ、どちらかと言うと沿線より車両派です。そんな私のお話で良ければいろいろと語ってゆきたいと思います。当時の写真なんかも探せば懐かしい物が出て来そうですので。

さて、まずは西武の多摩湖線に関して、私が経験した話をいたします。 H.Kumaさんのレポートで「本町信号所と言うそうですが、ここで列車交換を行なう事もあるのでしょうか。」となっている所ですが、わたしも西武は好きで(多摩湖線は最近はあまり乗っていませんが)子供の頃はよく乗りに行きました。昭和48年頃で当時の形式は赤電371系と351系3両編成の時代です。萩山から乗りますとこの信号所で停止した事が何回かあり、すると国分寺発の列車が通過交換しその後動き出すという物でした。逆に国分寺から乗ると萩山発の列車がここで止まっていてこちらが通過。毎回ではなくダイヤの組み立てで日中でもすれ違いがありました。余談ですが1編成が検査入場した時は411系2連が代走していたのを見ました。この車両は後の黄色い401系なのですが、しばらくは20メ−トル車は2連しか入れなかったので新501系2連とかもいましたね。今は101系多摩湖専用車もいたりと話題にはことかかない車両がいることでファンには有名な路線です。現在でも平日朝の国分寺発一橋学園行き運用の時にこの信号所で101系同士の交換風景が見られるのですね。ちなみに当時の一般的な交換は「一橋学園駅」が普通でした。現在も勿論そうです。

とにかくのどかな時代でした。17メ−トル3連が限界で20メ−トルは2連が限界。371系2本と351系1本が当時のレギュラ−。そしてそのうちの1本が検査に入ると(と言っても昼間は2本運用で1本は萩山の新宿線と多摩湖線の間の待機線で寝てました。この線も今はありません。)本線から411系などの2連が応援運用でした。451系列も来ていたようです。その後昭和50年に371系クモハ4両が引退し中間サハ1311は利用し351系にすべて置き換え。元からいた351系は正面に「方向板」で後から置き換えた351系は本線運用から流れたので正面窓の「方向幕」でした。そのころは萩山駅ホ−ムの改良工事が行われていました。

Photo
クモハ376

そして時は過ぎ、赤電は改造や廃車で姿を消し多摩湖線に唯一351系更新車が残ったのはご存じの通りです。他は新501系や411系改造の401系2連の黄色部隊。これが多摩湖線初の冷房車ですね。余談ですが351系の更新は結構大がかりでして、3連とも床は木張りからロンリウムに変わりました。張り替えたか上張りかは不明ですが、少なくともクモハは運転室のみ木張りのまんまであきらかに客室内と微妙な段差があったのです。他、前照灯がシ−ルドビ−ム2灯化。室内化粧板の交換。そしてサハ1311...これら3編成のサハはもともと方運クハとクモハでずっと乗務員室扉が国分寺方に固定のまま残されていてその場所は左右とも座席がなかった、ちょうど今の車両の車椅子スペ−スにそっくりでしたよ。それが更新の際に窓にされて座席ももうけられたと言う大工事をされていたのですね。後から付けた窓の部分のみノ−シルノ−ヘッダ−です。いかに多摩湖線で重宝されていたか...当然ですが。4連ホ−ム工事完了までですが。当時20メ−トル3連予定だったと聞きました。車両は今の流山電鉄などにいるタイプと同じ701系列や101系の3連改造車の構想だったそうです。

長くなりましたがもう少しだけ国分寺駅について。多摩湖線の国分寺駅ですが、今は1本入線スペ−スですが赤電3連の頃は2本入線出来ました。改札側から見て右側にもう1本ですね。踏切を越えてホ−ムへ二股に分かれていた記憶があります。ただ4連ホ−ム延長後もあったかどうかは記憶が定かではありません。線路のつなぎ目も今のロングレ−ルじゃなくかなり短い間隔のレ−ルで走行音がかなり派手でした。 当時の国分寺駅の多摩湖線改札と窓口は特殊でしたがこれはまた別の機会にでも。



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