谷津遊園と謎の駅 (4)  

- プロ野球発祥の地 -

 園を出て、そのすぐ脇にあるというプロ野球発祥の地の石碑を見に行く。ここは、昭和9年に正力松太郎氏がベーブ・ルースやルー・ゲーリック等の一流選手を擁した全アメリカ選抜野球チームを招致し、日米親善野球を行なった場所であり、その時に結成された全日本チームを母体として、東京巨人軍(後の読売巨人軍)が誕生したのである。
 石碑は谷津遊園当時から園内にあったのを何となく憶えているが、その時と全く同じ位置にあるのかどうかは不明である。石碑の前には、現在も監督や解説者として著名な一流選手の手形とサインが並んでいる。

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18. 石碑手前が選手の手形
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19. 谷津遊園地跡の案内板

 バラ園の脇をぐるりと周って海の方へと歩いて行くと、松林に囲まれた小さな芝生の広場があり、その片隅にポツンと「伊藤塩田・谷津遊園跡」の案内板が立っていた。津田沼村長、伊藤弥一氏が開設したこの塩田は入浜式塩田という方式だそうで、昔学校の授業で習った記憶のある方も多い事だろう。またここは同時に、無声映画時代を築いた阪東妻三郎の阪妻プロダクションが撮影所をおいた地でもあるという事だ。


- 干潟になった谷津海岸 -

 芝生広場から松林を抜けるとパッと目の前が開け、海が広がる。いや現在は海でなく、埋立地に四方を囲まれた「谷津干潟」となっているのだが。干潟の向こうには水平線の代わりに湾岸高速と京葉線が景色を遮り、遠くザウスの恐竜の様な背骨が排気ガスのスモッグの中に揺らめいている。波のない干潟の海面には無数のアオコが漂い、正直あまり気持ちの良い空気とは言い難いが、これでも野鳥たちにとっては貴重な楽園だ。
 しかし下の地図を見て頂いてもわかる通り、東京湾はほんとうに遠くへと去ってしまった。かつてこの干潟の辺りで潮干狩りが楽しめたなんて、今やほんとうに夢のようだ。

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20. 谷津干潟

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- 谷津遊園随想 -

 帰って来てから、谷津遊園に関する事をポツリポツリと思い出したので、最後にそれらについて少し書き出してみようと思う。

菊人形
当時あちこちで人寄せに行なわれていたらしいが、この近辺では谷津遊園の菊人形展が有名だった。子供にとってはあまり面白いものではなく、菊の花の中に人形の首が立っているだけじゃないか、なんて思っていた。
動物たち
シロクマ、象、チンパンジー等が印象深い。インド象のミヨ浜松市動物園にもらわれていったようだ。チンパンジーもいるが、どちらもかなり高齢の部類だろう。(ミヨは2008年7月に亡くなったそうですが、推定30〜40歳との事で谷津遊園末期に入った像のようです。追記2008年10月)
遊覧ヘリコプター
料金が高いので当然乗せてもらえず。それ以前に、怖がりだったため自ら乗りたいとは言わなかったかも。隣のヘルスセンターではセスナの遊覧飛行があった。
展示館
大きな体育館の様な催物場があったと思う。ある時大鉄道模型展をやって、その建物全体にメルクリン!?の HOゲージの線路が縦横無尽に敷かれた。レイアウトと言えるほどのシーナリィは無かったと思うが、館内を順路に沿って見て回る様な趣向で、アクリルの通路の下を列車が通ったりして楽しかった。
ジェットコースター
記憶が少々曖昧だが、一部が海の上を走っている海上コースターだった様な気がする。その後出来たコークスクリューは国内初の宙返りコースターで、絶叫マシンの草分け的存在。これは閉園時に北海道の遊園地へ渡ったらしい。未確認だがここのがそれっぽい?
開運号
園内に一時期置いてあったような。中間車は抜かれて津田沼第二工場の方に持って行かれたので、1600形先頭車2両の登場当初の姿だったはずだ。ただしこれはボディだけで、下回りは普通車に転用されたので、展示に際してはさらに旧型車の台車をはかせたか、仮台車のようなものだったかも知れない。
潮干狩
海岸の海の家に荷物を預けて、海へと向かう。潮干狩り場までは長〜い木橋が海の上を続いていて、最後に階段を下りて生ぬるい海水に足を漬ける。それが何とも気持ちの悪い感触で、最初は気にしていたのだが、そのうちに貝を掘り始めて夢中になるとすっかり忘れてしまっているのだった。

 そんな事を徒然思い出しながら、デジタルカメラで撮って来たものと昔の写真を見比べていて、思わず「あッ」と声を上げそうになった。バラ園の隅のほうにあった裸婦像(下、右の写真)と、冒頭の写真2で花壇の中央に立つ裸婦像を拡大してみる(下、左の写真)と、どうも同じ物のようなのである。
 30年以上も前の6x6判ブローニィフィルムに焦点を結んだ立像と、最新の撮像素子で捉えたそれが、奇しくもこの画面上で符合した瞬間。当時と場所は異なるようだが谷津遊園時代の像が今もまだ使われ続けている事は、ちょっとした感動をおぼえた出来事だった。

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昭和40年代の像
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現在バラ園の隅に立つ像
(本稿おわり)

その後多くの方から、谷津遊園に関する思い出をお寄せ頂きました。 Icon 「谷津遊園めもりぃず」へ




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