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船生~玉生

行く手の道脇左手に倉庫が見えて来ると次の舟生駅跡。 ここにはホームの石積みが残っていて見所なのだが、しかし前回来た時とは少し様子が違っているようだ。 倉庫の一棟が取り壊され、その土台となっていたホーム跡もろとも更地となっていたのだ。 かろうじてもう一棟の倉庫はまだ建っていたが、その足元にあるのはホーム端のごく一部に過ぎない。 しかし裏手の貨物ホーム跡は、草に覆われながらも空地の中に残っていて一安心した。 倉庫裏はちょっとした広場になっており、そこから北方向を眺めるとどことなく駅前通りの雰囲気の残っているのが感じられた。 走り始めてからホームが出て来たのは初なので、ここでポーズをとらされつつ一頻り撮影大会となる。

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■倉庫下に姿を留める舟生駅跡のホーム擁壁

この駅の先には長峯荷扱所というのがあって、北方の山中にある東古屋のあたりから森林鉄道に乗せて下って来た木材等を積み替えていたという。 前回見た細い畦道の様なのがその跡かと思ったが、どうもこれは位置的に違っていたようだ。 ほんとうは少し山の方へ入ってこちらの軌道跡も見たい所だが、さすがに今日はそこまでディープな探索は見送った方が無難である。 密かに編集長をこちら方面に覚醒させるというミッションもあるので、ここは押しが強過ぎて引かれてしまうと元も子もない。 さらに進んで行くと、目の前には日光北街道の一見高速道のようなバイパスが行く手を遮る。 新しく出来た側道のある立派な高規格道路である。仕方なく信号まで行って道路を横断し、向こう側の側道を少し戻って軌道跡へと復帰した。

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■天頂駅跡。この土台はホーム跡では無い

その信号南側に位置する公民館の先が天頂の駅跡だが、前回全貌を見せていたホームの擁壁を今回見逃してしまうという失態を演じたのは、隠しておくわけにはいかないだろう。 後で調べてみると、どうも道の舗装工事が行なわれた際に道路面のレベルが上がり、ホーム跡はその頭部を残して全体が埋められてしまったらしい。 ここで私が物知り顔にこれがホーム跡だと編集長に説明していた物件、実はホームでも何でもなく単なる公民館土台のコンクリだったという落ちが付いたのだ。 実際のホームはそのすぐ横に隠れていたというのに、これは全くもって面目ない話ではある。といった事情があって、誌面には天頂駅跡の写真を載せる事が出来なかった。

天頂を出るとしばらく工場裏手の切り通し状の雰囲気の良い区間が続き、その先の細道は入口に車進入禁止の柵が立っている。 そのあたりもなかなかいい感じの道行きで、自転車を走らせながら脳内では自然に「シュッポ、シュッポ」と汽車の音が再現されて来る。 しかし、それを口に出したら怪しいおじさんになってしまうので要注意である。 この区間の途中には鉄道敷地境界で良く見かけるような柵があるが、これはコンクリート製なので当時の物かどうかは少々疑問。 矢板線敷設当時は、まだ木材の柵が主流ではなかったかと思われるからだ。ただ、廃止間際に整備された事も考えられるので、これは何とも判定が難しい。

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■ホームがほぼそのままの形で残る芦場駅跡

次の芦場駅は11年前と変わらず、しっかりとしたホームが残っていた。 いや、良く見るとその上には「芦場新田 駅跡」と書かれた案内板が立てられている。 この駅は保存という意味では他に比べて恵まれているようだ。 しかし本来の駅名は「芦場」の筈だが、一時でも「芦場新田」と呼ばれた時代があったのだろうか。 花々の咲くホーム跡に腰掛け、しばし駅に到着する汽車の情景を思い描いていた。 きっとそんなフォトジェニックな(!?)姿を誌面用にファインダーで狙われているだろうと若干意識して振り返ると、のんびりと一服つけている編集長が「いいとこですね」と宣う。 しかしやたらタバコ休憩が多いが、自転車乗りとして大丈夫かこの人は?(笑)。

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■ホーム上はお花畑として整備?されている

ここから先、次の玉生までの間は小山を越える区間となる。 街道はカーブしつつ切り通しで抜けて行くが、鉄道の方は急勾配を避けてその脇をトンネルで潜っていた。 新高徳方のトンネル入り口は既に埋められてしまって跡形も無いが、矢板側のトンネル出口は道路脇の建設会社事務所の下にポッカリと大きな口を開けて待っている。 編集長も思わず「おぉ!」と声を上げたが、ここは実に意外な場所に意外なものがあるので知らずに来るとかなりビックリする。 倉庫代わりのトンネル内は以前は雑多な物が置かれていたが、今回覗いて見たら綺麗に片づけられていた。 きっとネットで知られるようになり、見学に来る人が多くなったせいなのかも知れない。 線路跡は街道を斜めに横断し、玉生の駅へ向けて左へカーブを切る。 その付近に若干築堤状の敷地が残るが、雑草が多くて今は形が良く分からない。 もう少し草の枯れる時期を待つべきだったかと思うが、雑誌の入稿締切の関係で実際それは無理なのだ。

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■玉生付近のトンネル跡。編集長が偵察中
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■路盤跡は草ですっかり覆われていた

玉生は矢板線の途中では一番の繁華な街であり、朝夕に一本ずつこの駅で折り返す区間列車もあったという。 駅跡はその広さを利用して現在製材所になっていて、このあたりは前回来た時と基本的に変わっていない雰囲気だ。 古い建物の目立つ街中は深閑として人影も見えず、休日のお昼時がただただ静かに過ぎて行く。 前回の記事を公開した時にそれを見た玉生在住の方にお便りを頂いた事もあったが、今もこの街に暮らしていらっしゃるのだろうか。 玉生を出ると田園地帯の中で線路は右へとカーブを切り、荒川(東京湾に注ぐ荒川ではない)の鉄橋に向かって進んで行く。 川向うに控える丘陵地帯に備え、大きな築堤で徐々に高さを稼いでいた箇所だ。

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■製材所敷地が玉生駅跡と思われる