玉生~矢板
車道を迂回し、荒川対岸の段丘上にある大平崎公園の麓に立つ。 そこから見下ろしてみても、河川改修により橋梁の痕跡は何も残っていないようだった。 これからの登りに備えて一息入れるも、日向は残暑でかなり蒸し暑くなってきた。 まだ半袖の人が多い季節だが、雑誌の発行時期を考慮して今日のドレスコードは「秋冬」なのである。 真冬に薄着で撮影に臨むグラビアアイドルの気持ちが少し分かる。 あ、これは逆パターンか。 荒川の先、いよいよ沿線で最も厳しい急坂の区間に入る。 と言ったってそれは機関車にとっての急勾配であり、普通のサイクリストには難なく登り切れる楽勝コースだ。 森の中の美味しい空気を味わいながら登って行くと、道の上空には、かつて鉄道を跨いでいた道路橋の遺構が緑に覆われながらその神秘的な姿を晒している。
坂道が一段落すると景色は高原状となり、やがて目の前が急に開けて小広い芝生の空地が現れた。 ホームが残っていないので予め調べてないと見過ごしてしまいそうだが、ここが柄堀の駅跡である。 駅前に当時からあるという商店、建物が新しくなって看板も見えず今は営業していないのかと思われたが、ガラス越しに覗いてみると玄関先のちょっとした所に商品棚が置かれているのを発見。 年配の女性が店番をしていたので、編集長がお菓子を買いに入ったついでに少しお話を伺ってみる。 彼女はこの駅から玉生の学校まで汽車で通っていたそうで、一時期はガソリンカーも走っていたと言う。 持って行った現役当時の列車の写真を見てもらうと、「あー、これだこれだ」と言って懐かしそうに指でなぞっていたのが印象的だった。
柄堀駅を出ると線路はその先で再びトンネルに入る。 ここは廃線になった後に道路トンネルへと転用されたが、崩落の危険性が増して前回訪問時は既に通行止めになっていた。 今はその脇に道路が新設されているものの当時は他に道がなく、地元の人は汽車の来ない時間帯を見計らって抜け道替わりにトンネルを通行していたらしい。 その入口側はその後埋められてしまったようだが、逆サイドはトンネルポータルが残っているのが道路から確認出来た。 しかし、深い草薮に阻まれてその間近まで行く事は困難だった。 トンネルを抜けると周囲は純日本的里山風景の下りとなり、ペダルも踏まずブレーキも引かずに適度な速度でどこまでも気持よく走れる。 「ここ、いいですねー、撮りましょう」との事で、編集長からもお墨付きを得た場所となった。
その里山風景が一段落すると、線路跡は矢板高校下からの舗装道路と合流して下り続ける。 ここらは道々に「処分場反対」のプラカードが目立ち、この地域の置かれた現実へと引き戻されてハッとする。 しばらく離れていた日光北街道と線路跡が交差すると、その先に最後の中間駅である幸岡のホーム跡が我々を待っていた。 そのコンクリートの壁面は以前のままだったが、近くに建っていた鉄道関係と思しき古びた羽目板の建物は撤去されてしまったようだ。 線路跡はさらに矢板の市街地へ向けて真っ直ぐに下って行く。 丘陵地帯を下りきると車窓は矢板郊外の田園風景となり、そろそろ乗客達も乗換え準備を始めた頃合だろう。
内川に架かる謎の東武橋を渡ると、ようやく今回の目的である大きな目標物が道路脇に見えて来る。 矢板駅に至るカーブの手前で街中に鎮座するそれはとてつもなく大きなコンクリートのブロック、これ、実は用水路を跨いでいた桁の橋台なのである。 新高徳をスタートした直後に見た遅沢川の橋台に次ぐ大きなもので、前回の訪問で何故にこんな目立つ物件を見逃したのだろうと不思議に思う。 きっとそれがあまりにさり気なく風景に溶け込んでいるので、鉄道に関係する遺構だとは気付かなかったのかも知れない。
当時入手出来る資料にはこの橋台の情報は皆無だったので、自分の眼だけを頼りに発見するしか無かったのだ。 このあたりの線路は築堤区間であったのだが、それを知らなかったというのも大きいかも知れない。 その後ネット上では多くの人が廃線探索をするようになり、この物件も一般的に認知されるようになって来たようだ。 もちろん私もネットの検索でこれを知ったので感謝しなければいけないのだが、反面、こういったものを自分で発見する喜びが薄れてしまったのも事実で少々複雑な気持ちがする。 もちろん、私もその情報発信者の一人として加担しているからでもある。
橋台の遺構を後に最後の一走り、その先で左カーブを曲がれば右手には東北本線の線路が見えて来る。 JR矢板駅の南側に隣接する区画が矢板線の駅跡との事だが、今にその痕跡を見付けるのはまことに困難な現況である。 矢板駅に到着し、ひと通りの探索を終えた我々、取材に専念していたのでまだお昼を食べておらず腹ペコである。 特に編集長は痩せ型だがこの前の取材で某氏とラーメン4杯を平らげた腹の持ち主でもあるので食事はおろそかに出来ない。 駅前に目ぼしい店がなかったのでひとまず近くの道の駅まで戻ろうという事になり、再び自転車に跨り走り出す。 私が先導して適当に道を進んだら、どうも明後日の方へ走ってしまったらしく、だいぶ遠回りをした挙句ようやく「道の駅やいた」に着いた。
私はトイレ、編集長はとりあえず喫煙エリアで一服。走行中私は煙草の事なんか全く考慮してないから、それに付き合わされる身には難儀だったろう。 一息ついたら併設された農村レストランに入り、和豚(わとん)もちぶたのトンカツ定食を頼んだ。 普段と違い今日はさすがにガッツリ系でお腹を満たしたい気分だったからだが、トンカツは柔らかくとてもジューシーな肉で大変美味しかった。 「はい、お肉持ち上げて美味しい顔してー」と編集長にいつものショットを撮られたが、かつてそれが一度も誌面に登場した事のないのは私にとって謎である。 その後駅に戻って自転車を畳み、15時過ぎの電車で矢板の地を後にした。 編集長は次の取材のため宇都宮で新幹線に乗り継ぎ東京で東海道新幹線に乗り換えて、その日のうちにそのまま奈良まで行くという難行苦行。 私は宇都宮始発の湘南新宿ラインで、乗り換えなしで新宿まで楽々帰って来た。
おわりに
しばらく振りに矢板線跡を走ってみて、昔と変わらない懐かしい景色を見せてくれた場所がある一方で、驚くほど変貌している箇所も多くあり、その沿線の状況は様々だった。 しかし一番変わってしまったのは何かと言うと、おそらく走っている我が身のほうだろう。 それは外面的にも内面的にも、今の自分に対して如実に現れている。 年月を経てジワジワと来る体力的な衰えは如何ともし難いが、少なくとも走る事に関しての情熱だけはこれからも失いたくないものだ。 東武矢板線跡、この先、三たび訪れることがあるだろうか。 それは、今回の訪問で、私がまだ忘れ物を残しているかどうかにかかっているのかも知れない。