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新高徳~舟生

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■浅草駅にて発車待ちのスペーシア

はやる気持ちを思いやるように次々と駅を飛ばして快走を続けたスペーシア、下今市で日光線から分岐してしばらく走り、鬼怒川の深い谷を鉄橋で渡るとまもなく下車駅の新高徳へと到着になる。 下車間際に輪行袋を取りに行った編集長、乗車時に私とデッキを違えて乗降の迷惑にならないよう自転車を分散させたのはさすがと思わせたが、「じゃ、ホームで」と通路を歩いて行く先が置いた場所とは逆方向。 「こっちでした(テヘ)」と戻って来たが、ブルベも走る自転車乗りなのに方向音痴か!と突っ込みたくなったのは車内でおごってもらったサンドイッチに免じて内緒にしておこう。 ドアが開きホームへ足を踏み出す途端、11年前のあの日の寂しい感覚が蘇る。 ここは鬼怒川温泉の一つ手前、観光客は殆ど無くひっそりとした小駅である。

トイレに寄ってから改札を出ると、車内でずっと禁煙を強いられていた編集長は既に煙草に火を点けて一服していた。 駅前で早速自転車を組み立てる。壁に立てかけ並べてみると、彼の山手線色と私の埼京線色の自転車は一瞬池袋かと勘違いしそうになる、わけはないがベストマッチの 2ショットではある。 新高徳の駅前広場はさすがに以前とあまり変わっておらず、ここではまるで時間が止まっているかのようだ。 前回駅前にいたバスの車体だけは年月を経て新しくなったろうが、今日は日曜なので停留所に発車待ちの姿は見えない。 このバスは矢板線廃止時に代行として設けられた新高徳~矢板間を結ぶものだが、主な利用者は通学生位しかいないので休日は全面運休のダイヤとなっているのだ。

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■新高徳駅前で自転車を組み立てる

「じゃ、行きましょう。」人影無く静かな駅前を二人でスタートすると、すぐに線路跡は鬼怒川線からカーブして分かれ東へ向かう道路となって進んで行く。 今日は東京方面は朝のうち小雨が降っていたが、こちらに来て電車を降りてからは徐々に雲が切れ青空が見えてきた。 スペーシア車内では「おかしいなぁ、雨男じゃない筈なのに」とどちらも首を傾げていたが、あっぱれ晴れ男二人連れの面目躍如である。 周囲は駅前の住宅地から林間のコースへと移って行く。 編集長は廃止になったリゾート施設の看板等にもすかさずシャッターを切っている。 後で何が記事になるか分からないので、とりあえず撮るものは撮っておこうという編集者魂は見上げたものだ。 というか私が何を書くかあまりはっきりと伝えてないのがそもそもよろしくないのか。路面はまだ所々濡れているが、踏み込んでもタイヤから水しぶきが跳ねる程ではない。

しばらく直線状に進んでゆくと丁字路となり、その正面には大きなダンプが一台駐車している。 前回来た時に見たのと同じ光景、車は変わったかも知れないがおそらく同じ所有者の物だろう。 その脇を抜けて裏手へ進むと、草深い踏跡がまだその先へと伸びている。雨露に濡れた草の生い茂る道、足元が見えないので自転車を押して数分の軽い藪こぎモードへと突入。 するとすぐその先で路面はプッツリと途切れ、目の前には川の流れが立ちはだかる。 ここに新高徳側から数えて第一番目の大きなる遺構、遅沢川を渡る鉄橋の橋台が残っているのである。 「ほぉ…」しばらく橋台の上に立ち尽くす二人、対岸にはもう一体の苔むした石積みが見えている。

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■新高徳側路盤上から遅沢川対岸の橋台を望む

「下へ降りてみましょう」橋台の上に自転車を寝かせ、その脇の雨露で湿った斜面を私が先にズリ落ちる。 下り着いて見上げると、まだ上にいる編集長が私の自転車を持ち上げて崖際へと歩み寄った。 うゎ、投げ落とす気か!?と一瞬思ったがそんなわけもなく、「そこから見えますかー」とのんびりした声で自転車を固定しつつ聞いて来た。 そうか、下から背景に自転車を入れて撮影する気だな。 しかし立て掛けた状態で置き去りにされた私のおニゥの自転車(とは言え既に3年もの)が転んで落ちないか、見上げると少々心もとなくヒヤヒヤした光景ではあった。

後から立木につかまりつつ斜面を慎重に降りて来る編集長、オンロード仕様のクリート靴にはちょっと酷だったかな?  そういえば車内で「今日は藪こぎもありますよ」と言った途端、彼の顔には「えっ(聞いてないよー)」という相が一瞬垣間見えた、気がした。 河原に降り立つと、川を挟んで対峙する 2つの大きな遺構を眺める事が出来て感慨無量。 橋台の脇へ回って以前のように全体を写真に収めたいと思ったが、今日は前回よりも心なしか川の流量が多くて靴を濡らさないと無理そうである。 向こうには線路跡が続いているので自転車を杖代わりに渡渉したい欲望も湧いてくるが、まだ探索を始めたばかりなのでここは大人しく車道を迂回する事にしよう。

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■河原へと降下中の編集長

一度県道へ出て遅沢川を渡り、再び廃線跡の方へと脇道に入る。 ここのあたりは広大な田園地帯を横切る見晴らしの良い区間、風景も明るく開けていて開放的な気分になる。 あまり汚れないうちにという事で、休憩も兼ねて田んぼの中で自転車の撮影を済ます。 過去の取材はいずれもオンボロのパスハンだったが、今回は新車に近いからアップにも耐えられる筈だ。 再び走り出すと道は田園地帯から集落の中へ、「たぶんこの道が線路跡でしょうねー」「確かにそんな雰囲気ですね。」したり顔で講釈しつつ里道を抜けて行く。 だがその先で、脇の森から一目で線路跡と分かる細道が出て来る所に遭遇して急ブレーキ。 「あれ?こっちが線路っぽいな」してみると今しがたの道は位置的に廃線跡では無いという事になる。 編集長がおもむろに何かを取り出して確認している。 誌面のルートマップ作成用に持って来たGPSだそうで、その中には私が事前にお送りした廃線跡のラインが仕込んである。 やはりここがピッタリの位置との事で、私は「やぁー、さっきのは違うようですね」と照れ笑いするしかなかった。 いやはや、文明の利器とはやっかいな便利なものだ。

そこから逆に新高徳方向へ戻るように進むと、森の中で用水路を渡る部分に小さな橋台が残っており、その先の線路跡は鬱蒼と茂った草薮の中へと消えていた。 この付近、実は前回の訪問時はあまり正確にトレースする事が出来なかったのも事実で、この橋台もその存在は知っていたが私は今回初めて見るものだ。 何しろ今から11年も前の事、Googleが日本でサービスを開始してまだ間もないし、Wikipediaなんて便利なものもない。 ネット上のマップシステム等も存在しない時代、紙の旧版地図や書籍だけが頼りだった。 今では検索一発で豊富な情報が取り出せるし、自分がどこにいるのか数メートル精度で分かってしまう、環境として当時とは雲泥の差があるのだ。 という聞き苦しい言い訳をした所で先へ進もう。

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■森の中の用水に残る小さな橋台
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■森を真っ直ぐに抜けて行く廃線跡

西古屋ダムから流れ出る白石川を渡っていた鉄橋もその跡は判然としない。 編集長のGPSに頼れば少しは同定出来るだろうが、それでは負けを認める事になるので敢えてやせ我慢をしている私だ。 その先の船場地区あたりから線路跡は明確な生活道路の姿で今に残っていて一安心。 車も入って来ない散歩道は、まさにツーリング向きの自転車天国。汽車道なのでさしたる勾配もなく、ペダルを軽く踏みながら風を切って走ると爽快だ。 ついついポタリング気分で忘れそうになるが、形の良い大樹が道に覆いかぶさっているのが見えると西舟生駅跡が近い。 西舟生は下り列車が新高徳を出て最初の駅、駅間4.6kmは実はこの沿線中で一番長い区間である。 駅跡には何も残っていないが、しばらく自転車を停めて現役当時の駅風景を想像してみたりした。

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■船場地区から始まる廃線跡利用の道路

駅を出ると日光北街道と斜めに交差、当時はここも踏切になっていたのだろう。 その先、新土佐川橋の袂で一休みする。 一休みが多いが、今日のコースは矢板まで全線でも23km程度なのでまぁいいだろう。 11年前、この川のほとりで虫取り網を持って遊んでいた子供達はもう成人する年代になっている頃か。 確か川の土手には境界標らしきコンクリの杭が落ちていたが、今は生い茂る草に阻まれて見つける事が出来ない。 この地にある富士山を右手近くに眺めながら再び走り出す。 その名前とは裏腹な稜線の形だが、しばらく進むと見る方角が変わってコニーデ形に近くなるのは前回学習済、別名お化け富士と命名しても良さそうだ。 編集長にも薀蓄を傾けておいたが、きっと私の記事で事前勉強しているだろうからそんな事は先刻ご承知の筈である。

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■新土佐川あたりのカーブはまさしく廃線跡