食事を済ませ、大鰐温泉駅から乗り込んだ奥羽本線の電車で弘前へ移動。 待っていた気動車はキハ40系の2両編成、弘前を始発として五能線に直通する列車である。 車両は、正面が旧国鉄特急の羽根模様の赤い塗り分けをそのまま青に変えたような地域色になっている。 テレビの旅番組なんかで良く見かけるが、冬のシーン等ではクリームとブルーの組み合わせが少々寒々しく感じる。 何故に厳寒地で寒色系にしたのか、私としてはその意味が今一つ分からない。 弘前を出発したキハはしばらく快適に走り、川部駅でスイッチバックするといよいよ五能線に入る。 沿線にはリンゴの樹々が目立つようになるが、線路等級の違いからか、スピードの方はガクンと一段落ちた。 昨夜の寝不足も手伝ってウツラウツラしてるうち五所川原に到着。 ここで本日の最後、津軽鉄道への乗り換えだ。
冷房の効いた車内から熱暑のホームへ降りると気持ちが萎え気味、でも今日はまだもう一頑張り乗らねばならぬ。 そう思いながら、足元を見つつ跨線橋の階段をトボトボ登って行く。 と、上の方から女性の声が、「津軽鉄道にお乗換えの方はこちらでーす」と涼しげに聞こえて来るではないか。 見上げると制服を来た職員だろうか、手を振りながら登って来た客達をさかんに誘導している。 切符を見せた方がいいのかな?と思って通り過ぎる時掲示したものの、彼女はニッコリ微笑んで「どうぞー」と一言、どうも必要は無かったみたいだ。 跨線橋を降りるとそこは津軽五所川原駅。 ホームには「メロス号」として有名なオレンジ色の気動車が2両、アイドリングしつつ発車を待っていた。 うん、暖色系塗装だと夏はちょっと暑そうだ… そういう意見もある。
後ろの車両は団体専用と掲示があったので先頭車の方へ。 乗る前に写真を取ろうと列車前面へ出ると、ヘッドマークに「スズムシ号」と書いてある。 ん?なんだろう。 車内はそれほど混んではいないものの、一人客、グループ客が分散してボックス単位ではほぼ埋まっている。 かろうじて一つ箱が空いていたので、私もそこへ腰を下ろした。 五所川原を発車するとすぐに街を出外れ、色づき始めた稲穂の絨毯の中を気動車は淡々と進んで行く。 私は前の方で進行方向を向いて座っていたが、車両後部では何やら女性の観光案内が始まった。 津鉄にもアテンダントが乗務していると聞いていたので、それかな?と分かったが、彼女の説明を聞いてようやく「スズムシ号」の意味が理解出来た。 その解説もなかなか堂に入り、津軽弁の素朴なアナウンスが乗客の心を掴んでいるのが車内の空気で分かる。 後から見た津軽半島観光アテンダントのサイトには、以下のように書いてあった。
津軽鉄道に乗車し沿線の見所の地図を配布しながらお客様の時間と要望に合わせ観光案内をいたします。 当然ながら、ご案内は津軽弁です!
分からない場合は丁寧な津軽弁で話しますので、遠慮なくお声掛け下さい。
さて乗ったはいいが、持っている切符は途中の金木駅から先はフリーエリア外なので、終点まで行く私は車掌さんが回って来た時に申告して車補を打ってもらった。 駅名と金額欄にパンチで丸穴を開けるピラピラの例の紙だが、最近あまりお目にかかる機会が無かったのでちょっと懐かしい。 そのうち、これから地図を配るとの事で、後ろから順々にアテンダントさんが回って来た。 感心したのは観光客、地元客含めすべての人に声をかけ、何らかの会話を引き出している事だ。 私も終点まで行って帰りに金木に寄る旨話したら、津軽中里と金木周辺の手作りマップを貰った。 座っているこちらの目線に合わせてしゃがんだ姿勢のまま、色々と付近の名所などを説明してくれる。 揺れる車内で彼女らは大変だろうが、親しみが持てて嬉しい対応である。 これらは教育の賜物?はたまた彼女の資質か、何れにしろ津鉄は乗客ケアに徹したおもてなしのサービスを心がけているようだ。
金木で大部分の一般観光客は降りてしまい、残ったのは地元客と鉄分の多い連中位、あ、もちろん自分含めてということである。 次の芦野公園駅のあたりは両側から樹木が線路に覆いかぶさるように生い茂り、運転席脇を通して前方を見ていると丸い緑のトンネルのようになっていた。 アテンダントさんの説明によればこれは桜の木だそうで、春の季節には見事な花のトンネルになるらしい。 しかし津軽鉄道の気動車はなかなかユッタリと走る。 冬場で線路条件の悪い時期でも大丈夫なように、余裕を持たせたダイヤが切ってあるのだろうか。 田んぼの中にポツンとある小駅をいくつか過ぎ、そうこうしてるうち終点の津軽中里へ到着、五所川原から約50分弱の道のりであった。
ステップを降りて背の低いホームへ。 アテンダントさんはドア脇に立ち、一人一人を笑顔でお見送り、せっかくなので記念にホームで一枚撮らせてもらった。 駅は委託になっているようで、改札口では私服の女性が集札を行なっていた。 何も無い寂れた終端駅を想像していたが、外に出てみるとここもスーパー(この時は営業していないようであったが)と一体化した建物で見てくれはなかなか立派。 折り返しまで20分程というのは、駅で待っているには長いし、どこか観光して来るには短すぎる。 しかし駅周辺をブラブラと歩き、踏切や付近の街並みなどの写真を撮るにはちょうど良い時間だ。
駅へ戻って出札口で金木までの乗車券を買う。 手売りの切符で渡されたのは硬券!これは昨今なかなかに貴重だ。 すると奥から先程のアテンダントさんが出て来て「最北端証明書」というのを渡してくれた。 これに駅スタンプを押すと旅の記念になるという一品である。 休憩室で休んでいたようだが、私が切符を求めた声を聞いて気遣ってくれたのだろう。 そう言えば五所川原で乗り換えの時、跨線橋まで出向いて客を誘導していたのも彼女だったのか。 そんな所もなかなかプロですね。 改札が開いたので発車待ちの車室に入る。 折り返し便に乗る客は地元のおばちゃんが1名、そして私だ。 運転士+アテンダントで乗務員2名、乗客2名で2両編成の気動車は発車した。 帰り道では、五所川原での美味しい物や店なども色々と教えて貰い有りがたかった。 終始なかなか堂に入った案内だったので、若いようだがベテランかな?と思ったが、帰ってから拝見したブログで今年の4月に配属されたばかりの新人さんであると知って驚いた。 きっと先輩方もしっかりした人達ばかりなのだろう。
金木に着くと駅のホームは団体客でごった返していた。 やはり「太宰」というネームバリューのある観光地を抱える鉄道には強みがある。 平日でもこれだけの人達が乗り降りしているのだから、津軽鉄道は元気だ。 人混みをかき分け、混雑している駅舎を後にして太宰記念館となっている「斜陽館」へと向かう。 すると道路を進み出した途端、人の往来はパッタリと途絶えてしまった。 時間は15時をまわっているので、これから観光地へ向かう客はいないのかも知れない。 帰る客も先ほどの列車を乗り逃がすと、次は17時過ぎまで間が無いのだから。 駅から5分程歩くと、にわかに狭い道路に車やバスの往来が盛んになって来た。 やはり車利用の観光客は多い。 大きな駐車場が見えて来るとその真向かいに、傾いて来た日差しを浴びて斜陽館は建っていた。 こりゃさすがに立派だ。
入館券を買って中に入ると、土間で自分の靴をビニール袋に詰め、一緒に持って邸内に上がるような見学の仕方になっている。 順路に従い、部屋ごとに見て行く。 いくらか払うとガイドさんが付いて説明しながら一緒にまわってくれるらしいが、まぁ私はそこまではいいだろう。 立派な掛軸や衾のある和室があり、華麗なシャンデリアのかかった洋間があり、それらから望める技巧を凝らした庭園があり、いったいどんだけ豪奢な造りなんだこのお屋敷は。 部屋数でいうと1階は11の部屋、2階は8部屋あるそうだ。 2階へと上がる階段も、どこかの旅館かと思う程立派な手摺が付いていた。 実際この建物は、太宰の実家「津島家」の手を離れ、旅館として営業されていた時期もある。 「斜陽館」はその時の名前だ。 見学を終え、道路向かいのお土産屋店頭に並んでいた腰掛けでしばし休憩。 露店でリンゴのシャーベットを買って食べたら、サッパリして少々寝不足の頭が大変シャキッとした。 帰り道は行きと違う路地を抜け、途中にある太宰治疎開の家などを覗きながらブラブラと駅へ戻る。 午後の日もだいぶ弱まり、ようやく暑さもおさまって来た。 金木駅から乗ったのは単行気動車、車内に流れる鈴虫の鳴き声を聞きながら、所要20分程で五所川原に着いた。
さて、ここで本日これから運命の分かれ道が待っている。 実は事前の乗車券購入時に、私はもう一つ間違いを犯しているのだ。 それは明日乗るつもりだった「リゾートしらかみ」の事、それが団体ツアー客を中心に大した人気列車であるというのを知らずにいたため、前日にでも買えばいいやと指定券をおさえていなかったのである。 気づいたのは出発を2~3日前に控えたある日のこと、ネットで試しに空席状況を調べてみたら、平日でさえも満席の×印がズラリと並んでいたという次第なのだ。 自由席があるかというとそれもない、リゾートしらかみは全席指定になっている。 それで、目的の列車に乗るためには直前のキャンセルに望みを託すしか無くなったというわけだ。
五所川原駅の切符売場へ行き、指定券自動販売機の画面にタッチする。 日頃あまり触り慣れない機械にマゴマゴしていると、耳元後ろからボソっと「どこへ行かれますか」低く囁かれてゾクリとした。 振り返ると、びゅうプラザの方だろうか、朴訥そうな男性職員が立っている。 彼は私から条件を聞きながらピッピッピッと手際よく画面を進めて行き、最終的に見事な×マークの並んだスクリーンを表出させた。 「無いようですね」この列車じゃ当然でしょう、というような顔を彼がしたかどうかは定かで無い。 私は「どうもでしたー」と言って回れ右をして逃げるように出て来てしまったから。 明朝もう一回というチャンスはあるが、おそらくそれも期待出来ないだろう。 そもそも指定席料金僅か510円だから、乗らなくなった所でキャンセル扱いにしないかも知れない。
私の心とともに暗くなって来た空を見上げながら、駅前通りを歩いて一旦宿へ入る。 荷物を置いて身軽になり、先ほど車内で情報を仕入れておいた「立佞武多(たちねぷた)の館」へと足を向けた。 五所川原はここらでは都会の方だが、大きなビルは然程多くない。 その中にあって立佞武多の館は地上6階までそびえ立ち、周囲にある建物の屋根を見下ろしているので場所はすぐ分かった。 入って行くと、控えめな照明のロビーには既に時間的に観光客の姿は殆どない。 近くにいた係の女性にレストランを尋ねると「最上階でございます」との事で、エレベーターで上へ。 ピンポーンとドアが開き通路を進んで行くと、おぉ、素晴らしい展望が大窓を通して目の前に開けた。 正面に岩木山がやさしいなで肩のシルエットを見せ、オレンジからパープルへと続くグラデーションの空を背景に、今まさに遠く夕日が落ちんとしているシーンだ。
しばらく見とれていたが、我に返りさてオーダーはどうやってするのかな?と見ると入口に券売機が。 せっかくいい造りのレストランなのに、何かこれはちょっと安っぽいシステムで若干興ざめではある。 教えられた「けの汁和定食」の券を買ってキッチンの人に渡す。 幸い混んでないというか、大きなビデオカメラで何やら撮影をしている一隊がいるだけで、他に客は私一人だ。 広いフロアだが席は自由なようなので、撮影隊から一番遠い側の端っこにあるテーブルに落ち着いた。 ここだけ窓に向かった二人掛けだから、おそらく夜景を眺める恋人達のロマンスシートなのかも。 でも今は誰も来ないようだからまぁいいや、という事にしておこう。
やがて運ばれて来た夕餉の御膳、お盆に乗ったご飯と焼き魚と煮物等、そして肝心の津軽の郷土料理「けの汁」は具沢山で汁物にしてはとてもボリュームがあった。 けんちん汁を野菜中心にしたという感じか、そしてメインで入っているのは凍り豆腐を細かく賽の目にしたもの?かな。 アテンダントさんは「人により好みが~」と言ってたが、なかなか気に入りましたよ、これは。 食べているうちに窓の外の夕景は夜景へと移り、津軽フリーパス掲示でサービスされるソフトドリンクなどを頂いているうちマッタリとした気分に。 背後の方の席では「カンパーイ」の発声と拍手が聞こえて来る。 撮影が首尾よく終わってそのまま打ち上げに入ったようだ。
時間も時間なので展示室の方には寄らないで帰る事にし、エレベーターに乗る。 下り出すと6階まで吹抜のロビーに展示されている立佞武多が一体、その上から下までガラス張りのエレベータから観察出来る仕掛けになっている。 いや、後で貼り紙を見て分かった事だが、これは立佞武多ではなく祭りの先頭を進む大太鼓の櫓なのだそうだ。 主役の立佞武多は奥の展示室に控えており、祭りの時には大櫓と共に外へ引き出されるという。 その際は何と!このビルの側面ガラス全体がスライドして開くのだそうだ。 この館、立佞武多の秘密基地であったのだ。夜の道を満腹のお腹を抱え、途中コンビニで翌朝分の買い出しを済ませながら宿へ帰った。 ちなみにその日のテレビで見た青森ローカルの天気予報で、「さんぱちかみきた」という言葉を覚えたのはちょっとした自慢だ。