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[ 2012/09 ] あけぼの、弘南鉄道、津軽鉄道、五能線の旅

2. 弘南鉄道 弘南線

本日はこれから弘南鉄道に一通り乗るわけだが、事前に見た同社のサイトには一日乗車券的なものの案内は無かった。 ちょうど目の前に観光案内所があったので念のため確認に行くと、何と弘南鉄道全線と津軽鉄道の一部もフリーエリアとなる「津軽フリーパス」なる切符があるという。 何だ、そんなのがあったのか。 これはいい!これを買おう。 しかしこのパスにはJRの弘前近辺もフリー区間として含まれているそうな。 つまり、低減率目当てで東京から五所川原まで買って来た切符の弘前から先は、このフリーパスとダブって無駄になってしまうわけだ。 事前のリサーチが足りなかったが仕方ない、大した額じゃないので良しとしよう。 早速みどりの窓口へ行って切符を購入し、自由通路東側の階段下にある弘南線改札口へと向かう。 改札では制服の女性職員が切符を拝見、最近は地方私鉄で良く見かける光景だ。

駅は頭端式ホームで、発車を待つ電車が既に改札口の向こうに見えている。 形式は7000系2両編成、この車両は元東急の7000系が譲渡されたものだ。 外は暑いが開いているドアから車内に入ってホッと一息… あれ?涼しくない。 東急から来たステンレス車なので当然冷房があるものという先入観があったが、どうもここはそうではないらしい。 後で調べたところによれば弘南鉄道は冷房車を全く持たない私鉄で、他に同類は札幌市交通局ぐらいなのだそうだ。 まぁ無いものはしょうがない。いつも持ち歩いている扇子を広げ、パタパタと顔に風を送る。 だが、発車すれば開けてある窓からの風が心地良い。 昔は夏場の電車に乗れば常にこうだったもんだが、久し振りにこの感覚を味わうと何だか新鮮な気分だ。

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弘前を発車したワンマン運転の電車はしばらくそのまま進み、グイっと左へカーブしてJRの線路から離れればもう最初の駅「弘前東高前」。 この時間だと2限目以降から出席するのか、やんちゃそうな生徒が何名かそそくさと降りて行った。 そこからは一転して東へ向かって進み、バイパス道路の高架を潜って岩木川の支流である平川を鉄橋で渡る。 何駅か過ぎるとやおら90度近く左にカーブして平賀(ひらか)駅に進入した。ここは地方小私鉄には似つかわしくない(と言ったら失礼だが)近代的な駅である。 何しろ、弘南本社と農協が入る4階建てビルの1階部分にホームが置かれているのだから。 あれほどの規模ではないが、ちょっと四国の松山市駅を連想した。

向きを変えた線路は平賀から一面の田園地帯の中を北上、車窓左手には遠く岩木山の美しい姿が見えている。 柏農(はくのう)高校前、尾上(おのえ)高校前と高校最寄りの駅が続くが、どちらも申しわけ程度の待合室が乗った田んぼの中の吹きっさらしホーム、冬に吹雪いた時などは通学生達も大変だろう。 どちらの駅か忘れたが、素朴な感じの女子高生が下車。 この時間だと病院でも寄ってからの登校かな? なんて、見た目で先程と想像が変わって来る。 差別してはいけないな。 田舎館(いなかだて)駅の少し手前では、車窓に何やらハデハデ塗装の保存車両が連なって置かれているのが見える。 これは廃止された弘南鉄道黒石線の気動車だそうで、線路際にある弥生の里という公園内に保存されている物との事。 しかしこの塗装は誰が考えたんだか、これじゃ全くもって保存という名には値しない。 子供の遊具にでも転用されているのならまだ納得出来るが、どうも何かに使われている風にも見えなかった。

浅瀬石川を渡り境松駅を過ぎると、又々90度カーブで今度は右に折れ曲がる。 このような線形が多いのが弘南線の特徴だが、何か理由があるのだろうか。 その路線設定は弘前から黒石へ真っ直ぐ向かわずに、平賀へ寄り道する必要があったように読める。 左手から廃止された黒石線の路盤跡らしき敷地が寄り添って来ると、電車は終着の黒石駅ホームへと入線する。 通勤時間帯を過ぎた平日昼間だが、意外にも多くの客がここまで乗り通した。 降りたホームを良く見るとその縁石がガリガリと荒れた感じで削られていて何となく見苦しいが、譲渡車を入れる際に車両限界の関係で削ったのかも知れない。 駅舎は小さいものの生協の建物と一体化しており、改札を出ると目の前はスーパーの入口だった。

終点黒石での折り返しは20分程、あまり遠くへ行く時間は無いが、駅に隣接する旧国鉄の黒石駅跡位は見ておこう。 かつて奥羽本線の川部駅と黒石を結んでいた国鉄黒石線、ここ黒石では弘南と国鉄の駅はお隣同士に位置していたようだ。 弘南の駅前から道路を渡って行くとすぐ先に大きな広場があり、どうもそこが駅跡の一部らしかった。 広場に立って西側を見通すとその敷地延長上に葬祭センターの建物が見えるが、これも駅跡の敷地に建ったものだろう。 観察を終えスーパーの中で少し涼んだ後、折り返し電車の改札が始まるのを待つ。 改札口の向こう、これから乗る電車の隣には使われていないホームがもう一本。 これは、国鉄黒石線が廃止対象となりそれを弘南が引き継いで弘南黒石線とした時に、国鉄側の線路をこちらへ引っ張って来て車両を乗り入れた際の名残だと言う。

弘前から乗る際は見せるだけだったが、改札を通る時に女性の職員は「にゅうきょう(入鋏)しますね」と言い、慣れた手つきでパチンとフリーパスのふちを切った。 パンチで切符を切ってもらうという行為を久々に経験し、何だか感動してしまった自分にも驚いた。 往路は普通に車両の中間に座って地元気分を味わっていたが、復路は車両最後部で逆かぶり付きを行なう事に。 ワンマン運転だとここらは乗務員も客も誰もおらず、流れ去る線路の景色を存分に味わうことの出来る特等席なのだ。 青い空と緑の田んぼの中をどこまでも真っ直ぐ続いている線路、彼方には夏の雲が沸き上がって来てその白さが眩しい。

3. 弘南鉄道 大鰐線

弘前へ着き、今度は大鰐線に乗るべく中央弘前駅へと向かう。 同じ弘南鉄道の路線でも弘南線と違って大鰐線の始発駅はJRから少し離れた場所にあり、ちょうどJR前橋駅と上毛電鉄中央前橋駅の関係のようだ。 そもそも大鰐線は弘前電鉄という別の会社が開業し、その後弘南鉄道に譲渡されたという経緯を知ると、弘南線と繋がっていないのも納得出来る。 時刻は11時近く、猛暑の炎天下リュックを片がけしてテクテクと歩く。 次の発車まで40分ほどあるので焦る必要は無いが、城下町でありかつて県庁所在地でもあった弘前の街中はさすがに都会だ。 綺麗だが日陰の無い歩道と分離帯のある広い道路、長時間の信号待ちを食らうと強い日差しで目の前がクラクラして来る。

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15分程歩き、弘前昇天協会の瀟洒な煉瓦積み建築を見上げつつその裏手のなだらかな坂を下ると、川の畔にひっそりと佇む中央弘前駅が現れた。 その造り、薄汚れたコンクリート、ゴシック体で黒々と大書された駅名標記がいかにも地方私鉄の雰囲気でジンワリ来る。 道路挟んで向かい側には近年出来たと思しきお洒落な商業施設があるので、なおさらにその対比が面白い。 駅の周囲をしばらく撮影して待合室へ入ると中は暗く、外の光量からの落差で目の慣れるまでしばらく時間を要した。 ベンチの数は多いが待っている人は数名程。私は自販機で良く冷えたスポーツドリンクを買い、熱中症に備えて喉に流し込む。 どこかでチリンと鳴る風鈴の音が涼やかだ。

時間になると、ここも女性の職員が出て来て改札を開始した。 ラッチを抜けて階段を数段登ると、目の前には古びた木造屋根のある小さな片ホーム。 線路は一本でその向こう側は川に挟まれており、用地取得が割り合い容易な土手っぷちのような所に駅を設けたのが分かる。 ホームから車内へ入ろうとすると向こう側のドアも開いていてビックリ、そこを通して川の流れが見える。 ここは「ホーム向の土淵川からの涼風が心地よい、夏に優しい駅」として東北の駅百選に選ばれているそうだ。 運転士がやって来てすぐにドアは閉じたが、発車前に車内を川風で冷やしておく乗客サービスなのかも… なのか?

乗り込んだ車両は先ほどと同じく、7000系の2両編成。 帯色はこの電車は赤くなっているが、路線カラーというわけではないようだ。 今回も最後部に陣取って、発車すると後ろからの景色を楽しんでいた。 中央弘前駅を出るとしばらく川に沿ってカーブを繰り返し、短い鉄橋を2度程渡ると弘高下駅。 一瞬地名かと思ったが、省略しないで書くと「青森県立弘前高校の下」の駅というわけで、ここも高校最寄駅だ。 一方で次の「弘前学院大前」駅が殆ど省略されていないのだが、弘学前駅じゃいかんのかな? さらに次は「聖愛中高前」駅で、これは学校法人弘前学院聖愛中学校・聖愛高等学校を略している。 何だか面白い。 面白ついでにその次の駅は千年駅、読みは「せんねん」でなく「ちとせ」である。

揺れながら走る電車、後部貫通ドアの窓から見える線路の彼方には岩木山が聳えている。 その景色に見とれていると、背中の方から何やら「ゴロゴロゴロ」という音が近づいて来た。 と同時に乗客のおばさんが「あれあれあれ!」と大きな声を上げた。 振り向くと、ローラーの付いた大きなアタッシュケースが、電車に揺られ私めがけて車内を突進して来る所だ。 運動音痴だがこういう時は何故か反射神経がいい、とっさに身を翻して避け、行き過ぎるケースの取っ手を掴んで停止させた。 持ち主は分かっている。 実は、中央弘前駅で三脚を立てて電車の撮影をしていた人がいて、撮影機材でも入っているのか、このケースを彼が持っているのを見かけたのだ。 座席前にケースを置きっぱなしで前の車両へ撮影に行っていた彼は、おばさんの声に気が付き慌てて戻って来る。 両手でケースを押して行き渡してあげると、恐縮して私とおばさんに詫びていた。

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途中の津軽大沢は列車交換可能な主要駅だ。 ここには車両基地もあり、電気機関車や引退した6000系などが留置されているのが見えた。 電車の走る勢いが増して来たなと思ううち築堤を登りだし、それがやがて高架橋になると奥羽本線の上を一気に駆け抜ける。 石川駅に停車し平川を対岸へ渡ると石川プール前駅。 ここは清掃工場に隣接する温水プール開設と共に出来た新しい駅だ。 プールバッグを持った男の子と女の子が下車して行った。 線路が川に寄り添うようになり、対岸を走っていた奥羽本線がこちらに渡って来ると終点の大鰐駅に到着。 大鰐線はここが起点で、大鰐から弘前市街へ向かう方向は下り列車になる。 違和感があるが、おそらく奥羽本線の上り下りと方向を合わせての事だろう。

ホームにはそのまま直結している弘南専用の北口改札があるが、私は共用の跨線橋を渡ってJRの方へ。 階段を降りるとそこは駅名変わってJR大鰐温泉駅、同じ構内の駅で駅名が異なるのは珍しい。 向こうにJRの改札口が見えるが、その手前に並ぶのは弘南鉄道南口の無人改札。 誰もいないのでそのまま出られたが、先ほど電車を降りた時に切符を見せたからそれでいいのだろう。 駅舎を出て広場から振り返る。 JRの駅舎はそれなりの規模で、ご当地キャラなのかピンク色した鰐の大きなマスコットが駅頭に立っている。 弘南は簡素なというより貧相な駅舎で、油断するとその存在を見逃してしまいそうだ。

それはそうと、次の奥羽線の列車まで40分程時間がある。 どこかで「ポーン」とラジオの時報が鳴って時計を見ると、時刻はちょうどお昼である。 駅前に目ぼしい店は無いが、右手の方に何やら大きな建物が見えたのでそちらへ行ってみる事にした。 そこは一見、道の駅みたいだが、入口には大鰐町地域交流センター「鰐come」と書いてある。 入ってみると、おみやげ屋と食事と温泉、それにイベント場や会議室等も備えた複合施設だった。 温泉もちょっと心惹かれたが時間的に慌ただしくなりそうだったので、とりあえず食事だけにしてレストランに入る。 あまりお腹も空いていないし、ということで数量限定「半蕎麦半そぼろランチ」というのを頼んでみた。 680円なので今のお腹には適量だろう。 店内は小じんまりしているが新しく清潔で、私の他に客は2名程。 窓の向こうを時々通過する特急列車を眺めながら、静かに落ち着いて食事をする事が出来た。