新京成の思い出(II)
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この駅の不思議は、下り方に向かって右側に成田行き、左側に千葉行きが走って行く光景だ。理由は何のことはない、その先跨線橋でクロスしているだけなのだが、地理がわかりだした頃は何だか納得が行かない現象ではあった。 |
一方、3代目の新津田沼駅は今のパルコの裏手、今でも線路端の用地が少し広く、自転車置き場になったりしているのがその跡だと思う。当時は長くて少しカーブした対向式のホームがあり、南端が構内踏切で結ばれていた。線路は一本工場の方へ伸びていたが、実質ほぼ頭端式の形態だったと言えるだろう。 それからしばらくして4代目の駅に移動したが、ここは用地的にかなり余裕を持った設計で、開設当時からホームも深く、大屋根もほぼそのままの姿で今に至っている。当時は地下道で連絡していたのだが、一時期工事のため、松戸寄りに仮設の跨線橋を設けていた事もある。 |
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ちなみに駅は「薬園台」だが付近の住居表示は「薬円台」、小学校は「薬円台小」だが高校は「薬園台高」だったりする。 |
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団地側のロータリーの奥には昔、コンクリートのだだっ広い広場があり、その先に京成ストア、その奥が団地の商店街アーケード(この辺は今も同じかな)だった。あと、昔は朝夕の電車の2本に1本くらいは高根公団で折り返ししていたが、今はどうなのだろう。 |
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