新京成の | ![]() |
思い出 |
幼い頃、千葉へ引っ越す前は東京の下町に住んでいました。ある時私は父に連れられて、乗り慣れた常磐線の茶色い電車で「まつど」という駅に降り立ちました。駅の隅っこの方で待っていたのはおもちゃの箱の様な小さな単行電車。乗り心地は憶えていませんが、長いこと揺られていざ降りる段になってビックリしたのは、ドアが自動で開かない事です。幼心に「なんというでんしゃだ。。。」と思いながらホームへ出ると、駅はまだ出来たてらしく駅前のあちこちでは茶色い土がむき出しになっており、彼方にはこれまで見たこともない様な大きな白い立方体の建物がずらりと並んでいたのでした。 |
ちょっとした思い出 |
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私と新京成とのつき合いは、こうした形で始まりました。この時降りた駅が「高根公団」。父はこの地に家を建てるため、私を連れて下見に来たのでした。当時この沿線のあちこちが公団住宅の建設ラッシュで、この高根台の地にもマンモス団地が産声を上げつつありました。私たちの小さな家は、駅を挟んでこの団地の反対側でしたが、買い物にはもっぱら団地内のショッピングセンターを便利に使わせてもらいました。 当時はまだ"新"と言っても走っている電車は京成のお古ばかり。塗装も京成のままの姿で、ボディ側面には"KDK"の文字が輝いていました。買い物に行く母に手を引かれ、高根公団の駅前踏切で、目の前を轟音を響かせて発車して行く「しんけいせい」の電車を見送っていた私。いつしかその電車は、肌色と濃いピンクの鮮やかな塗り分けになっていました。 |
ちょっとした思い出 |
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それからしばらくして幼稚園を卒園した私は、小学校に通うことになりました。最初、同じ町内に昔からある学校が予定されていましたが、そこへ至るにはあまりに辺鄙な雑木林の中の道を通らなければならず、これは小さな子供が通るには物騒だとの事で親たちはだいぶ悩んだみたいです。それでどこかへかけあったのか、はたまた都合良く学区が変わったためなのか、その地域の子供達は全く反対方向にある団地内のマンモス小学校へ通える様になりました。 これは私にとって好都合でした。何故なら、毎日行き帰りに新京成の踏切を渡って行く事が出来たからです。しかも私が渡る高根公団駅と滝不動駅の間の踏切は、電車が本線上で折り返しを行う場所で、いつも電車が間近で見られる絶好のロケーションにありました。 |
ちょっとした思い出 |
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車を持たない家族であったわが家は、新京成には始終お世話になっていました。津田沼や船橋へ買い物に出たり、谷津やヘルスセンターへ行楽に行ったり、ラヂオ好きの父には何度か秋葉原へも連れて行ってもらいました。 往復の経路で新京成を使うわけですが、その頃下り方面は、新津田沼行きと京成津田沼行きが分かれていました。前原駅から各方面の線路はしばらく平行しており、今の変電所があるあたりで左右に分かれて行ったのです。実際に前原を同時発車するスジも多く、新京成の中で唯一、窓から併走を楽しめる区間でした。 そういえばその頃の新津田沼駅は、今よりも国鉄の津田沼駅に近い位置にあり、両駅の間は斜めに直線のアーケード街で結ばれていました。ですから雨の日でも殆ど濡れずに乗り換える事が出来たのです。 |
ちょっとした思い出 |
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小学校を卒業しましたが、中学も同じ団地内だったので、相変わらず例の踏切が通学路でした。ある日そこに見慣れない電車が止まっていました。前にまわってみると、アレ?京成の電車??と思いかけましたが冷静に見るとあの赤電ではありません。良く似ていますが、塗装から見てこれは紛れもなく新京成の電車。そう、初の全面的新造車である800系がやって来たのです。 これは嬉しかった。ドアは相変わらず片引きでしたが、正面のおでこ2灯ライトが京成にそっくりで、かなりあか抜けたスタイルになりました。 |
ちょっとした思い出 |
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高校、大学と新京成を使って通学していたのは「京成電車の思い出」にも書いた通りです。しばらく新形式のなかった新京成ですが、大学生になってから久々の新車8000系が竣工しました。 正面はタヌキの様な非貫通タイプの2枚窓。でも他社にないどこか憎めないデザインで私は好きでした。ドアは両開きとなり、初の冷房装置が乗ったのもこの車からです。その後文字通りタヌキ色の新塗装になったのも、ご存じの事と思います。 |
ちょっとした思い出 |
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その後次々と新車が走り出します。8800形は最初からアイボリーにブラウンの新塗装で登場し、VVVFの採用や初の8両固定編成など、この時点では京成を上回る装備を持っていました。 さらにその次に出た8900形はついにステンレスボディになり、業界初の電車でのシングルアームパンタグラフ採用や、車内案内表示装置の設置など、もはや親会社の京成に勝るとも劣らない素晴らしい電車となりました。 |
ちょっとした思い出 |
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今では新京成に乗る機会も、実家への帰省のおり年に一度か二度くらいになってしまいました。でもあの天井の高い新津田沼駅に進入してくる電車に乗り込み、ドア脇にある鏡を確認して安心し、百貨店裏の急カーブをフランジをきしませながら抜け、前原へ向けて加速が始まると、あぁ帰って来たなぁ〜とあらためてホッとする今日この頃なのです。 |
そのII では、各駅の思い出について若干書いてみます。
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