良く見るとNRAってレッドアローに似てる...ってアタリマエか 紫は市街地です
(最終回) 一路川越へ
2001/08

 狭山市駅を出て右カーブを終えると、西武新宿線は一路川越へと向けて原野の中を一直線に突っ走る。いや、原野だった場所と言った方が適当だろうが、かつて川越鉄道の時代はそうだったろうという雰囲気を、今もそこかしこに残している沿線風景ではある。
 甲武鉄道から分岐する国分寺からずっとこの川越鉄道沿線を見てきたわけだが、今回はいよいよこの旅の最終目的地、川越へと到達する。
 季節は夏、昼は当然ながら暑い。というわけで、早朝輪行して途中まで距離をかせぐ、といういつもの手を今回も使ったのは言うまでもない。(^^;)




バニシングポイントが見えるかも
いざ川越へ
線路は本線とブチ切れてた
安比奈線は草の中
何せ早いもんで(^^;)
関越をくぐる

 狭山市駅から新狭山、南大塚にかけては工業団地の中を真っ直ぐに通過して行く線路。ここはちょうど、入間川とその東南を並行して流れる不老川の分水界上の地形となっており、線路を横切る河川は皆無と言って良い。その理由だけによってこのルートがとられたわけでは必ずしも無いだろうが、流れを渡るための構造物を施工しないで済むという事は、大きなメリットには違いない。小川を越す古い煉瓦積みの橋台でもあればめっけ物、何て密かに期待しながら走って来たが、そんな願いはかなえられるべくも無い。
 南大塚の安比奈線をチラっとわき目で眺め(散々行ってるから今日はオアズケ)、関越川越インターの陸橋下を通過すると、もうそろそろ川越市街が近づいて来る。




怪獣が踏み潰しそう。。。
南川越変電所
レール製フェンスがくの字
競馬場前駅はこのあたり?
左は突っ込み線
脇田信号所付近

 遠くに何やら大規模なビームが並んでいるのでちょっと寄り道して見に行くと、そこは南川越変電所だった。あちこちから送電線が集まって来ており、目の前に聳え立つ壮大なやぐらに引き込まれている。周囲の送電鉄塔もなかなかの雄大なもので、ここは鉄塔ファンならずともちょっとばかしワクワク(^^;)してしまう。
 ところでこの先、本川越駅との間にその昔(S.8〜12)「競馬場前」という駅があったらしい。競馬場があったのは市内新宿(あらじゅく)との事だが、詳細な場所は調べきれていない。線路際を走っていると一箇所、柵に囲まれた敷地が微妙に広がっている所があったが、それが痕跡なのか。あるいは複線化により、当時の状況は完璧に失われてしまったのかも知れないが。
 やがて線路は脇田信号所で長かった直線区間を終わり、単線となって本川越駅構内への左カーブへと進入してゆく。




JR側から西武を見る
連絡線跡?
画面最奥がJR川越駅
不自然な区割り

 その左カーブの途中から分岐し、国鉄川越駅へと至る連絡線が、終戦の前後に作られようとしたらしいという話がある。結局レールが結ばれるまでには至らなかったそうだが、路盤の工事が行なわれ、バラストも散布されたと記憶している人もいる様だ。この連絡線の目的は、東上線の上福岡にあった東京第一陸軍造兵廠への工員輸送で、西武から国鉄川越駅構内を経て東上線へと直通電車を走らせる予定だったらしい。ただこれには異説もあり、当時非常事態に備えて国鉄と私鉄との間で各地に設置された、迂回用の特殊専用側線であるとの考え方もある様だ。
 実際行ってみると、そのあたりにはカーブした路地が存在し、それを追って行くと駅手前の緩く湾曲した立体駐輪場の建物を経て、川越駅の構内へと出て来るのだ。

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