それはこの記事を書いている時点から遡ることちょうど20年前、成田鉄道跡の探訪の為に取り寄せた国土地理院の5万図「八日市場」を見ていた時のことだ。 成田鉄道とは少し離れたエリアである地図の上端に、チョロっと鉄道線路を表す旗竿記号の記載があるのに偶然気がついた。 その線路は位置的に成田線の笹川駅の方から伸びて来ており、終点付近には工場の煙突記号のようなものが見える。 当時はストリートビューはおろか GoogleMapすらまだリリースされてない時代だし、ネット上を検索してもこの引込線らしき線路の情報は皆無。 それで手元にあった「トワイライトゾ~ン MANUAL」(通称マニュアル)巻末の専用線一覧を見たところ、入正醤油 という醤油工場への引込線である事が判明したのだ。
図がその「八日市場」であるが、地図上をクリックすると、この上部に来る五万図「潮来」を重ねて表示出来る。 2枚を連結して見ると全体像がよく分かるが、それぞれ単独地図では全長700m程の線路が笹川駅から分岐しているなど、なかなか気づきにくい。
国土地理院発行1/5万地形図
上半:「潮来」昭和9年(クリックで上半表示)
下半:「八日市場」昭和9年
マップ上のマーカーは各写真の撮影ポイントを示す。
最近でこそ、ここの情報を扱っているサイトは多数あるが、遅ればせながら当方も探索を試みるべく、18きっぷの残分消化で銚子へ行くついでに笹川へ寄ってみる事にした。 なので訪問日は9月初旬、ようやく酷暑の夏がピークを過ぎて、昼間の屋外も少し歩きやすくなってきた頃であった。
※以下一部画像は、クリックで廃線跡マーキング表示(白いマーカー線)のオンオフが可能。 なお、マーキング表示は私が推測で描いたものであり、必ずしも正確ではない可能性があります。
成田から成田線のローカル列車に乗り込み、50分ほどで笹川駅にやって来た。 短い4両編成の電車から長いホームに降り立ったのは私一人、駅前広場は閑散として寂しく、人けは無い。
駅前から右手の脇道を線路と平行に進み、2つ目の踏切のあたりが引込線の分岐点だ。 線路の向こうに、カーブして成田線から離れて行く路盤状の土盛りが見える。
踏切を渡って路盤跡に近づく。 私有地の向こうなので入る事は出来ないが、民家の洗濯物干し場と化している様子が観察出来る。
線路跡は県道266号旭笹川線に沿って並ぶ民家の裏手となるが、所々で県道に直交する路地を入ると、踏切だった形跡が残っている。
踏切跡のクローズアップ。 道路面の舗装に、路盤跡の部分だけ後から舗装したような痕跡が見える。 さすがにレールは埋まっていないと思われるが、引込線の跡がはっきり分かる部分だ。
県道に沿って南下していた線路跡は、ここでカーブして県道を渡り、工場へと向かって来る。 写真は、入正醤油敷地側から県道越しに笹川駅方向を振り返ったショット。 カーブをきって敷地に入って来る線路跡、ここで初めてレールが姿を現す。
同じ場所を笹川駅方向から見た図。 レールを掘り出したい欲望にかられるが、そこは理性で抑えて抑えて(笑
県道から外れて工場の事務所正面口の方へ向かって私道?が伸びており、そのあたりの位置に線路が敷かれていたようだ。 駐車場の脇を過ぎて奥へ進むと貨物ホームらしき建物が残っていた。
貨物ホームらしきものを別角度で観察。 現役当時ホームはもっと長くなっていて、その後一部を撤去したのかも知れない。 両サイドの断面がスパッと綺麗に切れていた。
さらに奥へと進む。 この付近が線路終端部だろうか? 道路はそのまま裏手の田園地帯へと抜けている。 ここの左手が工場正面で事務所入口がある。
線路終端部付近で左手を向くと、工場の正面口、というかこの佇まいは屋敷のかつての正門だったのだろう。 左手が事務所になっており、ここで醤油などを購入する事も出来るようだ。
ちなみに 入正醤油 は享保9年(1724年)創業の老舗醤油蔵で、NHK朝の連続ドラマ「澪つくし」のロケが行われた場所としても知られている。
帰りも同じ道を観察しながら駅前まで戻って来たが、特にそれ以上のものは見つからなかった。 次の電車が来るまで若干時間があるので、駅前通りを少し覗いて見ることに。
駅前広場から1ブロックほど通りを進むと、東庄町の観光ゲートが立っている。 そこにも記されているが、東庄町と言えば飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家の争いを題材とした天保水滸伝ゆかりの地であり、町内には天保水滸伝遺品館や笹川繁蔵最期の地碑などがある。 なお笹川繁蔵は、東庄町で醤油と酢の醸造を営んでいた岩瀬家の三男として生まれたとの事。
観光ゲートの先はシャッター商店街状態であまり見るものも無かったので駅へと戻る。 駅舎は無人で改札口には簡易改札機がポツンと突っ立っているばかり、待合室ではツバメが巣作りをしているようだ。
少し時間は早いが、ホームに入場して駅から引込線跡の様子を見てみる。 ホーム端から銚子方向を眺めると、成田線の右手に空地が続いているのが分かる。
跨線橋の上から俯瞰してみる。 対向式ホームの裏手側に留置線があり、保線車両の置場となっていた。 かつてここで醤油工場からの貨車入れ替えなどが行なわれていたのかも知れない。
以上で入正醤油専用線跡の大変短い探訪を終え、銚子へと向かったのである。 その前後の旅程に関しては別途、「銚子電鉄と銚子駅」にて掲載をしているのでご覧いただきたい。 以下、参考資料として、専用線一覧と空中写真を掲載しておく。
千葉鉄道管理局管内の項より抜粋して引用
欄は左から、接続駅又は所管駅,契約相手方,第三者使用,作業方法,作業キロ,専用線種別
国鉄機・・国鉄所有機関車による
手押・・・動力車を使用しない
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
1948/03/09(昭23)USA-R75-104 より抜粋
画面上部の国鉄成田線笹川駅から田園地帯をまっすぐ南下し、入正醤油の工場へ至る引込線跡がはっきりと写っている。 この引込線は 1931(昭和6)年から1959(昭和34)年頃まで使用されたとの事なので、現役当時の写真である。
引込線の終端付近を拡大してみると、何となくだが工場入口あたりで2線に分岐しているように見えなくもない。 留置線か機回し線があったのだろうか? 駅からこの程度の距離で数量の貨車であれば推進運転で押し込んでいた可能性も高いので、機回し線は必須ではないかも知れないが。