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〜 二日目:山陰本線前半 〜シャーシャーという、機械の回るような音で目が覚める。 ホテルの窓を開けて外を覗くと、それは一気に大きく、夏のかたまりとなって耳に飛び込んで来た。 通りを隔てた向こうに鬱蒼とした杜があり、そこからこの音は聞こえて来るようだ。 それで、蝉が大挙して鳴いているのだと認識した。 今日も天気は上々、日中はうだる様な暑さになるだろう。 宿を出てリュックを肩に、10分程歩いて京都駅八条口へと到着。 改装なってからの京都駅は何度か利用しているが、ゼロ番ホームの端っこにある山陰本線の出る31〜33番線に来たのは今日が初めてだ。 天井がビルに覆われて少々暗い感じがするが、そこに横たわっている頭端式ホームは、これからの長旅を予感させるなかなかの舞台装置だ。 当初の計画だと今朝は5時代にここを出て途中餘部駅で下車する手筈だったが、先に書いたような理由からそれを見送った為、出発は7時代に繰り下がった。 入線して来た7:46発の湘南色113系福知山行に乗り込み、人が少ないので首尾よく1ボックスを確保。 荷棚へ荷物を乗せ、席に座り、窓際には飲み物のペットボトル、カメラを腰にセットして、メモ帖は胸のポケットへと... 一通りの儀式で身辺を整えつつ、何だか気持ちが高揚してくるのを感じていた。 時間が来て発車、いよいよだ。高架線上から梅小路蒸気機関車館などを見下ろしながら東海道に別れを告げ、一路山陰へと向かって順調なスタートを切った。 京都駅山陰線ホーム ...切った筈だった。筈だったのだが、既に福知山に着いている時刻になっても、私は京都市内から出られもせず、ホームに停まったまま動かない電車と共に運転の再開を待っていた。 その宣告は最初、京都から僅か4つ目、花園駅の高架ホームに停車している最中に車内アナウンスで下された。 ドアがなかなか閉まらないなと思い始めた頃、天井のスピーカがカチっと鳴って、「お客様にお知らせします...」の声。 この一言で全てを悟ってしまった私は、さらに状況を判断しようと次の言葉に身構えた。 「えー、先ほど保津峡駅付近におきまして、人身事故が発生致しました。」 しかしこの時点では、それ以上の情報はなかった。 幾人かの乗客がため息を残してホームへと降りていったが、しばらくして「発車します」との放送が入り、突然ドアが閉まって電車は動き出した。 車内には若干安堵の空気が流れたが、経験上これは問題が全然解決していない事を、私は予測していた。 果たして次の太秦駅でも長時間の停車となり、しばらく動く気配がない。 さらに何人かの地元客と思しき人々がここで愛想をつかし、ホームから外の世界へと散っていった。 やがて再び動き出し、嵯峨嵐山駅へと駒を進める。 さすがにここでもう電車はすっかり動く事を放棄してしまい、ドアを開けたままそこへ静まり返った。 どういう事故なのか、列車や線路に被害はあったのか、運転再開はいつになるのか、他社線への振替は行なうのか... このような情報が、列車無線を通じても駅の連絡ルートからもなかなか入って来ない。 ホームのスピーカから断片的に流れて来る情報によれば、現在事故後の実況見分を行なっている最中らしく、警察の許可が降りないので運転再開出来ないとの事。 その間にも、短距離客らしき軽装の人々はパラパラと改札を出てゆき、一方リュック姿や大きなバッグをぶら下げた旅行客は、不安げな顔でドアから外を見たり、ホームに出て周囲を観察したりしている。 しかし総じて殺気立った空気はあまりなく、改札の窓から駅員に苦情だか相談だかしている人も見られるが、皆半分諦めムードで事態の好転を待っているようだった。 とはいえ、私はそうノンビリもしていられない。 何しろ今日はこれから松江まで350kmあまり、それも全行程を普通列車で走破しなくてはならないのだから。 このままではとても予定のスケジュールはこなせないと判断した私は、網棚のリュックをひっ掴んで電車を降り、改札を抜けて駅待合室の公衆電話の前に立った。 財布から昨晩の宿の領収書を出し、そこに書いてある番号に電話をして、今夜もう一晩泊まれるか交渉してみた。 予定では松江で二泊する事になっていたので、その一泊を削り、京都〜松江の旅程を一旦リセットして、明日もう一度やり直そうかと考えたのだ。 だが夏休み中しかも土曜日、結果は「あいすみません」という事で満員で断られ、次の手を考えざるを得なくなった。 京都市内なら他に泊まるところ位いくらでもあるだろうと思ったが、いや待てよと考え直して駅に備え付けの時刻表を括ってみた。 山陰は私にとって曾遊の地では無いため距離感もなく少々焦っていたが、冷静になって調べてみると、元々松江へは割と余裕を持って到着時間を組んでいた為かなり後の列車でも大丈夫、この先の福知山発が15:00過ぎでも、何とかその日のうちには宿へと辿り付ける事が判明。 途中で下車する予定もないし、いくら何でもそれまでには動き出すだろうと考え、再び改札を入って車内で待つ事しばし、「この電車は亀岡止まりに変更となり、お隣ホームに到着する園部行が先に発車となります」との報に乗客一同が一斉に動き出す。 結局この駅で2時間近くを過ごした事になる。 ところが皆が大挙して跨線橋を渡り、ホームの移動を終えた瞬間、それまで乗って来た電車が逃げるようにして発車。 これには全員が大ブーイングだったが、どうやら駅側も混乱していたようで、次に来る園部行きの方が終着は早い、という意味だったようだ。 園部で乗り換えてお昼頃には何とか福知山まで到達、乗り継ぎ時間も予定では5分だったのが、次の列車は13時過ぎ、1時間も待つハメになってしまい、この時点で計画からの遅れは3時間を超えた。 仕方がないので待合室へと出て、宿にチェックインが遅くなる旨連絡を入れ、キヨスクで巻き寿司を買ってベンチで貪る。 福知山からは13:02発の豊岡行電車、さらに豊岡で乗り継いだのはいよいよローカル気動車キハ47で、久し振りな排気の匂いと停車中アイドリングの小刻みな振動が体に心地良い。 しばらく走って右手に対岸の遠い大きな川が見えて来ると、沿線の一大保養地、城崎温泉に着く。 ここでダイヤ上20分程停車するとの事で、今朝からの顛末の疲れもあって座席でしばしまどろんでいた。 閉じた瞼の向こうで、ディーゼルエンジンの音が続いている。これはこの列車の発する... いや違う、この力強い響きは!と思って目を開いた瞬間、その音はさらに回転数を増し、赤とクリームの特急色気動車が加速してホームの向こうを逆方向に出て行くのが見えた。 あわててカメラを取り出す暇もなく、キハ181系特急「はまかぜ」は、ホームを滑るように消えて行ってしまった。 竹野を過ぎると車窓右手に待望の日本海が広がる。もちろんこの為に進行右側の座席をずっとキープして来た。 天気は晴朗なれど若干かすみ気味で、海と空の境がぼやけて交じり合っている。 いくつか通り過ぎる入江の手前には例外なく小さな漁港があり、その周囲に散らばる民家の屋根瓦はどれも黒光りした独特な質感を持つ、特徴的な物だ。 やがて山間の小駅「鎧」を発車すると本日のクライマックス、いよいよ餘部鉄橋を渡る時が近づく。 トンネルを二つ三つ通過し、暗闇の世界から一気に空中へと飛び出すと、列車の周囲には何も対象物がなくなって、時間が一瞬スローモーションで進んでいるような錯覚を覚えた。 轟々と音をたてて進む列車、右手はどこまでも広がる青い海、目を左手に転ずると、そこは山の間に盆地状に奥まる緑の田んぼが美しい。 餘部鉄橋より 餘部駅に到着すると、乗客が一斉に立ち上がって前の車両へと移動し出す。 この列車がワンマンカーだからなのだが、これだけの降車があるのにはいささか驚いた。 大きなカメラを持った人もいるが、家族連れや女性のグループ等、今や餘部に郷愁を抱くのは鉄道を趣味とする人間だけではないようだ。 しかし残念ながら本日は工事中ですよ... そう教えてあげたい気分だったが、もちろんそれは心の中だけに留めておいた。 殆ど空っぽになった列車は身軽な状態で勾配を下り、終着の浜坂へと向かった。 浜坂でも小一時間ほど乗り継ぎ時間に潰し、待合室からホームへ渡って行くとこれから大阪へ向けて発車する「はまかぜ6号」が居た。 先ほど撮り損ねたのでカメラに収めるが、残念ながらこちらは国鉄色ではない。 そして、鳥取方面から入線して来たのは次に乗る朱色の首都圏色、キハ33という形式の気動車。 これは50系客車から改造されたもので、たった2両しか存在しないという珍車。以前は境線で鬼太郎のキャラクターを体中にあしらって愛嬌を振りまいていたが、今はこのおとなしい姿で浜坂〜鳥取の任に就いているらしい。 というのは実は帰って来て後から調べてわかったものだが、新形式の気動車にしては何となく窓周りがくたびれて、ガラスも汚いなぁと感じていた。 でもこれで、山陰本線で客車に乗るという願いは、ちょっと違った形でかなえられたのかも知れない。 淡々と40分ほど走って日も傾く頃、高架の鳥取駅に着き、次に発車する普通気動車に乗り継ぐ。 この気動車もワンマン運転だが、運転士以外に添乗員が付いて、何やら指導をしている様子。 開放された運転室の方からしきりに「戸締めよし、発車!」「場内進行ぅ」等とキビキビした指差喚呼の声が聞こえて来る。 途中で、後からやって来る快速「とっとりライナー」に追い抜かれるというアナウンスが入り、倉吉で一旦下車してそのままホームのベンチで待った。 駅にはこれからどこかへ出かけるのだろうか、薄暮れのホームに若い女の子の浴衣姿がチラホラと見える。 やって来た快速列車はキハ126系。 電車並みの走行性能を誇るというこの車両の俊足ぶりは素晴らしかった。 車内もシートピッチがかなりゆったりとしており、失敬して靴を脱ぎ向かいの座席に足を投げ出そうとすると、あぁ情けなや私には少々遠すぎる... いやこれは恐らく、一般の人でもそうだろう。 すっかり日の暮れた米子駅で、この日のアンカーとなる列車へと乗り継ぐ。 接続の特急待ちで若干遅れて発車。 このあたりは伯備線からのルートと共に電化されているが、山陰本線ローカルの列車はあくまでも気動車だ。 暗闇の窓外を、このディーゼルカーには無用の架線柱が規則正しく飛び去って行く。 そうして暗闇の中をひた走り、40分ほどで松江に着いた。 当初の予定から実に4時間の遅れとなった。 高架ホームを降りてだだっ広い駅前広場を歩き、既にシャッターの降りた商店街を抜けて宿へと急ぐ。 新大橋を渡って大橋川沿いを歩むと、水際に多くの人々が夕涼みに出ている。 波の無い川面は大げさな堤防も設けられておらず、すぐ目線の先に水面がある。 「いい街だな...」そう感じた。 宍道湖の花火に迎えられて、この日のねぐら、松江しんじ湖温泉のホテルにやっと倒れ込む。 ちょうど干支の四周回を終えた、そんな記念の日でもあった。 |
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