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熱海駅で乗り換え
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103系@米原駅
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近江鉄道米原駅
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珍しい縦型の硬券だった
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京都の夜(宿舎より)
駅名時刻列車
東京0810755M
熱海0951
09581427M
静岡1114
1136757M
浜松1246
12512219F(新快速)
大垣1444
1506233F
米原1542
1614近江鉄道111
八日市1656
1711近江鉄道113
貴生川1749
18055377M
草津1834
18413513M(新快速)
京都1900

〜 一日目:東海道を下る 〜

七月二十九日、朝、中央線の鉄路つつがなく東京駅へとやって来た。 旅立ちはやはり東京駅だなと思う。 久々に登る東海道本線のホームは、出入りする湘南色の近郊電車がやけに懐かしく感じる。 残念ながら本日は特別急行列車ではないが、とりあえず入線して来た211系普通電車に乗って熱海へと向かう。

近郊形とは言え、昨今はロングシート化が著しい。 この電車もご他聞に漏れずクロスシートの車両は一部しか無いが、どうにも味気ない感じがするのは私だけだろうか。 その長い座席から腰をひねって振り返ると、窓の外を流れてゆく平日朝のホームには通勤客の姿が目立つ。

モノレール、田町の機関区と、お馴染みの光景を眺めながら電車は進んで行き、やがて品川駅に停車。 驚いた事に、ここの発車メロディは「汽笛一声新橋を・・・」の「鉄道唱歌」だった。 横浜、大船と過ぎて、京急も横浜線も横須賀線も見えなくなる。 国府津、小田原近辺まで来ると車窓左手には相模灘が広がり、やっと東京圏を離れたという気分になって来た。

ずっと一緒に乗っていた他校試合へと赴くのだろうジャージ姿の女子高生達が大勢、大荷物を持って真鶴で下車。 すると途端に車内は見通しが良くなり、ローカル線の雰囲気がそこはかとなく漂って来る。 熱海で伊豆急のリゾート電車を隣のホームに臨みながら静岡行に乗り継ぎ、長い丹那トンネルを抜けて一転、電車は広々とした富士の裾野へと下って行った。

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東海道本線車内にて

さて本日はこれから京都まで行って一泊し、翌日の山陰本線に備えるのであるが、そこまでのアプローチとして、実は中央本線〜大糸線〜北陸本線という迂回ルートも考えていた。 この中では大糸線が未乗区間だが、結局採用しなかったのは山陰本線からの日本海の車窓に敬意を表したかったからだ。 本編前のプロローグで早くも日本海に対面してしまったのでは、申し訳ないと思ったのである。

というのは多少繕った理由付けではあるが、実際の所は宿に着くのがかなり遅くなってしまい、途中で遅延等により一本でも接続が切れると、その日のうちに京都へ行けなくなってしまうという危険性が大きかったからでもある。 本来の目的は翌日からの山陰本線なのだから、これは大事にしなければならない。

静岡乗り継ぎでお昼に近くなったので、駅前コンビニでお握りを買い込み、次の発車を待つ浜松行の普通列車内にて周囲に遠慮がちに口に頬張る。 旅に出たらせいぜい各地の美味しい物を食べまわって帰って来ようと毎回考えるのだが、経路探索で食事の時間などお構いなしのスケジュールを組んでしまうので、結局こういう事になる。 もっとも、列車に乗っている最中というのは自分としてはあまりお腹がすかないので、別に何も食べなくとも済んでしまうのではあるが。

中京圏は浜松から大垣まで、JR東海の誇る313系新快速で快適に京都方面へ向かうが、途中名古屋あたりの通過駅で、何やらホーム端で大きなレンズを構えた男達が一瞬視界に入った。 その先、大垣で下車するまであちこちにカメラ集団がいたので、こりゃSLでも来るのか?と思ったが、大垣駅で次の米原行を待っていると、「通過列車にご注意」のホームアナウンスの後、一陣の風を巻き起こして目の前を通っていったのは、機関車に牽かれたオレンジ色の103系だった。

「なんだ、名古屋でも103系の廃車が進んでいるのか」と次に乗った米原行の車内で普通に思っていたが、途中駅で待避線に入ったその編成に再び追いついたので車体の標記を見ると、何と「千ケヨ」。 これはJR東日本の車両で、後から調べたところによるとJR西日本へと売却されたものとの事。 考えて見ればもう名古屋近郊から103系はとっくに無くなっており、しかもオレンジカラーの 103系が白昼堂々とこのあたりの東海道を下るのは非常に珍しいとの事で、それも相まって多くのファンが集まったものらしい。

さて米原にやっと着いた。 既に18切符では何度も往復している東海道だが、このまま京都まで乗り通してしまうだけではちと寂しい気もする。 すぐ向こうにドアを明けて待っている223系新快速に乗ってしまえば本日の終着点までは一時間足らずだが、ここはぐっとこらえて跨線橋を渡り、東口の駅前広場へと出場する。 米原駅は鉄道としては大きな駅だが、駅前は予想外に閑散としており、特に東口は後から移設されたもののようで、駅舎自体は新しいが駅前には何も無い。

いや、あった!近江鉄道の米原駅が目の前に。 あまりに素っ気無いので見逃してしまう所だったが、階段を登ると小さな待合室があり、そこから築堤上の島式ホームへと降りて行く構造となっている。 出札で手売りの硬券を求め改札を抜けて行くと、ワンマンの黄色い電車がちょうど着いた所で、何人かの乗客が足早に降りてJR駅の方へと向かって行った。 一方、ここから乗り込むのは今のところ私一人のようで、2両編成の空間を独り占めして何となく落ち着かない気分で出発を待つ。

発車間際に学生が一人飛び込んで来て安心したが、その彼も次の停車駅でさっさと降りて行ってしまい再び車内には私一人。 意外に長いトンネルを潜ったりしてさらに寂しい気持ちに輪をかけてくれるが、次の停車駅「彦根」では又JRと接しているため、ここでやっと多くの乗客が雪崩れ込んで来て一安心。 ちなみにこの近江鉄道、サイクルトレインと称して昼間の自転車持ち込みが許されているのがちょっと嬉しい。

彦根からしばらく走ると高宮に着く。 ここからは多賀大社への支線が分岐するが、駅ホームはY字に分かれていて、一昔前の私鉄分岐駅の装いをしている。 いずれ又乗りに来たいが、それまで残っていてくれるだろうか。 高宮から先、しばらくの間は新幹線と並走する区間に入る。 直線で割合に線路の保守も良いようで、ガチャコン電車と呼ばれているわりには結構飛ばすが、これを追い抜いて行く新幹線の窓から見ると殆ど止まっているように見えてしまうのだから恐ろしい。

新幹線の路盤下を潜って一路南へと向かう。風景がどんどん日本の由緒ある山里の様相を呈してくる。夏の緑が濃い。 田園の間を流れる水路が一瞬青い空を映し、山の向こうでは入道雲が盛り上がって来る。 走り去る電車に背を向けながら、白いシャツに半ズボンの子供達が何人か、田んぼの中の畦道を駆けていった。

乗っていたのは近江八幡行だったので、八日市で下車して貴生川方面の電車を待つ。 「八日市は妖怪地」なんていう語呂合わせコピーの観光ポスターが掲げられていた。 しばらくして入って来た貴生川行は単行で、どこかでスポーツ大会でも終わったのか、車内は色とりどりのユニフォームにスポーツ具を抱えた中学生?で一杯であった。 駅へと停車するごとに「じゃあねぇ〜」と手を振って降りて行く生徒達が一通り片付いてしまうと、車内は再び閑散として来る。 やがて大きく左カーブして右手からJRの線路が近付いて来ると、終着駅「貴生川」に到着した。

ここからは、草津線でもうあとちょっと。やって来た電車は本日初めて乗る湘南色の113系。 東海道の東京口では全廃が近いが、こちらの方でも同様な先行きなのだろうか。 山の端に夕陽が沈みかける頃草津に着き、最後は京都線の新快速、20分ほどで京都へとゴールイン。 久々の長旅のせいか着いたらグッタリで、宿で飲んだビールもやけにまわってしまい、早めに床に就いた。

準備万端整えて臨んだこの旅。 天気も良好だし、明日も予定通り行けるだろう。 そう思っていた... この時点までは。


鐵輪舎文庫

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