坂戸駅は東上線の中でも割合と構内規模の大きな駅です。 それは東上本線と越生線の分岐点であり、又かつては近隣の西大家や高坂駅の間を往復する石灰石貨物列車の中継地としても機能していたからです。 その関係で駅の川越寄りには、あの東武の名機ED5010形電気機関車がたむろしていた坂戸機関区もありました。

そんな坂戸駅の構内西端、東上線と越生線がそれぞれ左右に分かれて行く中央の敷地に、そのどちらにも寄り添わず真っ直ぐ伸びて行く一本の錆びた線路があります。 電車からも少し見えるので気になっている人も多いかも知れませんが、古い地図を見るとこれは坂戸駅から高麗川の河原へと延びていた砂利採取線の痕跡のようです。 ではその先は現在どうなっているのか、少々沿線を覗いて来ましたのでレポートしてみましょう。

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国土地理院発行1/5万地形図
「川越」大正15年

この日は少し変な走り方をしつつ坂戸へと向かいました。 駅前で一休みした後さっそく西方向へと進んで行くと、越生線の線路を渡る踏切があります。 これを渡ればそこは越生線と東上本線とに挟まれたデルタ地帯、右手奥の方には坂戸駅の構内が遠く見えています。 駅ホームの方から一本の錆びた線路が延びて来ていますが、そのレール上には保線用の機械やら橋桁のように見える機材が所狭しと並んでいます。 この線路はすぐに終わりになり、行く手は東武の事務所らしき建物に遮られていました。

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工場跡地 [ マーカー ON/OFF ]
国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省
CKT-74-16(昭和49年度)より抜粋

かつてこの線路は県道を踏切で越えてさらに延び、その先にあった工場への引込線として機能していたそうです。 現在も付近の空中写真からは、この跡地がヤード状に膨らんでいるのを観察する事が出来ます。 あるいは川からトロッコで運んで来た砂利をここで加工し、東武の貨車へと積み替えて運び出していたのかも知れませんね。

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