■■ 7.
矢部駅ホームのすぐ先から、淵野辺へと向かって探索を始める。この区間、冬場だと電車からずっとレールが見えているのだが、さすがにこの時期は草が生い茂っており、観察には向かない。
最初の踏切と建物の間のわずかな隙間から、かろうじて横浜線と平行する線路が続いているのが見えた。
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■■ 8.
線路に沿った商店街の道路を歩いて行くが、なんか庶民的でとても懐かしい空気に包み込まれた。
総菜屋、時計店、写真館、そしてちょっと大きなスーパーと、ひと昔前にはどこにでもあった風景だ。その名も「淵野辺銀座」というのがまたストレートで潔く、そんな店々の裏庭を、線路は人知れず淵野辺へと向かっている。
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■■ 9.
淵野辺駅の手前には、小広い草むらが広がっている。濃淡の緑がちょうど、駅を発車した 205系の帯の色と同じ。
何気ない空き地の様だが、実はこの下にはまだヤードの線路が残っているらしい。隊列を整えた貨物列車は、ここから造兵廠の引込線へシズシズと入っていったのだ。
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■■ 10.
淵野辺駅に出た。駅前広場の雰囲気も又なかなかに私好みだが、中でも目にとまったのがこの枯れきった神奈中バス車庫。
切符売り場と車庫が一体となったその構造(GMのストラクチャキットにも確かあったな)は、日通の事務所と共に地方の駅前風景には欠かせないシーナリィだが、こんな所にもまだ存在したとは。
だが、バスの方はとうにこの車庫に収まりきれない程に、ボディが成長してしまったのがまた哀しくもある。
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■■ 11.
駅のホームから、ヤード方向を見通す。今や、なんにもない平凡な構内だが、以前はかなり複雑な線路配置をしていた。
跨線橋の向こう側には昔のホームらしき遺構が残り、「元は重要な駅だったんだゾ」とつぶやいている様でもあった。
さて一通りの探索も終わり、電車が来たので町田へ向かおう。一歩前へと踏み出すが、電車はそのまま目の前を通過!? あぁ、ここは快速通過駅なのネ。。。
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【歴史】
- 1938:
- 相模兵器製作所開設
- 1940:
- 相模陸軍造兵廠へ昇格(この頃専用線敷設?)
- 1945:
- 廃戦。敷地は米軍管理下へ
- 1949:
- 米軍横浜技術廠相模工廠として正式接収
- 1950:
- 基地勤務者のため、矢部駅を開設
- 1957:
- 在日米陸軍総合補給廠へ改称
- 1959:
- 鉄道による貨物輸送を中止
- 1966:
- 在日米陸軍相模補給本廠へ改称
- 1969:
- 米陸軍相模補給廠へ改称し、鉄道輸送を再開
- 1974:
- 規模を縮小し、在日米陸軍本州司令部相模工務局改称
(この頃、専用線運輸を廃止?)
【参考】「トワイライトゾ〜ン MANUAL IV」ネコ・パブリッシング発行
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