青梅線の砂利線跡に関しては過去に何度かレポートしているが、最後に記事を書いたのが新世紀を翌年に控えた西暦2000年の事で、それからもうかれこれ15年も経ってしまった。 特に小作のインクライン跡については、近くでいつでも行けるという安心感からかあまりちゃんとした写真を撮っていなかったので、正月ボケのリハビリも兼ねて改めて覗きに行ってみた。

ところで前にも何処かで書いたが、インクラインとは inclineという綴りであり一般的には「傾斜鉄道」を意味するが、そもそもは「傾ける」という動詞から来ている。 元々 clineが傾斜という意味なので、それに inの前置詞を付して傾いた状態にある事を表しているものと思う。 なので私は長い事インク・ラインと勘違いしていたが、正しくはイン・クラインなのだというのを意識して発音する必要があろう。

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小作駅西口からスタートする。 東口はペデストリアンデッキがあったりしてそれなりに賑わっているが、後から出来たこちら側はロータリーがあるのみ、商店街もなく駅前からすぐ住宅地に面しており比較的静かだ。

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駅から西へ数分進むと程なく小作変電所がある。 小作には青梅電鉄時代から変電所があったが、当時の場所はここでなく東口側だったという。 旧建屋の妻板には国鉄時代になっても長らくその社紋が残っていたそうだ。

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現在の変電所裏手あたり、地図からすると写真のこの先付近でインクラインに続く専用線は本線から分岐していたようだ。 左手へと緩くカーブして、奥手のマンションの敷地あたりを線路は抜けて行ったのだろうと想像する。

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区画整理が進み痕跡は残っていないが、線路跡はここ「くすのき児童公園」のブロックの角をかすめて通過していたようだ。 前にも写真を載せたが、公園にはブレーメンの少女のブロンズが置かれている。 羽村市のサイトによると、「園内で遊ぶ子どもたちに楽しく陽気な音楽が聞こえてくるような作品」として制作されたとの事。

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新奥多摩街道と交差していたのはこのあたりか? もっとも当時このバイパスはまだ開通していなかったので、付近は一面の畑だった筈であるが。 大きい割に車の交通量の少ない通りを渡り、ドラッグストアの脇を通って次の街区へと進む。

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進んで行くと道の左右は東京都水道局小作浄水場の施設となる。 右手の柵の中が、インクラインのトロッコから専用線の貨車へと砂利を積み替える施設のあった場所だろう。

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小作浄水場には、震災などの緊急時に水道水を配給するターミナルがある。 近隣住民としては、覚えておくと万が一の時に助かるかも知れないな。

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ぐるりと敷地の周囲を回って、小作浄水場裏手のインクラインの出ていたと思しき地点にやって来た。 浄水場側を見る限りは、特にその痕跡は何も残っていないようである。だがしかし…

map国土地理院発行1/5万地形図
「青梅」昭和26年
map国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
昭和49年 八王子地区「青梅」より抜粋
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