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(写真左) 奥多摩電鉄の起点となる筈だった御嶽駅。ローカル区間としてはホームは広く、御岳山への参拝客輸送用に臨時降車口も持つゆったりとした設計だ。

取材:2006年11月 

□ 奥多摩電気鉄道

青梅線の立川〜青梅間はどちらかと言うと通勤路線だが、青梅駅から西側は、多摩川の削り込んだ急峻な渓谷を行く山岳路線としての様相を呈してくる。 その中でも特に御嶽駅から終点の奥多摩(開通時は氷川)駅の間は、旧青梅電鉄が別会社である「奥多摩電気鉄道」を設立して、日原から採掘される石灰石輸送の為に建設にあたった区間だ。 しかし、この奥多摩電鉄は開通と同時に国鉄に買収されて青梅線となったため、広く世にその名を知られる事なく現在に至っている。

先般、青梅市郷土博物館で開催された特別展「青梅線玉手箱」では、青梅電鉄の旧本社である青梅駅舎地下室から発見された数々の貴重な資料が展示された。 その中にこの奥多摩電鉄敷設当時の「奥多摩鐵道御嶽氷川間線路平面図」があったが、それを何気なく眺めていると、実際に竣工された路盤とその計画時の位置が一部で食い違っているのに気づかされた。 特に鳩ノ巣から終点の氷川にかけては、多摩川を隔てた南側の山岳地帯に線路を貫こうとしていたらしく、今の青梅線のルートとは大きく異なる計画だった事がわかるのだ。

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お気づきだろうか、青梅線は現在多摩川に沿って走ってはいるが、意外な事にその流れを架橋で渡る箇所は一つも存在しない。 それに対して当時の計画図では、二箇所で多摩川を跨ぐ橋を建設する設計であったようだが、それが経路変更の要因の一つとなった事は少なからず想像出来る。 しかし、一体この通りに線路が引かれていたらどのような景観が出現していたのだろう。 二つの橋は鉄橋だったろうか、それともコンクリートのアーチ橋?  何れにしろ計画通りに開通していたとすれば、きっとワクワクする車窓、そして撮影の名所が出来ていたに違いない。

そんな事も想像してみながら、計画線付近の現状の様子と同区間の青梅線を少しレポートしてみたいと思う。

□ 御嶽駅〜鳩ノ巣駅

久々に自転車を走らせてやって来た御嶽駅前は、ハイカーで満杯の状態だった。駅から出て来る人、信号を渡る人、ケーブルへのバスを待つ人など、どこもリュックを背負った人人人で行列が出来ている。 ちょうど紅葉見物のシーズン、しかも絶好の行楽日和で明日は雨の予報が出てると来たら、この土曜日に集中するのは無理もない事かも知れない。 そんな人混みを眺めながら、私は多摩川の橋の上で地図を広げてこれからの行程をチェックしている。 いや… そのふりをして実はここまでで結構バテてしまったので、息が整うまでしばしの休憩というわけだ。 しばらくして、ケーブル下へと向かうバスが満員の状態で重々しく発車。 それを見送ったのをきっかけに、私もようやく地面を蹴り奥多摩へと向かってスタートを切った。

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1. 大丹波川橋梁

御嶽駅から古里駅の間の青梅線は、奥多摩電鉄の計画路線と地図上でほぼ重なっているが、張り出してくる尾根を抜ける部分等は予定より先端を回ってトンネルを短くしている。 線路長はその分伸びカーブもきつくなるが、ここは工費節減の方が優先されたみたいだ。 また、線路は多摩川の支流を随所で渡るが、それら橋梁はことごとく鉄橋でなくコンクリート橋となっているのが特徴的と言える(写真1.)。 これは、この線区の工事が戦時中で鉄不足の時代だった事、そしてそもそも奥多摩電鉄が浅野セメント系列の関係者で組織された会社であった事と無関係ではないだろう。 そんな風景を眺めながら脇の青梅街道を進んで行く。 まだ年度末までには間があるものの、沿道では随所で道路工事中であり、片側交互通行でたびたび足止めされるのが少々煩わしい。 しかし、工事で狭くなった車道の自転車を気づかって、他の車より先にスタートさせてくれたりするのはちょっと嬉しい配慮だ。

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2. 古里付近の多摩川南側から

青梅マラソンの折り返し地点を過ぎ、古里駅からしばらくの間は街道を離れて多摩川の南岸を走ってみた。 ここは今回初めて通る道だが、実は古里の南側の丹三郎地区から氷川の先の小留浦までを結ぶ、多摩川南岸道路というのがかねてより計画されており、その一部区間が奥多摩電鉄の計画路線と重なるようなのだ。 多摩川南岸道路は現在、小留浦〜長畑間の愛宕トンネルと長畑〜海沢間の道路が開通しているものの、その手前の山深い部分はまだ工事が行なわれている様子がない(参考リンク)。 今走っている多摩川南側の道もその一部に取り込まれるものと思われるが、路面が少々頼りない上に屈曲と登り降りが非常に激しいので、かなりの付け替えが行なわれる事になりそうだ。 日陰の道から北岸の山肌を見ると、青梅街道とその上の青梅線が山腹にへばり付いているのがわかる(写真2.)。 寸庭で南岸の車道は行き止まりとなるので、一旦谷底へ下って小橋を渡り北岸へ戻るが、すでに大きく高低差が生じており、青梅街道へと登り着くまでに大分足を使ってしまった。

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