和歌山電鐵

和歌山の駅前は和歌山市駅よりさらに開けており、こちらがむしろ中心的な存在のようだ。 駅ビル内でお土産を買い込み、再び改札を入って今度は地下の連絡通路を進む。 次に乗るのは和歌山電鐵、南海に見放されたあの貴志川線だ。 2003年に南海が貴志川線の廃止検討を表明したのに対し、沿線の市民グループが存続運動を立ち上げ、最終的には運行主体を公募。 それに対して岡山電気軌道が名乗りを上げ、貴志川線を引き受ける子会社として設立したのが和歌山電鐵なのである。

地下道を一番奥手まで行って階段を登ると、ホーム上に貴志川線の出札窓口があった。 そこで私は一日乗車券を購入、すると「本日ご乗車ですか?」と使用日を確認された。 もう午後だし終点まで行って帰って来るだけだが、それでも往復の運賃より安くなるという太っ腹な切符なのである。 「はい」と答えると「では本日の日付を削っておきましたので、改札の際はこちらが見えるようにお示し下さい」との事だった。 なるほど、銀剥がし式の一日券はよく見かけるが、ここもそれが採用されている。 券片が大きいのでズボンでなくリュックへ、午前中に阪堺線でポケットに入れた乗換券を無くしているので、再びその轍を踏むわけにはいかない。

photo 和歌山駅に停車中の「たま電車」。たま駅長をモチーフにした楽しい編成だ。

ホームに待っていたのは「たま電車」の2両編成、これはなかなか奇抜な外装だ。 水戸岡氏のデザインは一般に少しやり過ぎの感があり私はあまり好みではないが、まぁ見てて面白いので人気のある事だけは確かなようだ。 内装もこれまた凝っていて、車端部は図書館のような造りになっている。 椅子も様々で、猫足の付いた芸術品のような腰掛けにやんちゃそうな高校生が憮然と座ってたりするのは微笑ましくもある。 きっと居心地悪いんだろうな、でもいつもの事なのでもう慣れっこかな?

地元の住民と観光客が半々といった構成で座席が埋まり、たま電車は和歌山駅を発車した。 市街地を抜け、電車が南から東へと方向を変えて走り出す頃には周囲は一面の田園風景となった。 そして車窓に徐々に山が迫って来ると伊太祈曽駅、ここで多数の団体客がホームから乗車、聞こえて来る会話からどうもツアーの中国人観光客らしい。 人々で車内を満杯にして電車はさらに走る。山を越えると盆地状の貴志川町域に入り、やがて終点の貴志駅へと到着した。

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降りる客も多いが電車が着くのを待っていた人もさらにたくさんで、小さな終着駅はごった返している。 人々をかき分けるようにして外へ、これまた奇抜な意匠にお色直しした駅舎をカメラに収める。 駅内に戻ると、待合室の一角にカメラを手にした人が集まっている。 後ろから覗き込むと、そこにはガラスで仕切られた部屋に眠るたま駅長、いやこの日は土曜日だから駅長代行の「にたま」ちゃんか? しかし人が集まるという事では奏功している感じだが、こうなってしまうと何だか動物が可哀想にも思えて来る。

帰りの電車も満員だったが、途中団体客は乗車して来たのと同じ伊太祈曽駅で降りていった。 きっとバス用の駐車場が確保しやすい場所を選んで、そこから乗る段取りになっているのだろう。 これと同じ光景を、昨年乗った五能線でも見かけた事を思い出した。 少し見通しの良くなった車内を観察していると、連結通路上の壁に「TAMADEN」のローマ字が並んでいるのを発見。 もちろん「たま電」の意味だろうけど、ちょっと玉電とかけていたりもするのだろうか。 ニヤッとしてしまうのは他にもあって、例えばドア窓に貼られた「ドアに注意!」のシールが肉球のついた猫の手なのも面白い。

和歌山駅に戻り、次はようやく本日最後のターゲットを目指すべく紀勢本線の下り電車に乗る。 紀勢本線は名古屋方の亀山が起点だから厳密には上りだが、この区間では便宜上、大阪に背を向けて紀伊半島を南下する列車は下りとなっているようだ。 乗り込んだのは223系の編成で、最近はここにもこんな電車が走るようになったのか。 と言っても、以前このあたりに来たのはまだ電化直後で、ゴハチの牽引する客レが走っていた頃だから随分とご無沙汰をしたものだ。

紀州鉄道

本日はだいぶ乗り続けてさすがに疲れて来た、気持ちのいいシートに座るとしばらくして睡魔に襲われる。 乗った電車は目的地の御坊駅止まりなので寝過ごしてしまう心配もなく、しばし安心してまどろむ事にした。 電車は段々と山に入って行くかと思えば、また里へと降りて来たりを繰り返しているようだった。 周囲の動き出す気配にハッとして我に帰ると、電車はもう終点の御坊に着く所。 跨線橋を渡って駅舎のあるホームへ移動、18きっぷを見せる用意をしていたが特に中間改札等なく、そのまま紀州鉄道のホームへと入る事が出来た。

photo 御坊駅の紀州鉄道ホームで発車を待つレールバス。形式は「キテツ1形」だ。

これから乗る紀州鉄道、和歌山県のこの付近では他にも野上電鉄や有田鉄道などの小私鉄がかつて存在したが、残念ながらそれらは既に尽く廃止されてしまっている。 唯一残った紀州鉄道は本来が不動産事業主体の会社で、社名に格をつけるために鉄道を傘下に入れたという話もある。 その設立過程を見るに、意外な所で磐梯の沼尻鉄道と繋がっていたりするのも驚きだ。

やがてやって来た気動車は、レールバスとも呼ばれる小さな車両の形式「キテツ1形」。 標準車体なので、かつては各地の非電化小私鉄で見られたが、いまや日本で唯一営業運転されている2軸気動車となった。 一応冷房も入っているが、出力が最小限な為か少々蒸し暑い。 乗ったのは地元客数人と、大きなレンズのカメラを抱えた中年男性が一人、そして小リュック一つのショボイおっさん、これはもちろん私である。

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時間が来て折り戸が閉まり、エンジン音が高まってユルユルと発車。 ホームを出るとカーブを切って紀勢本線から離れてゆく。 キテツは生い茂った夏草で覆われた線路を、フワフワとサスペンションの効いた車体を揺らしながら走行する。 2軸車なので、短い周期で繰り返されるガッタンというジョイント音が独特の響きである。 縁起のいい駅名で有名になった「学問」を過ぎ、この線の中心駅とも言える紀伊御坊に到着。 ここには車庫があり、動き出した列車が通過する際に覗くと、動態保存されたキハ600形が奥の方に収まっているのがチラッと見えた。

次は市役所前、そしてその次はもう終点の西御坊、唐突に終わっている線路の車止めが運転席の窓ガラス越しに前方から近づいて来た。 小さな掘っ立て小屋のような屋根のあるホームに到着し、バスと同じ料金箱にお金を入れてそこへ下車する。 他にここまで乗ったのは約2名、一人は地元住民らしく、そしてもう一人は件のカメラマンだ。

ホームを出てまずは右手の裏口へ。 ここで一旦線路は途切れているが、水路を渡った先にはまだ住宅の裏手にひょろひょろとレールが伸びている。 かつて存在した日高川駅までの廃線跡である。 昔は国鉄貨車も出入りして製紙材料のチップを運んでいたそうだが、貨物主体だったので廃止されてしまったのだろうか。 次に駅の表口の方へもまわり、小さな終端駅の風情を何枚か写真に撮った。 カメラマン氏もあちこちから建物と車両を入れた構図で写真を撮っているようだ。 発車の時間となり、鉄チャン二人を乗せた気動車は再び夕暮れの街を走り出す。

photo 西御坊駅正面。ホームの石積みの上に駅本屋があり、中に自転車も駐輪されている。

御坊駅に着いて料金を払うと、降りる際に運転士さんから「こちらをどうぞ」と白い券片を渡された。 JRとの間に中間改札がないので精算済票をくれるのだ。 私は18きっぷなので使わなくとも大丈夫そうだが、せっかくなので記念にいただいておいた。 紀勢本線の225系区間列車で和歌山まで戻り、そこからは阪和線の紀州路快速で一路宿泊地の大阪へと帰る。 本日の探訪目的とした私鉄8本、もちろんその間を繋ぐ大手私鉄やJR路線等もあるが、早朝から夜まで乗り通した満足感でお腹いっぱいだ。 でも体に悪いので、夕食の方はしっかり摂っておくことにしよう。