2021/09

幼少期に新京成沿線に住んでいたことは、以前「新京成の思い出」で書きました。 当然、都内方面へお出かけする際は新京成で津田沼へ出て国鉄(稀に京成)に乗り換えるわけですが、電車が前原を出て新津田沼駅へ向かうといつも気になる建物がありました。 それは成田街道の踏切のあたり、左手に聳え立っている木造の古びた倉庫のような建物です。

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当時あのあたりにはビル等もなく、4階か5階建て位の高さに見えたその建物は、周囲を見下ろす偉容でひときわ目立っていました。 上の画像は私の記憶の中に残る姿を描いたものですが(電車は写真からトレース。雑で済みませんww)、かなり大きな建造物で他を圧倒する存在感を醸し出していたのです。 帰宅時の夜などに電車の窓に顔をくっつけて見ると、少し恐ろしい、アニメに出て来る悪魔が住む屋敷のような佇まいも感じたものです。 その外観からすると、軍隊に関係する施設か何かだったのではないか、と想像もしています。 何しろ場所が旧鉄道連隊のあった津田沼の地に近いのでそう思ったわけですが、真相は不明です。 地図で調べると今は既にその建物はなく、跡地には大きなマンションが建っているようです。

で、実は私、この建物の中に入った事があります。 学生の頃バイトで宅配便の倉庫内勤に応募したのですが、その勤務地がここだったのです。 宅配便と言っても、当時はヤマト運輸の「宅急便」しかなかった時代、おそらくヤマトがこの敷地を借り受けて倉庫代わりに利用していたのでしょう。 実際に勤務した建物は敷地内の別の倉庫だったかも知れませんが、その辺の記憶はあやふやです。 ただ、以前より車窓から見て気になっていた建物なので、休憩時間にコッソリ階段を登って行った事は覚えています。 建物の上階の方は全体に何だか粉っぽい汚れがあり、機械のような物も据え付けられていたと思います。 なので倉庫と言うよりは何かの工場であったのかなと、その時は感じました。

ところで、上の絵は前原を出発して新津田沼へ向かっているつもりで電車の絵を描いていますが、右側通行になっているのが変だと思われるかも知れません。 当時、前原から先は新津田沼方面と京成津田沼方面の2本の線路があり、前原を出てしばらくの間、単線並列の状態となっていたので(参考:新津田沼駅の変遷、それを表現しています。 両方面の電車が前原駅を同時発車する場合もあり、この区間で束の間の並走が見られる事も多かったです。 電車は抜きつ抜かれつしつつ件の建物の脇を通過し、その先(今の前原変電所の位置)で左右に分かれてゆきます。 単調な新京成の車窓の中では実にワクワクする時間でした。


と、ここまで書いて少々調べてみたところ、この建物に関しての記事を掲載しているページが見つかりました! 大変貴重な情報、有り難いです。

きたならStyle - 北習志野ブログ」というブログサイト内の記事です。 驚いた事に、この記事の中には小島さんという方の撮影したその建物の写真も! ビックリしました、いゃ私の記憶力に(笑)。 窓配置などは微妙に違うものの、建物の外観はほぼ私の記憶が合っていたからです。 製粉工場だったんですねぇ… だから内部が粉っぽかったのか。

参考リンク:
きたならStyle - 北習志野ブログ:昔日の新京成
同サイト内の別記事ですが、新京成の思い出が大変懐かしい
船橋市デジタルミュージアム:国際製粉 屋上より
ミュージアム内に「国際製粉 屋上より」というキャプションの写真が7点程収蔵されています。
ものぐさ親父の「いまさら鉄ちゃん!?」:単線並列の頃~昭和39年~新京成前原駅近く
4枚目の写真に件の建物が少し写り込んでいますね。そして新京成の単線並列!