■ Photo-5
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 坂を登ったサミット付近 (写真は前回撮影したもの)。このカーブ、古びた石積みは、いも と思わせるに充分な雰囲気を持っている。道路脇に勾配標がポツンと立っていても不思議はない。黒沢から急勾配を登って来た貨物列車は、ここから軽やかに東青梅へと下って行ったのだろう。

 このあたり、木漏れ日の射す林間の道は、夏でも涼しい空間を提供してくれてホッとする。


 
■ Photo-6
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 黒沢へと下って行くと、採掘場のダンプ入口が左手に分岐している。道路の方(写真右)はここから先、黒沢へと急降下しているので、おそらく廃線跡は左方向だろうと思う。(...でなくて、その真ん中が正解)

 浅野セメントの跡地ではその後硅石等も採取された様だが、現在は山砂利採掘が行なわれている。地形も大きく削られており、路盤もおそらく根こそぎ消失したのではないだろうか。中に入れないのでこの辺は想像でしかないのだが...。


 
■ Photo-7
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 道路の方をまわって下りきり、黒沢二丁目へとやって来た。裏手の方へちょっとよじ登ると、採掘場の風景が開ける。線路の位置はどこだったか、 ...う〜ん、わからない。しかし、目の前を横切る平坦な地形が少し気になる。

 件の本には、酒店裏手に現在(本の発行は S.49)も線路跡の平坦な地形が見られるとあったが、これがその地形なのだろうか。(結局ここは、全然見当違いの場所だったようで... ^^;)


 
 さて、今回は写真を撮って来る事が出来なかったが、付近には面白い場所もいくつかあるのでついでながら...。
東京炭鉱前バス停
「東京」と「炭鉱」という最も似合いそうにない言葉がつながったバス停としてつとに有名。問題の東京炭鉱は、昔、暖房用の燃料である亜炭、泥炭を採炭していたが、S.35 に閉山している。ちなみに隣には「岩蔵温泉」というこれまた東京には珍しいバス停もある。
吹上トンネル
M.37 最初の道路トンネルが開通。S.33 その下に新トンネルが完成。最近、そのさらに下に新新トンネルが開通しているので、親小孫の三代トンネルとなっている。最初のトンネル入口へは行った事が無いが、まだ残っているのだろうか。(その後行ってみました。記事はこちら
参考:
  • 「小曾木近代史」 小曾木近代史執筆委員会 編著

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