「怪しい市道」〜 黒沢の専用鉄道 〜 1997/09
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記載した経路については、
一部想像の部分もあります。

 以前から怪しいと思っていた道... 市道「天寧寺坂通り」。やっぱりそうだった。

 地元の小学校の創立百周年を記念して編纂された「小曾木近代史」の中に、東青梅・黒沢間の鉄道として専用鉄道の記述があった。

 大正七年(一九一八)、浅野セメント株式会社が、黒沢地内より石灰岩が産出される事に着目し、青梅線現東青梅駅付近より、青梅第四小学校、根ヶ布天寧寺横を通り黒沢二丁目の柳内酒店前までに専用線を敷設した。(小曾木近代史より一部引用)

 将来はさらに奥の梅ヶ平まで延長するという計画もあったようだが、石灰岩がそれ程採れなかったため、4年後の大正11(1922)年には廃止されてしまった。従って、地図に記載される事もなかったようだ。

 成木街道とほぼ平行して存在する天寧寺坂通りは、わりと坂のゆるい事もあって昔から自転車でよく利用していたが、上記の文章から想像すると、この道が廃線跡であるという事はほぼ間違いないだろう。そうなると、あぁ あそこも、あぁ ここも... と、どこも鉄道の面影があるように思えて来て、再度確認に赴くのにそう時間はかからないのであった。(^^;)


 
■ Photo-1
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 前回、中武馬車鉄道で訪れた勝沼の踏切から再度走行を始める。この角度から東青梅駅方向を見通すと、構内を出てすぐこの踏切に到達しているが、その間で左手へと分岐していたのだろうか。(実際には、駅より立川寄りで分岐していたらしい。)

 東青梅駅前は最近高層マンションの建築ラッシュで、電車はその間を申し訳なさそうに単線で通過して行く。


 
■ Photo-2
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 駅前から成木街道を北上するとすぐ、青梅第四小学校の前を通過する。この日はちょうど町内の運動会が開催されているようで、大勢の人で賑わっていた。昔は校庭から、通過して行く蒸気機関車を眺められたのだろう(調べてみたら当時まだ開校前だった)

 写真は街道脇の駐車場から撮ったもので、自転車の後ろ直下を左右に横切っているのが成木街道。


 
■ Photo-3
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 成木街道から斜めに分岐して天寧寺坂通りに入って来たところ。街道の一本裏手を行くためか、交通量はぐっと少なくなる。すなわち自転車向きの道。だから自転車乗りは廃線跡に巡り合う確率が高い、とも言える... カナ。(^^;)


 
■ Photo-4
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 しばらく行くと天寧寺入口(写真で一番右手の道)。ここから線路跡と思われる道(写真一番左)は、微妙なカーブを描きつつゆるく坂を登って行く。

 この天寧寺坂通りは、線路と道路の境の部分なのか妙にだだっ広い部分と極端に狭い区間が連続する。途中で変に屈曲している箇所などもあって、なかなかに怪しい雰囲気がある。

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