交通博物館と言えば、万世橋駅跡。
ここでは、2005年の特別公開に先立ち、取材で学芸員の方に案内して頂いた時の写真を何枚かご紹介しよう。
まずは中央部の階段跡から案内して頂いたが、休憩室の階段を少し上がった左手に小さな扉があり、そこを開くと裏手には大きな空間が広がっていた。
ここはかつてホームから館内へ直接降りて来る特別来館口として使われていたが、現在は人の出入りが全く無い為に封印されており、材木の散乱した階段が闇の中へと消えていた。
続いて東側の階段だが、展示室裏手の迷路のような通路を進み、角を曲がると、目の前には紺地に白抜き文字で「万世橋」と書かれた琺瑯看板が現れる。
だがこれは後から飾ったレプリカとの事で、実物の駅名標は展示室の方に置かれているらしい。
階段を登った先が通路状の踊り場になっており、頭上両脇には中央線ガーダー橋の下の部分が見えている。
さすがに現役の線路だけあって時々修繕が入るらしいが、真新しい緑のペンキの厚膜には白い文字で2000年に塗装された事が記されていた。
ここからはかつて館内を見下ろせたようで、電車から降りた客はその光景を眺めながら、改札口へと向かったのかも知れない。
「ドドンッドドンッ」という通過電車の振動を聞きながらその先の階段を登ると、目の前にはアルミ色の小さな扉が待っている。
案内の方が鍵を開けると、一瞬眩しい光が差し込み、伸び放題な草叢の向うにチラリと青空が見えた。
まさしくそこがホームなのだが、ここから先は鉄道用地内となる為、我々は中からただ覗き見るばかりだ。
博物館の上にはこのホームとそれを挟む中央線の線路、そして神田川に近い方には何本かの側線があり、保線機械等の置き場となっている。
作業員がここのドアからホームを伝って、留置線の方へ出入りする事も時々あるそうだ。
今度はホームに背を向けて、階段にしゃがんでみる。
良く観察すると階段へりの滑り止めの金属部分が取り去られているが、これは、戦時中の金属供出によるものではないか、との事だった。
博物館と万世橋駅が共に存在していたのは 7年間。駅の廃止が 1943年だから、それ以降おおよそ 60年以上に渡り、ここは無用の空間として展示物の裏手で人知れず息を潜めていたのである。
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